大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

日ごろ撮影した写真に詩、短歌、俳句とともに短いコメント(短文)を添えてお送りする「大和だより」の小筥集です。

大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2012年05月02日 | 植物

<243> フデリンドウ

        筆竜胆 天に向かひて 開きゐる

 昨日は氷室神社の献氷祭が午前中に終わり、午後から春日山と若草山を歩いた。麓の観光地はどこも花盛りであるけれども、これらの花はほとんどが園芸種で、春日山や若草山に自生する植生の花の方に関心が強く、その自然の花の方へ足が向いた。殊に昨年見られなかったフデリンドウの状況を確認したいということにもよった。

 フデリンドウは春に咲くリンドウとして知られ、蕾が筆の穂先に似るところからその名がつけられた二年草である。若草山では一昨年その姿を見かけたが、昨年は見かけなかった。二年草という観点から、この年回りを考えると、今年は見られるはずである。そう確信して登ったところ、予想通り、フデリンドウは花を咲かせていた。

 ツリフネソウやフデリンドウのような一、二年草はスミレのような多年草と違い、花が咲くとその株は全部枯死し、果実によって種(命)を引き継いでゆくことになっている。そして、一年草は発芽して一年のうちに花を咲かせるのに対し、二年草は発芽して一年目に根や茎を成長させ、二年目に花をつける違いがある。多年草は宿根草とも呼ばれ、花が咲いても株の全部が枯死することなく、花を咲かせた株は毎年繰り返し何年もの間花を咲かせることが出来る。

 言うならば、フデリンドウというのはの二年を待って咲く一回限りの花が頼りで、その花から生まれる果実の種子にその種(命)の未来を託すことになるわけである。ところで、若草山の山頂付近は風の強いところで、種子が元の場所にそのまま落ちて発芽するとは限らず、今年の花の種子がどこに落ち着いて再来年の発芽を待つかはわからないと言える。フデリンドウが咲いていた場所に今一度出かけても見られないのはこのためである。フデリンドウはよく移動するのである。運がよければ群落の見られる年があるかも知れないが、風の強い若草山では期待通りにはいかない。

 私は大峰の山中でその群落に出会ったことがあるが、強く風の当たらないような日当たりのよい場所であった。秋の高原に花を咲かせるマツムシソウも二年草で、中に多年生のものもあるが、大和ではススキの名所の曽爾高原が自生地として知られる。ところが、この十年ほどの間に減少を著しくし、今では絶滅寸前種にあげられるほど少なくなり、普通群落をつくるが、探しても見つからないほどになった。この減少に、私はマツムシソウの二年草としての特質が関わっているように思われるが、これについては説明が長くなるので、秋の花の時期にでも触れたいと思う。

 ところで、フデリンドウは草丈七、八センチほどの足元の草花で、若草山の花はシカや強風の影響を受け、更に矮小化している感じがあり、地から茎をわずかに立てて先端に青紫色の筒状の花をつけている。その花は気づかれず踏まれることもあるほどの小ささで、それが実にいじらしくも見え、可愛らしくも見える。

 しかし、いくら可愛らしいと言っても、二年草という特質上、持ち帰って庭などに植えても駄目である。それは必ず枯れてしまうからである。奈良県版レッドデータブックはフデリンドウを県内における絶滅危惧種にあげており、フデリンドウには失われてゆく貴重な草花でもあるので、花は現地でそっと見守ってやるのがよいように思われる。「強い者に弱い者を守ってやる心持ちがあれば、この世は丸く治まる」という言葉があるが、どうもこの言葉は私たちとフデリンドウの間にも言えそうである。

 写真は五月一日に春日山と若草山で見かけた草花たち。左からタニギキョウ、ムロウマムシグサ、ギンリョウソウ(以上春日山)。フデリンドウ、ヒメスミレ、ヒメハギ(以上若草山)。

                              


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