大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

日ごろ撮影した写真に詩、短歌、俳句とともに短いコメント(短文)を添えてお送りする「大和だより」の小筥集です。

大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2015年01月30日 | 創作

<1243> 懐 旧

         遥けくも来しゆゑならむ懐旧記 歳月の内外の面影

 懐旧を辞書で引くと、「昔のことをなつかしく思い出すこと」とある。懐旧とは、言ってみれば、生き長らえて来たものにのみ与えられる特権のようなもので、子供にはないものであろう。長い年月によって浄化醸成され、なつかしさのつのるような状態に至ったところの情とでも言えばよいだろうか、とにかく、懐旧にはほのかな灯火のような心持ちが纏う。

 懐旧に似た言葉に郷愁という言葉があるが、郷愁は他郷(異郷)にあって故郷をなつかしむところが強く、懐旧の情とは少しニュアンスを異にするところがある。英語のnostalgia(ノスタルジア)や仏語のnostalgie(ノスタルジー)は両方の情をその意味合いの中に含む言葉のようであるが、懐旧と郷愁は追憶や望郷といった言葉とも微妙に異なり、日本語の奥深さを感じさせるところがある。

 どちらにしても、これらの言葉に含まれる心持ちは、過ぎ去った年月の長い時が作用して生じるもので、その点においては懐旧も郷愁も望郷も追憶もみな同類の言葉と言え、記憶や思い出に沿いながらも、単なる記憶や思い出に止まるものではなく、ある種のなつかしいような情を纏い、時間によって醸成された到達点にある言葉と言ってよく、そこには、経験のリアリテイを超えたほのぼのとした幻像的な情景が纏う。つまり、これは、過去、現在、未来の連綿としてある人生における時の作用によってもたらされるもので、歳月の賜ものと言ってよいものではないかと思う。

                                      

    触れてゐるものみなすべて今日以後の思ひとはなる岸打つ波も

 思うに、私たちには一期一会という言葉がある。この言葉は人との出会いによく用いられるが、人だけでなく、万物に言えることではなかろうか。で、私たちの日々刻々はすべてがこの一期一会の機会であり、その刻々がすべて新しい出会いであると考えられる。この一期一会の今日が素晴らしい日であれば、明日はその素晴らしい今日に連なるということになる。この日々の連綿としてあるところが人生であるから、今日という日をよりよいものにすることが何よりであることが思われる。

 前述した歌の「岸打つ波」もこの一期一会の一景であり、出会いの一つにほかならず、人でも花でも、ほかの何ものでも、みな「岸打つ波」と同じく、刻々の出会いと言える。その出会いがその後の長い年月の時を経て、なつかしいような情をともなって心の中に顕れ来たることが、即ち、それが懐旧や郷愁の域に達したということではないか。人生において未来に夢を抱けないものは辛く、懐旧や郷愁の情に浸れないものは淋しい、とは言えるだろう。 写真はイメージで、岸打つ波(東尋坊)と初夏の北アルプス穂高岳。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿