大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

日ごろ撮影した写真に詩、短歌、俳句とともに短いコメント(短文)を添えてお送りする「大和だより」の小筥集です。

大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2015年04月06日 | 写詩・写歌・写俳

<1309> 散り敷くサクラの花に寄せて

      散る花に 寄する思ひの 昨日今日 昨日に勝る 心を汲まむ

 大和路でサクラ(ソメイヨシノ)が咲いて見ごろを迎えたのは四月に入ってからだったが、ちょうどよい満開の時期に天候不順になり、今年の花は長持ちしそうにない。昨日、今日の雨模様の中、花は散り急ぐのを余儀なくされている。で、雪かと見紛う散り行く花と散り敷く花の光景がそこここの花見所で見受けられた。言わば、昔も歌に詠まれた光景である。では、二、三その雪に重ねた花の例歌をあげてみよう。

   沫雪かはだれに零ると見るまでに流らへ散るは何の花ぞも                   『万葉集』  巻  八 (1420)   駿 河 采女

   みよし野の山べにさけるさくら花雪かとのみぞあやまたれける               『古今和歌集』 巻一 春歌上 (60)  紀友則

   又やみんかたののみのの桜狩花の雪散る春の明けぼの                   『新古今和歌集』 巻二 春歌下 (114)  藤原俊成

 『万葉集』の歌では「花は白梅であろうか」との声もあり、巻五に「わが園に梅の花散るひさかたの天より雪の流れ来るかも」(822・大伴旅人)や「妹が家に雪かも降ると見るまでにここだも乱(まが)ふ梅の花かも」(844・小野國堅)といった歌も見え、『万葉集』における雪と見紛う花は白梅というのが通例と言え、サクラではないようである。ウメは中国が原産で、庭園に植えられ、身近な光景として見られたことが思われる。

           

 『古今和歌集』の歌はサクラの花を詠んだもので、これはヤマザクラに相違ない。で、この花は散る花ではなく、今を盛りに咲く花を積もった雪に見間違うと詠んでいる。次の『新古今和歌集』の例歌も同じくサクラの花を詠んだものであるが、こちらは散る花を降る雪に重ねているのがわかる。

 「かたの」は交野で、在原業平の『伊勢物語』でお馴染みのサクラの名所である。物語の八十二段には次なる名高い問答歌が見える。即ち、「世の中にたえて桜のなかりせば春の心はのどけからまし」と言えば、「散ればこそいとど桜はめでたけれうき世になにか久しかるべき」と対している。ともに、サクラの花へのこだわりがうかがえる。

 このサクラの花へのこだわりは、時代が下って現代になってからも続いている。晩唐の詩人千武陵の「勸酒」と題した五言絶句に「勸君金屈巵 満酌不須辭 花發多風雨 人生足別離」というのがある。この漢詩を井伏鱒二は「この杯を受けてくれ どうぞなみなみ注がしておくれ 花に嵐のたとえもあるぞ さよならだけが人生だ」と訳し、一躍知られることになったが、この詩を受けて寺山修司は次のような言葉を発している。

    さよならだけが人生ならば また来る春は何だろう

    はるかなる地の果てに咲いている野の百合は何だろう

    さよならだけが人生ならば めぐり会う日は何だろう

    やさしい やさしい夕焼とふたりの愛は何だろう

    さよならだけが人生ならば 建った我が家は何だろう

   さみしい さみしい平原にともす灯りは何だろう

   さよならだけが人生ならば 人生なんかいりません

 散り行く花は無常とも更新とも取れようが、元に戻れない時の特質における生の個をして言えば、やはり行き着くところはみな同じ「さよならだけが人生だ」ということになる。咲いて散る花に雪を連想し、人生を重ねるに、今も昔も変わらずあるところの心模様ではある。 写真はこのところの風雨によって散り敷いたサクラの花。まさに雪景色の観があった。

 


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