弁理士の日々

特許事務所で働く弁理士が、日常を語ります。

鹿島アントラーズ試合観戦

2015-11-14 22:06:33 | サッカー
去る11月7日、カシマサッカースタジアムで行われたJリーグの鹿島アントラーズ vs 横浜F・マリノスの試合を観戦してきました。
知人の株主優待で当選してチケット2枚が当たり、その知人と私とで観戦に出かけたものです。
Jリーグ2ndステージは、この試合を含めてあと2試合を残すのみ、2ndステージの成績は、サンフレッチェ広島がトップで、勝ち点3の差でアントラーズが2位です。すでに自力優勝は消えたものの、本日の試合も絶対に負けられない試合です。アントラーズ隠れサポーターの私も、プレッシャーを感じつつの観戦となりました。

知人とはスタジアムで合流することとし、私は東京駅から直通バスを利用しました。
  
 自由席バス                      指定席バス

東京駅八重洲口の長距離バス1番乗り場に行くと、すごい行列ができています(左上写真)。聞いてみたらそこは自由席専用バスの乗り場で、私は指定席券を持っています。指定席バスは別の乗り場(7~9番)で乗るとのことで、そちらへ移動しました(右上写真)。自由席乗り場でのスピーカー案内では、「今から列に並んでも、試合開始に間に合いません」とのことでした。

スタジアムに到着しました。鉄道の跨線橋上から、スタジアムの全景が眺められます〔左下写真)。知人とは、ジーコ像(右下写真)のところで合流しました。
  
カシマサッカースタジアム               ジーコ像

試合前にミュージアムを訪問し、昼飯をゲットする予定にしています。バスが遅れ、到着は1時でした。試合開始(2時5分)まであまり時間はありません。チケットを見せて場内に入ろうとしたところ、ペットボトルのキャップを回収されてしまいました。理由はわかりません。多分みんな知っていて、入場時にペットボトルを持参しないようです。しょうがないので、まずは自分の席まで行って蓋のないペットボトルを置き、それからミュージアムに向かいました。

《ミュージアム》
  
各年代、一人ずつが代表して写真になっています。1991はジーコ、1993はアルシンドです。1999~2003は知った顔が続きます。といっても、名前が出てくるのは、秋田、中田浩二、小笠原ですね。
歴代監督の写真も挙げておきます(下写真)。石井正忠氏は、現監督と、チーム発足時の選手の2枚の写真が写っていました。
 
歴代監督

スタジアムの模型が2つ、並んでいました。初期はこんなスタジアム(左下写真)だったのですね。
  

さて、時間は押しています。食べ物店の行列もほとんどなくなっていたので、私は焼きそばを購入し、席に戻りました。
ゴール裏のサポーター応援合戦は始まっています。
 

我々の席は、アントラーズサポーター側に近い、メインスタンドの1階席でした(左下写真)。スタメンが掲示されています(右下写真)。アントラーズについては、背番号と名前を照合するため、トップチームの顔写真一覧を印刷して持参しました。
  
チケット                先発メンバー発表

 

試合が開始しました。
前半、我々の目の前は、マリノス攻撃の左サイド側です。
アントラーズ優位に試合は進展します。アントラーズ左サイドの7番カイオを含めた動きが活発ですが、我々からは一番遠いサイドになります。そのカイオが前半10分、先制点をたたき込みました。電光掲示のプレイバックを見ると、右ポストに当たってゴールしていました。
アントラーズ40番小笠原も存在感を発揮していました。36歳とのことですが、アントラーズの中心となっているようです。

そして後半の64分、カイオが中央からドリブルで持ち上がりました。観戦する我々の目の前です。まだペナルティエリアまで至っていませんが、相手ディフェンスは寄っていません。私が「打てー!」と叫ぶのと、カイオが右足を振り抜くのがほぼ同時でした。ボールはゴール右隅へと吸い込まれていきました。

カイオは本来左サイドであり、後半は観戦する我々の目の前で激戦を見られると期待していました。ところが、2点目をゲットしたカイオは、中央に張り付いたままで左サイドには戻ってきません。明らかにハットトリック狙いです。ベンチも指示したのでしょうか。終了間際に決定的チャンスでカイオのシュートがありましたが、残念ながらわずかに枠を外れました。

こうして、アントラーズは我々の目の前で勝利をゲットしました。
しかし、帰りのバスの中でニュースを確認したら、サンフレッチェも勝利していました。最終節で良くても勝ち点同率、得失点差でサンフレッチェが圧倒的有利なので、2ndステージ優勝は望み薄のようです。

本日2得点すべてをたたき出したカイオ、2ndステージで石井監督に交代してから、先発は少ないようです。本日は中村がケガで出られないための先発復帰でした。そこでの大爆発です。やってくれました。

アントラーズ、本年のJリーグ1stステージでは中位に甘んじていましたが、監督が現石井監督に交代したとたん、勝ち続けるようになりました。交代前のトニーニョ・セレーゾ監督はアントラーズで監督2回目であり、1回目のときは00年にリーグ三冠を達成していますから、悪い監督ではないはずです。このブログの田中滋著「常勝ファミリー・鹿島の流儀」(2)では、
『監督は、ジーコ推薦のトニーニョ・セレーゾでした。「いいオッサンでさ。一生懸命なんだよ。腹黒さがないんだよね。だから選手にバーッと言って衝突もするけど、ま、セレーゾだからな、みたいな感じで、あんまりあとに引かなかった」』
と紹介しています。
今回、セレーゾ監督のときにアントラーズは大幅な選手の若返りを図ったといいますから、若手選手でのチーム作りの初期、成績がふるわなかったのでしょう。石井監督に交代した時点が、新生アントラーズ成長のときだったのかもしれません。

アントラーズは、常勝とまではいきませんが、今年2ndステージのように強い力を発揮することが多々あります。何がそうさせているのでしょうか。
チーム創生期にジーコによってアントラーズ魂が形作られたのは間違いありません。2006年に「ジーコのこと」として記事にしました。
普通のチームであれば、ジーコが去ればその魂もそのうち消えていくものです。ところがアントラーズでは連綿と生き続けています。2009年に「アントラーズの強さの源泉は」として記事にしました。09年12月11日の日経新聞に三浦知良氏が載せた新聞記事。
『イタリアの名選手、R・バッジョはACミランに加入してクラブハウスに来るや「ここが世界一である理由が分かった」と語ったという。練習場やクラブがまとう空気が、そこが名門かどうかを物語る。11月に練習試合で鹿島に出向いたとき、僕もそんなことを感じた。スタメンから外れた選手による試合でも、鹿島の面々の「試合に出たい」というハングリーさは、同じ練習試合をした浦和とは違っていた。
リラックスゲームでも遊びでもじゃんけんでも、「勝負がかかれば何であれ負けるな」というジーコの精神が見て取れる。偉大な選手が何かをもたらしても、本人が去れば一緒になくなることは多いもの。鹿島だけは継承し、ぶれず、ブラジルのスタイルを貫いている。いま日本で名門と呼べるのは鹿島だけだろう。』

アントラーズが強いチームで在り続ける一つの源泉が、強化部長の鈴木満氏にもあるようです。ここでは2010年、田中滋著「常勝ファミリー・鹿島の流儀」()として記事にしました。
その鈴木強化部長、現在もその職で頑張っておられるようです。
【鹿島アントラーズ】 どうして鹿島は強いのか―。他にはないクラブ理念と取り組みという武器 【Jリーグ】に詳しく記述されていました。

さて現在のアントラーズです。
アントラーズにレンタル移籍している金崎は、私が観戦した試合では無得点でしたが、直後のW杯アジア2次予選に5年ぶりに招集、いきなり先発、いきなり先制ゴールの快挙を成し遂げてくれました。
カイオは、常時先発ではないながら、今回は2ゴールをたたき込む大爆発です。弱冠21歳でこれからの選手です。日本国籍取得の希望も持っているとのこと、日本代表での活躍も期待できそうです。
今回は代表招集されなかった柴崎も代表組です。
その他の選手も、代表クラスに育つ人材が多いとのことでした。

これからまた、アントラーズは黄金期を迎えるのでしょうか。
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