大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

日ごろ撮影した写真に詩、短歌、俳句とともに短いコメント(短文)を添えてお送りする「大和だより」の小筥集です。

大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2012年04月23日 | 写詩・写歌・写俳

<234> 金剛力士

    春もまた やはり仁王は 睨みをり

 金剛力士と言えば、口を開いた阿形像と口を閉じた吽形像が一対になってお寺の門の両脇から睨みを利かせ、お寺を守護している仁王(二王)像がお馴染みで、私が知る限りみな強さを鼓舞した力強い立像である。代表的なのは東大寺南大門の仁王像で、建仁三年(一二〇三年)に運慶をはじめ、快慶、湛慶らによって作られたとされる高さが八.四メートルに及ぶ見上げるような木像で、国宝に指定されており、大仏殿のスケールに合わせて作られているのがわかる。

 一方、最も古いのは法隆寺中門の仁王像で、高さが八メートル弱、世界最古の木造建築物として有名な五重塔内部に安置された塑像と同じ奈良時代の塑像である。損傷が激しく、修復がなされ、吽形像の体部は木で補作されており、国宝の指定はなく、重要文化財に止まっている。また、大和で古く名高いのは金峯山寺仁王門の仁王像で、五メートル余。木造で、延元元年(一三三六年)の作と言われる。ほかにも見られるが、ここでは略す。

 これらはみな門に配置され、阿吽が対になってお寺を守っている形式であるが、元は釈迦を守護する執金剛神一体であったと言われ、この形式のものが東大寺法華堂(三月堂)に見られ、秘仏として堂内に安置されている。高さは門の仁王像より小さく一.七メートルほどの塑像で、仁王像に見られる裸体の型ではなく、甲冑を纏っている特徴があり、大仏殿が出来る以前のものと言われ、国宝である。

 法華堂には堂内に今一つの金剛力士像があり、こちらは一対で、本尊の不空羂索観音菩薩を守護する八部衆として安置されている。これは天平仏で、八部衆九体すべてが国宝に指定されている。脱活乾漆造の阿吽の仁王像で、高さが三メートル余、同じく甲冑を纏う形式である。

 なお、堂内に安置されている金剛力士像(仁王像)で古いものが大和にはもう一つある。興福寺の西金堂に安置されていた鎌倉時代の高さ一.五メートル余の木像で、国宝に指定されており、現在は国宝館で披露されている。その表情から言って向かって右が阿形像で、左が吽形像であると言われる。

 このように阿吽が一対になっている金剛力士像(仁王像)は、概ね向かって右に阿形像、左に吽形像が配置されているが、東大寺の二対はこれと反対で、向かって右に吽形像が配され、左に阿形像が置かれている。この配置については定説がないようであるが、理屈があるのではないかと思われるが、どうであろうか。

 一つに「阿」というのは声を上げることであり、誕生時を意味し、「吽」は声を出さず黙することで、死の時を意味する。また、仏教発祥に関わるサンスクリット語の最初の言葉が「あ」で、我が国の「あいうえお」もこれに倣っているようであるが、終わりが「ん」で阿吽像もこれに関わるという考えがある。

 これに対し、阿吽の仁王像ははじめ一つの神であって、これが阿吽の二体に分かれたという。つまり、「阿」は陰陽の陽で、「吽」は陰と見なし、男女一対にして仏の世界を守るという考えもある。こちらも宇宙的な理念に沿って考えられたことがうかがえる。以下は私見であるが、人生は「阿」に始まり、「吽」に終わる阿吽の間の修行の道であって、この一対の金剛力士の仁王像が見守るところをゆくのが衆生たる私たちで、潜り行く門の時空が即ち人生の時空であると考える。とするならば、仁王像の配置は阿形像が向って右で、吽形像が左ということで落ち着くと言えそうである。

 少し詳しく説明すれば、誕生、つまり、ことの始まりで言えば、東西では太陽の昇り来る東、つまり、向かって右に始まりの阿形像を配置すれば説明がつくわけである。ところが、肝心の東大寺の二対がその反対になっているので仁王像の陰陽説が浮上して来ることになる。神社の狛犬なんかでも言えるが、左右の阿吽像は向かって右に阿形像が来る。これは紫宸殿の天皇と皇后の並びにも当てはまる考えで、どちらでもよいというのではなく、そこには法則がないにしても、何らかの基準というものがあると言ってよい。

 で、いま一度、金剛力士を考えるに、金剛力士ははじめ執金剛神一体であって、それが陽と陰に分かれ、阿形が陽で男の那羅延堅固王、吽形が陰で女の密迹金剛力士になり、配置されたということで、この説の二体を男女ということで言えば、内裏雛の並びと同様、男女の自然な関係において東大寺の配置、つまり、向って右に吽形像の女体を、左に阿形像の男体を配置することはまこと自然で、落ち着くことになる(<175>「雛人形」の項参照)。

 ということで、どちらでもよいと言えば、どちらでもよいようなもので、結論は出ないが、ものの考え方、つまり、精神上のことを思えば、どちらにしても、ここはやはり理屈が必要になって来ると思う。まして、人生における精神上のことを与かっている仏の世界であれば、単なる配置とは言え、金剛力士(仁王)の阿吽像の配置の問題には理屈が必要と言える。

 ここで、思うに、「日に非ざれば明らかならず」が仏教の根本精神のところにあることを思えば、日の昇り来る方、つまり、向って右の東側に阿形像を配置する大方のやり方が妥当と言え、東大寺のように逆位置に配置する場合は金剛力士像(仁王像)を男女一対と考える見方によるのではないかということが考えられるわけで、これで見れば双方納得ゆく理屈がつけられることになる。まだほかにも考え方や見方があるかも知れない。

 今日は歩きながら、ふと、この金剛力士(仁王)のことが思われたのであった。 写真は左の二つが東大寺南大門の阿形像と吽形像。右の二つが法隆寺中門の吽形像と阿形像。 春は旅行シーズンで、東大寺の南大門の参道も法隆寺の中門前も参拝者や行楽客で連日賑わっている。