大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

日ごろ撮影した写真に詩、短歌、俳句とともに短いコメント(短文)を添えてお送りする「大和だより」の小筥集です。

大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2018年07月15日 | 植物

<2389> 大和の花 (558) マルバマンネングサ (丸葉万年草)              ベンケイソウ科 マンネングサ属

         

 やや湿気のある山地の岩壁や道端の石垣に生える多年草で、タンポポのようにロゼットで越冬する。茎は地を這い、節から根を下ろして広がり、分枝して先が斜上する。高さは8センチから20センチほどになり、群落を作ることが多い。葉は肉厚で光沢があり、長さは1センチ弱の倒卵形乃至倒卵状さじ形。先は丸く、基部は柄のように細くなって対生する。

 花期は6月から7月ごろで、斜上した枝先に集散花序を出し、黄色の花を咲かせる。花は長さが5ミリほどの披針形で先が尖る花弁5個の星形で、上向きに平開する。雄しべは10個で、裂開直前の葯は橙赤色。裂開後のそれは黒色に変色する。

  本種は日本の固有種で、学名のSedum makinoiは発見者で名づけ親の植物学者牧野富太郎に因む。本州の群馬県以西、四国、九州に分布し、大和(奈良県)でも自生のものを見かけるが、グランドカバーなどに利用されるとともに、斑入りなどの園芸品種も開発され、販売も行われている。 写真は山道の傍で花を咲かせるマルバマンネングサの群落とその花と葉のアップ(いずれも十津川村)。

   時は平等 時は永遠 私たち 限られた 生命体は この時の中   時を消費しつつ 千差万別に   生きている

<2390> 大和の花 (559) ツルマンネングサ (蔓万年草)                       ベンケイソウ科 マンネングサ属

                                           

 中国、朝鮮辺りが原産地とされる多年草で、古くに中国からもたらされた外来種として知られ、関東以西の道端や石垣、土手や河川敷などに生え出している。茎は基部でよく分岐し、地を這って広がる。長さは20センチほどになり、先は普通斜上しない。

  葉は長さが2センチほどの楕円状披針形で、光沢がなく、肉厚。先は鈍形で、柄はなく、3輪生する。花期は7月ごろで、茎の先に花序を出し、小さな黄色い星形の5弁花をやや密につける。大和(奈良県)でも見られ、大和川の支流である川西町の寺川の河川敷で見かけたことがある。

  マンネングサの仲間はほかにもコモチマンネングサ、オノマンネングサ、メノマンネングサ、メキシコマンネングサなど多く、みなよく似るが、本種は茎がつる状になるのでこの名がある。韓国では生食するようであるが、日本では聞かない。 写真は群生して花を咲かせるツルマンネングサと花のアップ。  生きて行くということは自らのエネルギーを発揮してゆくことである

<2391> 大和の花 (560) ヒメレンゲ (姫蓮華)                                 ベンケイソウ科 マンネングサ属

          

 渓谷の湿った岩上に多く見られるマンネングサの仲間の多年草で、別名をコマンネングサ(小万年草)という。高さは5センチから15センチほどで、群落を作ることが多い。葉は長さが0.5センチから2センチほどのさじ形乃至は倒披針形で対生し、上部では広線形となり互生する。

 花期は5月から6月ごろで、茎頂に集散状の花序を出し、鮮やかな黄色い星形の花を上向きに開く。花は長さが5ミリ前後の披針形に近い先の尖った花弁が5個、雄しべは10個で、裂開直前の葯は橙赤色になる。萼は花弁より短い。実は袋果。花が終わると、走出枝を出し、先端に直径1センチほどのロゼットが出来、これによって越冬する。春になると、このロゼットからまた茎や葉が展開する。

 本州の関東地方以西、四国、九州に分布し、国外では亜種が中国、ベトナム等に見られるという。つまり、本種は日本産で、大和(奈良県)では紀伊山地でよく見られ、山間部から標高1300メートル以上の深山にも及ぶ。なお、ヒメレンゲの名は小さいロゼットの形が仏の蓮華座に似るからという。 写真はヒメレンゲ(上北山村の無双洞ほか)。   微笑のモナ・リザ 永遠とは辛かろう

<2392> 大和の花 (561) キリンソウ (黄輪草)                                       ベンケイソウ科 キリンソウ属

             

 海岸の岩上から標高の高い冷温帯の岩場まで垂直分布に幅がある日当たりのよいところに生える多年草で、太い茎を有し、高さが20センチから50センチになる。葉は長さが2センチから7センチの広倒卵形乃至は広倒披針形で、質は厚く、上部の葉の縁には鋸歯が見られ、互生する。

 花期は5月から8月ごろで、ほぼ直立する茎頂に普通3出の集散花序を出し、先が尖った黄色の5弁花を多数つける。上向きに開く黄色い花が輪状につくのでキリンソウ(黄輪草)この名がある。北海道、本州、四国、九州に分布し、国外では朝鮮半島、中国、シベリア東部に見られるという。

  大和(奈良県)では平端部から高原、または標高の高い大峰山脈の山頂付近でも見られる。 写真はキリンソウ。左から曽爾高原の花、山上ヶ岳の花、花のアップ。曽爾高原のものは徐々に数を減らし、今ではほとんど見られない。山上ヶ岳の花は1個体の花数が少ない感がある。奈良県の直近の調査報告では、全体的に減少傾向が見られ、奈良県のレッドデータブックでは準絶滅危惧種に当たる希少種から絶滅危惧種に変更されている。    愛しさは愛情の一端

<2393> 大和の花 (562) ヤマトミセバヤ (仮称)                                     ベンケイソウ科 キリンソウ属

                       

 イワヒバなどとともに生える多年草で、川上村の奥深い滝傍のほぼ垂直に切り立った岩崖に見られる。茎は束生して最初斜上し、成長するに従って垂れ下がり、長さ30センチほどになる。肉厚の葉は緑白色で青みがかった扇状の円形で、普通3輪生する。

 花期は9月から11月ごろで、垂れ下がった茎頂の集散花序に多数の小さな淡紅紫色の5弁花をつける。花後は茎葉とも枯れ、根元に出来る芽によって越冬するという。香川県・小豆島特産のミセバヤによく似るが、川上村の個体はそこにのみ見られる奈良県の固有種として、厳重な保護が訴えられている。

 生える場所が滝傍の切り立った人跡未踏の絶壁であるため、採取されることなく、保存状態はよいが、厳密な調査もし難く、学名もつけられていないようで、『大切にしたい奈良県の野生動植物』(奈良県のレッドデータブック2016年改訂版)では仮称の断りが見える。減りもしていないが、増える様子もなく、自生地が極めて厳しい一箇所という存在にあり、絶滅寸前種にあげられている。 写真はヤマトミセバヤ。なお、ミセバヤの名は花が美しいところから見せたいと思う意の昔の言葉「見せばや」によるという。                 ドラマのない人生はない

 

 


大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2018年07月14日 | 万葉の花

<2388> 万葉の花 (137) ごとう (梧桐)= アオギリ (青桐)

        青桐の広葉に風の五月かな

  巻五の雑歌に太宰帥大伴旅人が、対馬結石(つしまゆひし)産の梧桐で作った日本琴(やまとこと)を都の藤原房前に贈った際の書状に認めた二首とその琴を受け取った房前が返した一首が見える。三首とも歌に梧桐の文字は見えないが、序文である書状の内容によって明らかに梧桐の日本琴を詠んだものとわかるので、この一連三首は梧桐に関わる歌として取り上げた。つまり、集中、梧桐に関わる歌は三首ということになる。

  では、旅人の書状から見て見たいと思う。まず、この話は、日本琴の化身琴娘子(ことをとめ)が旅人の夢に現れ、一首を添えて自分の行く末を旅人に哀訴した。夢の中でこの話に心を動かされた旅人がこれに答える一首を詠んで書状に認め、日本琴に添えて房前に送った。その書状は次のようにある。書状冒頭の大伴淡等は大伴旅人のことで、中国風の表記を用いたもの。少し長いが、その全文をあげてみたいと思う。

    大伴淡等(たびと)謹状 

  梧桐の日本琴一面 対馬の結石の山の孫枝(ひこえ)なり         

  この琴、夢に娘子に化(な)りて曰はく、余(われ)根を遥島の崇き巒(みね)に託(つ)け、幹(から)を九陽の休(よ)き光に晞(ほ)す。長く煙霞を帯びて、山川の阿(くま)に逍遥し、遠く風波を望みて、雁木(がんぼく)の間に出入す。唯恐る、百年の後に、空しく溝壑(こうがく)に朽ちなむことのみを。たまさかに良匠に遭ひ、削りて小琴と為る。質あらく、音少なきことを顧みず、つねに君子の左琴を希ふといへり。すなはち歌ひて曰はく

    いかにあらむ日の時にかも声知らむ人の膝の上(へ)我が枕かむ                            巻五(810)  琴 娘 子

   僕(われ・旅人)詩詠に報(こた)へて曰はく

    言問はぬ樹にはありともうるはしき君が手馴れの琴にしあるべし                            巻五(811)  大伴旅人

   琴娘子、答へて曰はく

 敬(つつし)みて徳音を奉(うけたま)はりぬ。幸甚幸甚といへり。片時にして覚(おどろ)き、すなはち夢の言に感じ、概然として止黙(もだ)あることを得ず。故に公使に附けて、聊(いささ)かに進御(たてまつ)る。

   天平元年十月七日 使に附けて進上(たてまつ)る

   謹通 中衛高明閣下 謹空

 「謹空」は謹んで余白を残すという意で、書状の最後に記す言葉である。以上、旅人が梧桐の日本琴に添えて送った書状の内容である。つまり、旅人の夢に現れた梧桐で作られた日本琴の化身琴娘子は「自分は遥かな島の高い山に根をおろし、幹を大空の陽の光にさらしていました。久しく霞を帯びて、山川の間に遊び、遠く風波を望んで、物の役に立てるかどうかわからない心持ちでいました。唯一案じていましたのは、寿命を終えて空しく谷底に朽ち果てることでありましたが、図らずもよい匠に出会い、削られて小さい琴になりました。音色も悪く、音量も乏しいことを顧みず、君子の傍の愛琴となりたいと、いつも願っています」とその身の上を語り、810番の歌を詠んで旅人に訴えた。

  その歌の意は、「どのような日のどういう時になったら私の声(音色)を聞き分けてくださる人の膝の上を枕にすることが出来るのでしょうか」というもので、これに答えて旅人は「僕(われ)詩詠に報(こた)へて曰はく」と、811番の歌を詠んで書状に認め、化身の琴娘子の日本琴と房前の間を取り持った。

 その歌の意は「ものを言わない木ではあっても、立派なお方がいつも膝に置く琴にきっとなることができると思う」というもので、歌をもって琴娘子を励ました。これを聞いた琴娘子は大いに喜んだという次第である。ここで旅人は夢から覚め、そのままじっとしていることが出来ず、公用に託して夢に現れた琴娘子の梧桐の日本琴を房前に贈ったという次第である。書状の内容は以上であるが、これは『文選』の「琴賦」や遊仙窟を参考にした旅人のフィクションによると言われる。

 日本琴とともにこの書状を受け取った都の房前は、次のような歌を認めて大宰府の旅人に返礼したのであった。

  言とはぬ木にもありとも我が背子が手馴れの御琴(みこと)土に置かめやも              巻五(812)  藤原房前

 歌の意は「物を言わない木であっても、あなた(旅人)のお気に入りの琴を私の膝から離し、土の上に置くようなことは致しません」というもの。即ち、以上の三首に梧桐が登場しているので、梧桐を万葉植物に加え、ここにあげた次第である。

            

 梧桐は漢名で、梧桐の「梧」は青い意。即ち、梧桐は現在言われる和名アオギリ(青桐)のことで、アオギリは中国南部原産のアオギリ科(後にアオイ科に変更)の落葉高木として知られる。日本には古くに渡来し、本州の伊豆半島から紀伊半島、四国、九州、沖縄等に野生化していると言われ、現在は公園樹や街路樹としても見られる。高さは十五㍍以上に及び、若い木の樹皮はその名の通り灰緑色で、葉は大きく、掌状に三、五裂し、互生する。

 花期は五月から六月ごろで、枝先に大きい円錐花序を出し、帯黄色の小花を多数つける。雌雄同株で、一つの花序に雄花と雌花が混在する。雌雄とも花弁はなく、花弁状の萼片が五個見える。実は袋果で、熟す前に裂開する特徴を有する。

 材は黄褐色で軟らかく、家具、楽器、下駄などに用いられるが、耐久性は低いとされる。「梧桐の日本琴」はゴマノハグサ科の一般によく知られる桐製で、梧桐もキリ(桐)の意に用いるのが習いと言われるから、この話を聞くに、実際は桐の琴であったが、話を中国風にアレンジするため、敢えて梧桐の表記を用いたのかも知れないと思えたり、梧桐の琴は珍しく、そのため贈り物にしたのかも知れないとも思えたりするところがある。

 写真は左二枚がアオギリの花と実。右二枚はキリの花と実。梧桐のアオギリ(青桐)と普通のキリ(桐)はその質において似るところはあるものの全く別種の樹木で、混同されて来たところがうかがえる。 なお、中国の伝説上の霊鳥鳳凰がとまると言われる木はこのアオギリの梧桐である。

 


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2018年07月10日 | 植物

<2384> 大和の花 (554) アカショウマ (赤升麻)                               ユキノシタ科 チダケサシ属

          

 山地の草地や林縁などに生える多年草で、太く赤みを帯びる根茎を有する。葉は長い柄があり、概ね3回3出複葉で、小葉は長さが4センチから10センチの長卵形。先は尾状に尖り、基部はややくさび形。縁には浅い鋸歯があり、葉柄の基部や節には鱗片状の赤みを帯びた褐色の毛が生えるものが多いが、変異も見られる。

 花期は6月から7月ごろで、40センチから80センチの花茎を直立または斜上し、広円錐状の総状花序に白い小花を多数咲かせる。花序の側枝は長いが、同属のトリアシショウマ(鳥足升麻)のように側枝が更に分枝することはなく、あってもごく一部に過ぎない。小花は長さが3ミリ程度の線状ヘラ形の5弁花で、雄しべは10個、雌しべの花柱は2個。実は蒴果で、秋に熟す。

 本州、四国、九州に分布する日本の固有種で、大和(奈良県)でも見かける。その名は、薬用植物として馴染みの生薬名升麻で知られるキンポウゲ科のサラシナショウマ(更科升麻)の葉や小葉のつき方に似ていることと太い根茎が赤みを帯びていることによると言われる。 写真はアカショウマ(東吉野村ほか・なお、右端の写真は渓流沿いで撮影したものであるが、葉の形状が卵形に近く、先が尾状に長く尖っていることからアカショウマと見た)。   この世は太陽光の赤橙黄緑青藍紫の世界 赤外と紫外も想像してみよ

<2385> 大和の花 (555) アワモリショウマ (泡盛升麻)                      ユキノシタ科 チダケサシ属

                                     

 渓流の岩場などに生える草丈が50センチほどの多年草で、岩場の隙間に生え出しているものから群生してひと固まりになって生えているものまで見られる。時には増水して濁流に曝されることもあり、茎や葉柄は針金のように固く強靭に出来ているところがある。

 葉は3、4回3出複葉で、小葉は菱状披針形から菱状楕円形まで、先は尖り、縁には重鋸歯が見られ、葉には光沢のあるものが多いが、ないものも見られる。花期は5月から6月ごろで、円錐状の総状花序に白い小花を多数つける。本州の中部地方以西、四国、九州に分布する日本の固有種で、大和(奈良県)では標高1400メートル以上の深山でも見られるが、渓間や渓流沿いの岩場でよく見かける。花には甘い芳香がある。

  アワモリショウマ(泡盛升麻)の名は泡が盛り上がったように見える花序の姿によると言われる。よく似るアカショウマ(赤升麻)とは葉の形状によって判別出来る。なお、小型のアワモリショウマは盆栽に適し、よく鉢植えにしたものが売り出されている。学名はAstilbe japonicaで、園芸品のアスチルベは本種の改良品として知られる。別名アワモリグサ(泡盛草)。 写真はアワモリショウマ(下市町ほか)。  つばめ 雨の中の自在

<2386> 大和の花 (556) チダケサシ (乳茸刺)                                  ユキノシタ科 チダケサシ属

            

 湿生植物として知られ、山野のやや湿ったところに生える草丈が30センチから80センチの多年草で、茎や葉柄など全体的に細毛が多く、花序軸には腺毛が見える。葉は2回から4回の奇数羽状複葉で、小葉は長さが1センチから4センチの卵形。先は尖らず、縁には重鋸歯が見られる。

 花期は6月から8月ごろで、花序は細長い円錐状となり、側枝は短く、斜上して淡紅色を帯びる白い小花を多数つける。直径4ミリほどの小花はへら状線形の花弁と萼片が5個ずつで、雄しべは10個、雌しべの花柱は2個。この花が咲き出すと夏も本番。

 本州、四国、九州に分布する日本の固有種で、大和(奈良県)では各地に見られるが、最近、群生しているところが少なくなっている感を受ける。チダケサシ(乳茸刺)の名は、食用キノコのチチタケ(チダケ)を本種の茎に刺して持ち帰ったことに由来するという。 写真はチダケサシ(曽爾高原のお亀池ほか)。   孤独は心理の一端 他者との関係性において意識される

<2387> 大和の花 (557) ヤグルマソウ (矢車草)                      ユキノシタ科 ヤグルマソウ属

                                         

 山地のやや湿気のある林内や渓谷沿いなどに生える高さが80センチから1.2メートルほどになる多年草で、地下茎によって群生することが多い。葉は掌状複葉で、直径50センチに及ぶ。小葉は倒卵形で、先が長く尖り、縁には切れ込みと鋸歯が見られる。この大きな葉が端午の節句に揚げられる鯉幟の矢車に似るところからこの名があるという。ヤグルマソウはキク科のヤグルマギク(矢車菊)の別名と同じで、一般にはキク科の方が馴染みがあるが、山でヤグルマソウと言えば、ユキノシタ科の本種を指す。

 花期は6月から7月ごろで、高く直立する花茎の先に長さが20センチから40センチの円錐状の花序を出し、白色の小花を多数つける。小花に花弁はなく、花弁状の萼片が5個から7個つく。雄しべは8個から15個。実は他種と同じく蒴果で、熟すと弾ける。

 北海道西南部と本州に分布し、国外では朝鮮半島に見られるという。大和(奈良県)では紀伊山地に見られるが、減少が続き、奈良県のレッドリストには絶滅の危機が最大レベルの絶滅寸前種にあげられている。 写真は大峰山脈の標高1650メートル付近の岩場で撮影したもので、矢車のような葉と白い大きな花序が印象的だった。ひと固まりになって見られたが、現在は安全柵の整備のため圧せられ、小さな株になってわずかに残る程度になっっている。  生は流転する

 

 

 

 

 


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2018年07月09日 | 写詩・写歌・写俳

<2383> 余聞、余話 「この度の西日本における水害に思う」

      罔と殆この身一身励むほかあらざり思ひの袖に絡まる

 西日本一帯におけるこの度の洪水や山崩れなどの雨による災害は前線上に発生する線状降水帯による長時間に及ぶ膨大な雨量によって起きた。これは日本列島の気象的特殊性によるところ。地球温暖化の影響が大きいか、近年の現象傾向として見られる。技術力をつけ向上して来た気象予報はその悪夢的状況をよく見据え、予報において警戒を呼び掛けていた。にもかかわらず、甚大な被害が出た。なぜなのだろう。そして、この種の災害はなぜ繰り返し起きるのか。検証しなければならないところである。

  忘れもしない平成二十三年(二〇一一年)八月の末、台風十二号によってもたらされた降水帯の長雨による紀伊半島の被害は甚大だった。あれから線状降水帯の影響が問題視されるに至ったが、それ以後も、栃木県の鬼怒川の氾濫、昨年の北九州の豪雨災害、そして、この度の西日本の広い範囲に起きた洪水や山崩れによる被災と立て続けである。これらはみな同じような線状降水帯の発生が要因となっている。

  3・11の東日本大地震を契機とする地震対策は進んでいるようであるが、この線状降水帯による被害の発生については効果的な防御策がないまま今日に至り、同じ災害が各地で起きている。地震もさることながら洪水や山崩れによる災害は人命をも巻き込み、生活の基盤そのものに大きな打撃を与え、被災者を路頭に迷わせている。地震と違い、予報に確実性が持てる時代になったにも関わらず、この情報が生かされず、またしても甚大な被害が出てしまった。これはどうしてなのか。検証する必要があるだろう。

  それは私たちに何かが足りないからに違いない。その何かを探り、対処しなければ、こうした雨による災害はまたどこかで起き、そのたびに犠牲者を出して右往左往することになる。防災、減災の掛け声は高らかであるが、毎年のように何処かで起きているこの線状降水帯の豪雨の長雨による災害は収まる気配がないところにある。この突きつけられた事実を地域的個別のことと見なすのではなく、抜本的対策が必要な時代になった。今回の災害はそれを感じさせる。

                       

  思うに、線状降水帯の出来るのが止められないのであれば、それに対処して対策を講じるほかにない。その対策の基になる災害の要因分析を十分にし、それに基づいて対処する必要がある。そのためには被害地の調査をはじめとするところからはじめなければならない。だが、それが個別の一過性として捉えられ、災害に至った問題点が国レベルで共有されることなく、見過ごされて来た点があげられる。言わば、同じような災害が起きても、以前の災害の教訓が生かされず、また以前と同じように右往左往する状況が生じ、同じ悲劇が繰り返されているのが実情と言ってよい。

  つまり、災害が地域的なもので、一過性という考えの支配によって、他地域においては他人事の無関心が抜本的な防災対策の進まない要因になっているようなところがある。要するに、そこには過去の経験が生かされず、現在があるという状況が言えるわけで、この連続する被災の状況が収まらずあるのは、ここに大きい一因があると見て取れる。こうした考え方を持たず、災害を他人事として受け止めている以上、またいつか、どこかで同じ悲劇が繰り返される。もっと抜本的な対策が必要に思える。

  この度の洪水の状況を見ると、広島市にしても、倉敷市にしても中心部の市街地は被災しておらず、近郊の住宅地が洪水に見舞われている。これは何を意味しているのか。こうしたところから分析して対策は練られて行かなくてはならない。例えば、水が大量に出ると、水はどのように流れ、どこに溜まって被害を及ぼすことになるか、こういうのをシミュレーションし、対策すること。これが肝心なように思われる。

  今一つには中山間地域や新興住宅地の山崩れや土砂崩れによる被災が顕著に見られること。これについてもこの種の豪雨による被害の一端として認識される。これについても事前の対策が求められる。それは地域の住宅政策にも関わることであるが、どちらにしても、毎年、同じような災害が起き、泣きを見ている人々がいる。これは何とも歯痒い現象である。

  とにかく、毎年同じような半端でない雨による災害が起き、どこで起きてもおかしくないような状況にあって、何も対策がなされずにいるという鈍感さが重ねられている様相がこの度の災害にも現れた。どうすればよいのか、知恵が求められて止まない。 写真はこの度の洪水。左は倉敷市真備町、右は広島市安佐北の状況 (NHK総合テレビのニュース解説の画面による)。

 


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2018年07月06日 | 植物

<2380> 大和の花 (551) ツリフネソウ (釣舟草)                  ツリフネソウ科 ツリフネソウ属

        

 山野の湿ったところに生える高さが50センチから80センチほどになる1年草で、湿潤な山道の傍などで群生し、ひと固まりになって花を咲かせているのに出会うことがある。1年草なので毎年同じ光景が見られるとは限らない。

 赤みを帯びる茎には節があり、葉は長さが5センチから13センチの楕円形乃至広披針形で、先は細長く尖り、縁には粗く鋭い鋸歯が見られ、柄を有して互生する。花期は7月から9月ごろで、上部葉腋から花序を斜上し、普通葉よりも上に数個の花を細い花柄に垂れ下げる。

  花は袋状の萼と3個の唇弁からなり、下唇の2個は合着して大きく、花全体が紅紫色で、内側に紫色の斑紋があり、距が袋状の筒部の先に突き出して細く尖り、下側に巻く特徴が見られる。ツリフネソウ(釣舟草)の名は、この細い柄にぶら下がった花の姿が帆掛け船に、また、花器の釣舟に似ることによると言われる。

  白い花も見られると言われるが、私はまだ出会ったことがない。筒状の距には蜜が溜まり、この蜜によって虫を誘う典型的な虫媒花で知られる。蒴果の実は熟して物に触れると弾けて種子が飛び散るので、実を手で触ってみると熟しているかどうかがわかる。

  北海道、本州、四国、九州に分布し、国外では朝鮮半島、中国、ロシア東南部に見られるという。大和(奈良県)では各地に見られ、山足の湿地でよく見られる。食用や薬用の話は聞かない。 写真はツリフネソウ。左から群生の花、花のアップ(葉より上部に花が咲くのが特徴で、他種との判別点になる)。  期待は他を頼る心による

<2381> 大和の花 (552) キツリフネ (黄釣舟)                      ツリフネソウ科 ツリフネソウ属

                     

 山地の湿ったところに生える高さが40センチから80センチの1年草で、ツリフネソウの仲間である。葉は長さが4センチから8センチの長楕円形で、先は鈍く尖り、粗い鋸歯が見られる。花期は6月から9月ごろで、上部の葉腋から花序を垂れ下げ、黄色乃至は淡黄色の長さが3、4センチの花を細い柄の先に釣り下げ、葉の下側に位置して咲く。また、花はツリフネソウとほぼ同じ唇弁の花であるが、黄色であり、後ろに突き出す距の先が垂れ下がり、巻かない違いがある。

 北海道、本州、四国、九州に分布し、ユーラシアから北アメリカに広く見られるという。大和(奈良県)では高原地帯から標高1400メートル付近の深山にも見え、花が黄色の濃いものと薄いもの、また赤褐色の斑紋がはっきりしているものと全くないものなどタイプの異なる花があり、深山では比較的淡黄色に赤褐色の斑紋が入るものが多い印象を受ける。 写真はキツリフネ。左から濃い黄色の花、内側にわずかな赤褐色の斑紋が入る花、淡黄色に赤褐色の斑紋が目につくタイプの花。 本能は生きものの証

<2382> 大和の花 (553) ハガクレツリフネ (葉隠釣舟)               ツリフネソウ科 ツリフネソウ属

             

 山地の湿った林縁や道端などに生えるツリフネソウの仲間の1年草で、高さは30センチから80センチほどになる。葉は長さが4センチから15センチの菱状楕円形で、先は細長く尖り、縁には鋭く粗い鋸歯が見られる。花期は7月から9月ごろで、葉腋から花序を垂れ下げ、ツリフネソウによく似た唇形の花をつける。

  花は紅紫色から淡青紫色まで変化が見られ、内側に濃い斑紋が入る。名にハガクレ(葉隠)とあるのは花が葉の下に隠れるように垂れ下がるから。花の後ろに突き出る蜜を貯める距の先が内側に曲がるが、ツリフネソウのように巻き込むことはない。蒴果の実は熟すと弾ける。

 本州の紀伊半島から四国、九州に分布を限る襲速紀要素系植物として知られる日本の固有種で、大和(奈良県)ではほぼ吉野川水系に沿う中央構造線の南側、西南日本外帯に当たる紀伊山地に分布し、奈良盆地や大和高原など北側の内帯では見かけない。 写真はハガクレツリフネ(天川村ほか)。 生きている証の 街を行く雨傘