大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

日ごろ撮影した写真に詩、短歌、俳句とともに短いコメント(短文)を添えてお送りする「大和だより」の小筥集です。

大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2012年06月27日 | 写詩・写歌・写俳

<299> 眺 望

           眺望の一角にしてビルが建つ 建てば損なふ眺望の中

 以前、市街地の再開発にともなう建設ラッシュがあったとき、冒頭の歌を作った。「ここに高層ビルが建てられると眺望が利かなくなる」とそんなことを思い作った歌であるが、思った通り、ビルが建った後はそのビルが壁になって全く眺望が利かなくなった。

 なぜ、このような以前の歌に触れるかというと、最近、大和の地で縦横に高架道路が造られ、風景が一変して来たからである。国も地方も日本という国の行政は道を造ることに執心して来た。今もその状況に変わりなく、道路はどんどん造られている。で、結果が今日に見え、大和の地も例外でないことが言えるわけである。

 これは物流を鉄道から車に変えた国の政策によるもので、私が子供の時分にはどんな小さな田舎駅にも隣接して倉庫が建ち、そこが物流の保管場所に当たり、乗降客とは別に、物の動きとそこで立ち働く人がいて活気に満ちていた。で、倉庫に出入りする物品を見れば、その地域の産業や特産物がわかったもので、駅はその地域の人、物すべてになくてはならないところだった。

 それが、鉄道からトラックに物流が変更されるに従って、駅の貨物量は減少し、駅の物流部門は寂れ、いつの間にか消滅したのであった。代わりに道路が整備され、車の生産に拍車がかかり、車社会が到来することになった。このモータリゼーションによる車の増加と道路の整備拡張が経済成長の一つの指針となり我が国は発展して来たのであった。

 このようにして、国も地方も行政はみな道を造ることに力を入れて来た。ところが、九十年代に入ってバブル経済がおかしくなって、経済の減速が見られ、国や地方自治体の借金が嵩むようになったのであるが、それからも、道路は相変わらず造られ、大和の地でも前述するところの状況にあるわけである。

 で、以前に作った冒頭の歌が思い起こされた次第で、「損なう」というのは単に眺望のみを言うものではなく、寂れてしまった田舎駅の様相も言外には含んでいるつもりである。例えば、「日の当たる場所が登場すると、日陰もできる」という具合で、家が建てば、日当たりのよいところも出来れば、日陰も生まれるという道理で、発展はすべてのものに満遍なく及ぶというわけにはなかなかいかない。ときには泣きを見る者も出て来るということになる。

 言わば、ビルは発展の一つの象徴であるが、そこには損なわれる眺望があるわけで、私たちにはそこのところも忘れてはならないと言える。これは大和の高架道路にも言えることで、ここに、今一首思い出される歌があるので、以下に紹介したいと思う。

   家ひとつ取り壊されて風光は溢れる 言葉が生まれるように                 原 梓

 この歌は雑誌『短歌研究』二〇〇八年九月号に掲載された新人賞次席作品「図書館余聞」の中の一首で、私にはよく解る歌で、記憶に残った。ビルが建つのとは真逆の光景を詠んだ歌であるが、この歌が問いかけるところは案外はっきりしている。私たちは右肩上がりにばかり目を奪われて、溢れる「風光」を忘れ去っていたのではないか。それをこの歌は思い起こさせてくれた。

 思えば、車ばかりに頼って来た物流を鉄道に戻してはどうかという意見が最近出ている。排気ガスによる二酸化炭素の放出を少なくし、地球温暖化の防止にも役立つという次第で、車社会の最先端であるアメリカですら、鉄道事業の話が持ち上がっているほどの時代になっているのである。人口減少の兆しもある中で無闇やたらに道路ばかりを造る時代は終わった。老婆心ながら言えば、以下のごとくである。

 造くれば、そこには維持が必要になり、維持費がかかる。こいうことをずっと続けて行くことこそ未来につけを残すことになる。行政が身の丈をわきまえず、無闇に借金して、今の状況をつくり上げて来た。原発にも言えるが、良くなければ止めるということも勇気であり、信念に基づいて、そこには知恵が絞り出されなくてはならない。我が国の状況は知恵と勇気の試されている時代になっている。眺望の一変には膨大な借金の山が隠れていることを忘れてはならない。 写真は橿原市の京奈和道入口付近。

                        


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