大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

日ごろ撮影した写真に詩、短歌、俳句とともに短いコメント(短文)を添えてお送りする「大和だより」の小筥集です。

大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2012年04月29日 | 祭り

<240> おんだ祭り (御田植祭) (15)

          その昔(かみ)も 今も変はらぬ あれあのその あれあのそのの この世なりけり

 大和高原の一角にある奈良市吐山(はやま)町の恵比須神社と下部(おりべ)神社でおんだ祭り(御田植祭)が行なわれた。恵比須神社と下部神社は一つ山の両脇に隣り合わせに鎮座する神社で、ここのおんだ祭り(御田植祭)はお渡りの行列と幼児によるお田植えの所作、それに小学生による的打ちの行なわれるのが特徴としてあげられる。

 お渡りは幟を先頭に下部神社を出発、恵比須神社を経て神社周辺を一周した後、もと来た道を引き返して行なわれるもので、神輿の代わりに作られた榊を飾った輿を「神子(かんこ)」と呼ばれる五人の小学生たちが担ぎ、この輿を中心にして総勢三十人ほどが三十分ほどをかけて歩くもので、この日は暑く、途中で休む光景も見られた。

 お田植えは、お渡りが終わった後、まず下部神社で行なわれ、次に恵比須神社に移って行なわれた。各地区から選ばれた「式士(しきし)」という年配の男子によって田打ちの所作が行なわれ、続いて「御田子(おんだこ)」と呼ばれる稚児が父親とともに苗に見立てたスギの葉を投げてお田植えの所作をした。

 次に的打ちが行われ、「射手乳子」と呼ばれる小学生が、赤い装束を身に纏い、タケの棒に挟んだスギの板を弓矢で射ぬいていった。三度場所を変えて行い、一枚一枚、計九枚の板を射た。説明によれば、この的打ちは男女の合体を表しているということで、この稚児によるお田植えと小学生による的打ちは、おんだ祭り(御田植祭)が五穀豊穣と子孫繁栄を願って行なわれる農耕に因む祭りであることをよく物語っている。

 なお、この的打ちは『古事記』の神武天皇の項を思わせるところがあって、おもしろく感じられた。それというのは、この的打ちの所作が神武天皇の妃になる比賣多多良伊須氣余理比賣(ひめたたらいすけよりひめ)の出生の逸話における表現手段と重なるところがあるからである。

 祭りは、最後に御供撒き(餅撒き)が行なわれ、これをもって終了した。ところで、大和高原のこの辺りも過疎化現象が見られ、子供が少なくなり、祭りに必要な人数が集まり難く、男子のみで行なわれて来たこの祭りも女子を加えてはどうかという意見の具申がなされているという。何か皇室の事情に似ている気がするが、これは我が国が直面している課題に等しく、日本の縮図と言ってよい現象であるように思われる。

 写真は左からお渡りの行列、神子に担がれてゆく神輿の代わりの榊、式士による田打ちの所作、御田子によるお田植えの所作、的打ちでみごとに仕留めた射手乳子の男児、御供撒きで賑わう恵比須神社の境内。

                                  


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