大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

日ごろ撮影した写真に詩、短歌、俳句とともに短いコメント(短文)を添えてお送りする「大和だより」の小筥集です。

大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2018年02月23日 | 写詩・写歌・写俳

<2247> 余聞、余話 「紅梅と白梅」

      紅白の梅咲き始め人来たる

 公園の梅林ではこのところの暖かさで一気に花芽を膨らませ、紅梅も白梅も咲き始めた。一輪咲くと、次々に咲き出し、花の早い木では七分ほど咲いている。梅はバラ科サクラ属の落葉高木で、概ね白梅と紅梅とからなり、早春のころ開花する。中国原産で、日本には中国との交流が盛んだった飛鳥時代の前後か、そのころ渡来し、『万葉集』には百十九首に詠まれ、花が愛でられている。だが、その花の中に紅梅を思わせる歌は一首もなく、当時は白梅しか見られなかったことが認識されている。

                            

  白梅と紅梅が揃って見られるようになるのは平安時代になってからで、梅の花に接する側の趣向に当然のこと変化が現われ、その趣向に左右されて紅梅派が生まれ、白梅に固執する白梅派も見られるという状況に至った。こうなると、気分が落ち着かなくなり、騒がしくなるのは世の常で、「木の花は、濃きも薄きも、紅梅」と主張したのは『枕草子』の清少納言で、紅梅派の先がけと言ってもよかろう。この清少納言の言葉の裏には白梅が確固として存在していることを示している。白梅しか知らなかった万葉人には花の紅白によって心を乱されることはなかった。言わば、白梅をもって梅の花の価値はあったということになる。

  ということを下敷きに現代の梅の花を眺めて見ると、品種の改良などがあって、観梅の花は千差万別、早咲きがあれば、遅咲きがあり、一重咲きがあれば八重咲きがあるといった具合で、白梅でも微妙に白色の純度が違っていたり、紅梅でも濃い薄いが見られ、その趣が複雑になっているのがわかる。この複雑化は梅の花に限ったことではないが、こうした複雑化する事情における現代人の趣向というのも複雑化し、中には時と所によって評価が異なるので一概には言えないというような意見も出て来るといった次第である。

  どちらかと言えば、私などもこの意見のタイプで、背景とか、周辺の環境によってその都度、評価に異なるところが現われる。言わば、白梅には白梅のよさがあり、紅梅には紅梅のよさがあるということで、接しているという具合である。 写真は白梅と紅梅(奈良県立馬見丘陵公園の梅林)。

 


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