大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

日ごろ撮影した写真に詩、短歌、俳句とともに短いコメント(短文)を添えてお送りする「大和だより」の小筥集です。

大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2018年02月05日 | 植物

<2229> 大和の花 (432) カラスザンショウ (烏山椒)                     ミカン科 イヌサンショウ属

      

 日当たりのよい二次林の林縁などで普通に見られる落葉高木で、大きいもので高さが15メートル、幹は直径60センチほどになり、傘を開いたような樹形の傘状樹冠で知られる。樹皮は灰褐色で、短い刺があり、古木になると、刺がなくなり、刺の基部の突起が疣状に多数残る。新枝は緑色を帯び、これにも短い刺がある。葉は長さが30センチから80センチの奇数羽状複葉で、小葉は長さが5センチから15センチの長楕円状披針形で、7対から15対つく。先は尾状に鋭く尖り、基部は円形。縁には鈍鋸歯があり、裏面は粉白色で、油点が見られる。葉は枝の上部に集まってつき、傘になる。

 雌雄異株で、花期は7月から8月ごろ。枝先、つまり、開いた傘のような葉の上側に10センチから20センチの散房花序を出し、緑白色の小さな花を多数密につけ、樹冠を飾る。花弁、萼片はともに5個で、雄花では雄しべが5個。雌花では緑色の子房、柱頭が目につく。蒴果の実は3個に分果し、冬に入ると熟して裂開し、黒い球形の種子が現われる。

 本州、四国、九州、沖縄に分布し、朝鮮半島南部、中国、台湾などに見られるという。大和(奈良県)では普通に見られ、冷温帯下部の深山でも見かける。森林のギャップ(隙間)などにいち早く生え出す陽樹の一つとして知られる。カラスザンショウ(烏山椒)の名はサンショウ(山椒)に似ているが、利用価がないことによると言われるが、古くはオオタラ(大楤)と呼ばれ、地方名にもクマダラ(熊楤)、オトコダラ(男楤)といった名が見られるように、幹に刺があり、葉が複葉であるウコギ科のタラノキ(楤の木)に擬せられてその名があったという。

 どちらの名も然りであるが、利用価値は結構あって、黄白色の材は、キリ(桐)に似て軽く軟らかいので下駄などに利用され、ところによってはヤマギリ(山桐)とも呼ばれて来た。 また、生薬名を食茱萸(しょくしゅゆ)と称する薬用植物としても知られ、実を煎じて健胃薬に用いて来た。 写真はカラスザンショウ。左から花を咲かせた傘状樹冠、花の枝々、花序のアップ(上北山村ほか)。 春を待つものに日の差し庭の面

<2230> 大和の花 (433) イヌザンショウ (犬山椒)                                                ミカン科 イヌザンショウ属

                    

 林縁や川筋などに生える落葉低木で、高さは1メートルから3メートルほどになる。樹皮は灰緑色で、若い枝は緑色から赤褐色まで変化がある。刺は対生状につくサンショウ(山椒)に対し、1個ずつ互生してつく違いが見られる。葉は10センチから20センチの奇数羽状複葉で、小葉は長さが2センチから5センチほど。広披針形乃至は長楕円形で、先は細くなって尖り、基部はくさび形、縁には鈍鋸歯が見られ、数対から10対ほどつく。

 雌雄異株で、花期は7月から8月ごろ。枝先に長さが3センチから8センチの散房状花序を出し、黄緑色の小さな花を多数密につける。蒴果の実は3個に分果し、分果は直径数ミリの球形で、秋になると褐色に熟し、裂開して球形の黒い光沢のある実を現わす。

 本州、四国、九州に分布し、朝鮮半島、中国にも見られるという。大和(奈良県)ではほぼ全域で見られるが、個体数はあまり多くないと言われる。イヌザンショウ(犬山椒)の名はサンショウ(山椒)に似るが、役に立たないと見られていたことによる。しかし、「サンショウのような芳香がないので、その代用にはならないというだけのこと」とも言われ、枝葉や実は利用されて来た。

   まず、枝葉や実を乾燥し、薬用として、煎じ服用すれば咳止めによいとされ、乾燥した葉を粉末にして卵白と練り合わせ打撲傷の患部に塗布して来た。また、実からは灯火用の油も採った。 写真はイヌザンショウ。左から川岸で花を咲かせる個体、花をつけた枝木、花序のアップ(野迫川村、曽爾村、十津川村)。   乞ふ身この待つ身この身の早春賦

<2231> 大和の花 (434) サンショウ (山椒)                                                   ミカン科 サンショウ属

           

 丘陵や低山の林内や林縁のやや湿り氣のあるところに生える落葉低木で、高さは1メートルから5メートルほどになる。樹皮は灰褐色で、刺や疣状突起があり、ごつごつとして見える。若い枝は緑色または赤褐色で、葉柄の基部に長さが1センチ前後の赤褐色の刺が対生状につく特徴がある。葉は長さが5センチから20センチ弱の奇数羽状複葉で、葉軸にはわずかな翼が見られる。小葉は長さが1センチから4センチ弱の卵状長楕円形で、先はあまり尖らず、縁には波状の鋸歯があり、若葉には短い刺がつくこともある。

 雌雄異株で、花期は4月から5月ごろ。枝先に数センチの円錐花序を出し、淡黄緑色の小さな花をつける。雄花は雄しべが花被より長く外に突き出し目につく。雌花は子房が2個で、花柱は離生する。野生の雌株は非常に珍しいと言われる。蒴果の実は2個に分果し、分果は球形で、秋に赤褐色乃至は紅色に熟し、裂開して光沢のある黒い楕円状球形の種子を1個現わす。熟した実は鮮やかに見える。

 北海道、本州、四国、九州に分布し、朝鮮半島、中国にも見られるという。大和(奈良県)ではほぼ全域に見られ、イヌザンショウよりも多く、植栽もとくされる。これは利用価値が大きいためで、実の大きい兵庫県但馬地方産のアサクラザンショウ(朝倉山椒)は名高い。まず、新芽と若葉は木の芽と呼ばれ、薬味として和え物、田楽などに用いられる。京都鞍馬の木の芽漬けはよく知られる。

 また、雄花は花山椒、青い未熟の実は実山椒と呼ばれ、佃煮に。熟した実を粉末にしたものは粉山椒と呼ばれ、これはウナギの蒲焼きに欠かせない香辛料として広く用いられている。ほかにも、「山椒は小粒でぴりりと辛い」と言われるように、七味唐辛子にも入れられる。一方、材質は堅く折れ難いので、幹はすりこぎにされることが多い。薬用としては、健胃に果皮の粉末を服用し、水虫や皮膚のかぶれには果皮の煎汁を患部に塗布し、腐敗防止には実を用いるといった具合である。

  なお、サンショウ(山椒)の名は、椒が実の辛いものを指し、山の辛い実の意によると言われる。サンショ、ハジカミの別名でも知られる。漢名は蜀椒、秦椒。 写真はサンショウ。左から花どきの雄株、雄花を咲かせる若枝、ヒョウモンチョウの来訪を受ける雄花、熟した実が紅く彩る雌株。植栽起源か(曽爾村、十津川村)。   早春賦あなたの幼きころの頬

 


大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2018年02月04日 | 写詩・写歌・写俳

<2228> 余聞、余話 「立春」

       立春や夢は明日への歩の中に

 私たちが知るところの地球は、太陽の惑星で、太陽に対し約23.4度の地軸の傾きをもって自転しながら太陽の周りを公転している。自転も公転も一定の速度で、地上に昼と夜があるのは自転により、一年のサイクルは公転によっている。そして、約23.4度の地軸の傾きをもって公転しているので、その角度に影響されやすい温帯に位置する日本は春夏秋冬の気温的変化がはっきりとした四季の国のとしてあることになる。

  つまり、こうした地球と太陽との関係性において地球上の自然環境は基本的に成り立っており、地球上に生存する生きものたちは、この自然環境に順応しながら生を営んでいるということになる。このようにして、日本列島誕生の遠い昔から日本はずっと四季の国であり、この列島に住む日本人はそのはじめから春夏秋冬の自然環境に影響されながら、その影響下の風土の中で生き継ぎ暮らし、今に至っているわけである。

  もちろん、気温の変化だけが風土の要素ではないが、四季の巡りがはっきりしているということは、風土に大きく影響し、私たちの暮らしに関わっていると言える。そして、その影響は、私たちそれぞれのキャラクターにも及び、日本人の特性にも現れていると考えられる。今日は立春で、暦の上で春を迎える日である。実際の春には少しばかり早く、春は名のみというような気分の現われも言える日であるが、これは日本に特徴的なもので、春の訪れを乞い願う日本人らしさの現われと言ってよく、日本人の情緒につながっている。

  こうして、春を告げる立春はあるわけで、その後、本格的な春の訪れがあり、草木は芽生え、私たちの心を和ませる。春の次は旺盛な成長が見られる夏で、夏の次は実りの秋、収穫の季節で、それが終わると、冬籠りの冬となり、冬の寒さを凌いで、また、春へと巡ることになる。こうした四季の変化の中で私たちは育まれ、暮らしていることになる。私たちは日ごろ気づかずにいるが、或いは地球の地軸の傾きに影響され、生きているということが言えるわけで、立春の日くらいは天動説的気分を離れ、地動説に思いを馳せるのもよいのではないかと思える。で、このような当たり前のことを記すことになった次第である。 

          

 立春の今日は寒波の襲来で、大和地方は晴れたり曇ったり、ときに雪が舞い、終日、寒風が吹き荒れて、体感温度の厳しい一日になった。午前中、スケッチのつもりで斑鳩三塔の法起寺に出かけた。法起寺の佇まいも春は名のみの感で、群雀が枯れ草の中に入り、落ち穂を啄んでいるのだろう、ときに、ぱっと飛び出し、寒風の勢いに押されがちに塔の大屋根に飛び行くのが見られたりした。

 大屋根には北西からの寒風を避け、日当たりのよい東面に陣取る雀が、日向ぼっこをしているように見えたのでカメラを向けた。 写真は日当たりのよい法起寺三重塔の大屋根で寒さを凌ぐ雀たち。では、今一句。   雀たち並んで日向ぼっこの子


大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2018年02月03日 | 写詩・写歌・写俳

<2227> 余聞、余話 「節分」

      恵方巻き食べて恵方の方位知る

 旧暦の昔は、概ね二月四日の立春が一年の始まりで、今の元旦に当たり、元旦の前日、即ち、一年の最後の日である大晦日に当たるのが節分の日で、今日二月三日は節分の日ということになる。大晦日には、これまでの悪弊を断ち切って新年を迎えたいという気持ちによって年越し蕎麦を食べ、穢れを祓う除夜の鐘を撞いて新しい年を迎える。

          

  旧暦では、新しい年を迎えるに際し、一年の悪弊を追いやる鬼追いの追儺式が行なわれ、歳神さまである歳徳神を迎えるため、歳徳神が回座している恵方(吉方)を大切にし、近年になってこの方位に向かって太巻き寿司である恵方巻きを頬張るのが慣わしになって、今に至っている次第である。今年の恵方は丙(ひのえ)の方角、つまり、南南東に歳徳神が回座しているので、その方位に向かって恵方巻きを食べるのがよいとされ、黙して食べるのがよいという。バレンタインデ―のチョコレートと同じように、最近では、節分の恵方巻きも商戦に乗っかって華々しく、さまざまな恵方巻きが売り出され、店頭を賑わせているといった具合である。迷信でも何でもよいということで、我が家でも恵方巻きに与かった。

  一方、除夜の鐘に等しい追儺の鬼追いの「鬼は外、福は内」の豆撒きは各地の寺社で行なわれ、一般家庭でも行なわれる。今年も法隆寺西円堂の追儺式の鬼追いの火祭りに出かけてみた。法要のあと、午後七時半ごろから始まり、黒、青、赤の三匹の鬼が松明を投げつけるなどして暴れ回ったが、最後に毘沙門天が登場して鬼たちを追い払って終わった。 写真は我が家の恵方巻きと法隆寺西円堂の鬼追い。 松明を振りかざす赤鬼(左)と鬼に振り回される松明の炎(右)。 では、今一句。  節分や鬼の哀れも思ふべし

 


大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2018年02月02日 | 写詩・写歌・写俳

<2226> 余聞、余話 「アオバト」

        命あるものの切なさ自愛もて生きゐよ汝のその身の上を

 このところ日本列島は寒波の襲来によって北国では大雪に見舞われているが、大和(奈良県)でも冷え込みの厳しい日が続いている。この厳寒の中、広陵町の馬見丘陵公園に珍しいアオバト(緑鳩)がやって来て、このところ野鳥愛好家の注目を集めている。

                           

 アオバトはハト科アオバト属の留鳥もしくは渡り鳥で、昔はヤマバト(山鳩)と呼ばれていたこともある。体長は30センチほど、全体的にオリーブ色で、オスは黄色と赤色を交え、メスはオスより地味で、ともに虹彩と嘴は薄青色をしている。植物の実を好んで食べ、繁殖期は六月。日本、中国、台湾に棲息し、北海道のアオバトは夏鳥で、秋になると本州に渡る。本州、四国、九州のアオバトは留鳥として知られ、南西諸島から台湾、中国のアオバトは冬鳥として渡る。大和(奈良県)のアオバトは留鳥と考えてよさそうであるが、その行動は定かでなく、謎の多い鳥のようである。

 特に謎とされているのは、群をつくって海水を飲みに海岸に現われると言われ、よく目撃されている。ミネラルの補給ではないかとの見方もあるが、はっきりしたことはわかっておらず、全てのアオバトが同じ行動を取るかと言えば、そうとも言えないようである。

                               

  春に金剛山(1125メートル)に登ったとき、山頂近くのブナ林帯で鳥を撮影している人に出会い、何を撮っているのか訊ねてみたら、アオバトと言っていたので、馬見丘陵公園に姿を見せているアオバトは、もしかすると、厳しい寒さと積雪に追われて、それほど遠くない金剛山から下りて来たものかも知れない。季節が進み、暖かくなれば、また、山に帰るのではなかろうか。言わば、この馬見丘陵公園のアオバトは今冬の寒さを象徴しているようにも受け取れるところがある。

 公園には自然林があって、草木の実が豊富なところで、アオバトにはよい場所ということになるのだろう。この間からメス二羽が樹高15メートルほどの常緑高木であるツクバネガシの枝に止まり、野鳥愛好家の人たちが集まってカメラを向けているという次第である。 写真上段は二羽のアオバト。下段はアオバトの撮影に当たる野鳥愛好家の人たち (馬見丘陵公園)。 

 


大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2018年02月01日 | 写詩・写歌・写俳

<2225> 余聞、余話 「皆既月食」

      月食もあれば雪降ることもまたありてこの身の生はあるなり

            

  一月三十一日の夜、皆既月食を見た。午後八時五十分ごろ欠け始め、霞のような薄雲がかかっていたが、満月が徐々に欠けて行く様子は見られた。しかし、太陽と地球と月が一直線に並び、満月の月が完全に地球の影に入り、太陽の光の中でよく屈折する赤色によって隠れた月が赤銅色に見える状態に至ったとき、薄雲が少し厚くなった感があり、肝心な写真が撮れなかった。という次第で、欠け始めからの写真を並べてみた。これが大和国中の観月の結果で、多分、何処から見ても大差のない皆既月食だったと思われる。

                                        

  二月一日の今日は朝から雪模様で、霙に変わる生憎の天気になった。立春が近いが、今年は寒さが持続している感がある。この雪も月食に同じく天体の姿、自然の様相にほかならない。果して、私たちの生、即ち、喜怒哀楽などもこの天体の内なる一片、微々たる仕儀ではないかと思えたりする。 写真上段は皆既月食の前半の様子。下段は刈田に積もった雪(斑鳩の里)。