ゴールデンウィークの旅行では、ベルリンから鉄道でドレスデンへ移動しました。
ドレスデン中央駅から旧市街までは、トラムで移動します。その道すがらは、ドイツの地方都市なのですが、やはり旧西ドイツ地域のような豊かさが感じられない街並みです。
そして旧市街に到着すると、そこは中世がそのまま出現したような別世界なのでした。
エルベ川対岸からアウグストゥス橋とドレスデン旧市街
ブリュールのテラスから 旧宮廷教会と遠景にゼンパーオペラ
フラウエン教会
ドレスデンというと、第二次大戦中における連合軍の空襲で徹底的に破壊されたことで有名です。その空襲の状況については、今回の旅行に際して読んだ「ドレスデン逍遥―華麗な文化都市の破壊と再生の物語」(川口マーン惠美著)で詳しく知りました。この本の紹介もいずれしたいです。
すぐ上の写真にあるフラウエン教会(聖母教会)、空襲で破壊されて完全な瓦礫の山と化し、そのままの姿で放置されていました。上の書籍には、瓦礫の山のすぐ近くで羊の群れが草を食べている写真が掲載されいてます。ネットではWikipediaで下の写真が見つかりました。再建が開始されたのは1990年代です。
聖母教会の廃墟、1991年
第二次大戦時の空襲直後のドレスデン市街を撮した写真として、市庁舎の塔の上から撮影した写真を上記の書籍で見ました。今回検索したところ、ウィキ英語サイトで見つけることができました。下の写真です。
Deutsche Fotothek/Blick vom Rathausturm
私はぜひ、その写真と同じ視角からドレスデンを眺めてみたいと思っていました。そのためには、市庁舎の塔に登らなければなりません。
市庁舎は旧市街の南にあります。南側の入り口から入ると、そこは市庁舎として機能しています。だから「旧市庁舎」ではありません。しかし塔への登り口が見つかりません。建物をぐるっと回ると、東側にも入り口があります(左下写真)。そこから中へ入ると、奥にホールがありました。丸天井です(中央下写真)。この丸天井の真上が塔に違いないと思われるのですが、残念ながら2階までしか上がることができませんでした。外から見る時計塔は右下写真です。時計塔がこれだけ黒いということは、空襲をまともに受けたそのままなのでしょう。
正面 内部のホール 時計塔
市庁舎のすぐ西に聖十字架教会があります。教会には、空襲を受けた直後の写真が掲示されていました。右下写真です。左下の現在の姿と見比べてください。聖十字架教会の外形と市庁舎の時計塔が倒壊せずに残っていたことがわかります。
アルトマルクト広場から聖十字架教会 聖十字架教会 空襲直後
今回私達が宿泊したのは、旧市街の真ん中、ドレスデン城と空中回廊で結ばれているケンピンスキーホテルです。このホテルの建物、ドレスデンがザクセン王国の首都で、アウグスト強王が統治していた時代、王の寵妃であったコーゼル伯爵夫人の居城であったタッシェンベルク宮殿でした。この建物も第二次大戦の空襲で破壊され、ホテルとして再建されたのはごく最近です。
ホテルの部屋のテレビで、破壊された直後のホテルの建物の映像が流されていました。右下写真です。
左がケンピンスキーホテル、右がドレスデン城 ケンピンスキーホテル空襲直後の姿
以上、ドレスデンと空襲との関連を中心にまとめてみました。
ドレスデン中央駅から旧市街までは、トラムで移動します。その道すがらは、ドイツの地方都市なのですが、やはり旧西ドイツ地域のような豊かさが感じられない街並みです。
そして旧市街に到着すると、そこは中世がそのまま出現したような別世界なのでした。
エルベ川対岸からアウグストゥス橋とドレスデン旧市街
ブリュールのテラスから 旧宮廷教会と遠景にゼンパーオペラ
フラウエン教会
ドレスデンというと、第二次大戦中における連合軍の空襲で徹底的に破壊されたことで有名です。その空襲の状況については、今回の旅行に際して読んだ「ドレスデン逍遥―華麗な文化都市の破壊と再生の物語」(川口マーン惠美著)で詳しく知りました。この本の紹介もいずれしたいです。
すぐ上の写真にあるフラウエン教会(聖母教会)、空襲で破壊されて完全な瓦礫の山と化し、そのままの姿で放置されていました。上の書籍には、瓦礫の山のすぐ近くで羊の群れが草を食べている写真が掲載されいてます。ネットではWikipediaで下の写真が見つかりました。再建が開始されたのは1990年代です。
聖母教会の廃墟、1991年
第二次大戦時の空襲直後のドレスデン市街を撮した写真として、市庁舎の塔の上から撮影した写真を上記の書籍で見ました。今回検索したところ、ウィキ英語サイトで見つけることができました。下の写真です。
Deutsche Fotothek/Blick vom Rathausturm
私はぜひ、その写真と同じ視角からドレスデンを眺めてみたいと思っていました。そのためには、市庁舎の塔に登らなければなりません。
市庁舎は旧市街の南にあります。南側の入り口から入ると、そこは市庁舎として機能しています。だから「旧市庁舎」ではありません。しかし塔への登り口が見つかりません。建物をぐるっと回ると、東側にも入り口があります(左下写真)。そこから中へ入ると、奥にホールがありました。丸天井です(中央下写真)。この丸天井の真上が塔に違いないと思われるのですが、残念ながら2階までしか上がることができませんでした。外から見る時計塔は右下写真です。時計塔がこれだけ黒いということは、空襲をまともに受けたそのままなのでしょう。
正面 内部のホール 時計塔
市庁舎のすぐ西に聖十字架教会があります。教会には、空襲を受けた直後の写真が掲示されていました。右下写真です。左下の現在の姿と見比べてください。聖十字架教会の外形と市庁舎の時計塔が倒壊せずに残っていたことがわかります。
アルトマルクト広場から聖十字架教会 聖十字架教会 空襲直後
今回私達が宿泊したのは、旧市街の真ん中、ドレスデン城と空中回廊で結ばれているケンピンスキーホテルです。このホテルの建物、ドレスデンがザクセン王国の首都で、アウグスト強王が統治していた時代、王の寵妃であったコーゼル伯爵夫人の居城であったタッシェンベルク宮殿でした。この建物も第二次大戦の空襲で破壊され、ホテルとして再建されたのはごく最近です。
ホテルの部屋のテレビで、破壊された直後のホテルの建物の映像が流されていました。右下写真です。
左がケンピンスキーホテル、右がドレスデン城 ケンピンスキーホテル空襲直後の姿
以上、ドレスデンと空襲との関連を中心にまとめてみました。
私は前回、英語の田崎先生について書いた藤原です。コメントを有り難うございました。田崎先生とは、今でも頻繁にやり取りがあります。
内藤様のサイトは、本当に真面目で紳士的な内容で敬意を表します。大変意味のあることが書かれてあります。私は、つい最近になってパソコンを始めた出遅者ですが、誹謗中傷、いかがわしい内容のものもが多いですね。さて、ベルリンとドレスデン、エルベ川についてですが、旧東ドイツ地域への旅は、中学時代からの夢です。皮肉にも15年前の新婚旅行で旧西ドイツ地域とライン川には行きましたが、旧東ドイツは心残りでした。田崎先生の本とNHKラジオの英語の講座がきっかけで、アメリカに感心がありましたが、当時の東ドイツの学生と文通するようになって、東欧にも関心を持ちました。語学は、NHKの講座でいろいろやりました。金賢姫など、広範囲なサイトをこれからゆっくり拝読したいと存じます。ご健勝のほど。
やはり田崎先生についてコメントいただいた藤原さんでしたか。「藤原興生」というお名前でネット検索したところ、札幌市の藤原さんがヒットしたことからそのように拝察しました。
私達夫婦は、今年の5月連休はエルベ川沿いを訪問しました。そして去年の5月はドナウ川、一昨年の5月はライン川を訪問しています。
旅行記を別のサイトにアップしています。下記サイトです。
http://blog.goo.ne.jp/peperoncino789
冒頭目次ページの「目次」をクリックしていただくと、旅行記の一覧が表示されますので、もしよろしかったらこちらもご覧ください。