大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

日ごろ撮影した写真に詩、短歌、俳句とともに短いコメント(短文)を添えてお送りする「大和だより」の小筥集です。

大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2012年05月03日 | 祭り

<244> 久米寺の練供養

      久米レンゾ 菩薩はなやぐ 一日(ひとひ) かな

 憲法記念日の三日、橿原市久米町の久米寺で二十五菩薩練供養の法要が行われ、出かけた。久米寺は吉野の龍門寺の久米仙人ゆかりのお寺として知られる一方、聖徳太子の弟来目皇子(くめのみこ)に因むとされる薬師如来を本尊とする真言宗のお寺である。

 伝によると、久米仙人は仙術を使って空を飛んでいたが、川に入っていた女のふくらはぎを目にして迷いを生じ、仙術が利かなくなって落下し、その女と結ばれ、普通の暮らしをしていたが、聖武天皇が東大寺大仏殿を建立した際、神通力を蘇らせ、建設資材を運び集めたことによって、免田三十町歩を褒賞としてもらい受け、久米寺を建てた。『今昔物語』や『徒然草』にはこの謂われが伝えられている。

 一方、来目皇子の話は、皇子が七歳のとき、眼病を患い、太子の勧めによって薬師如来に願をかけて祈ったところ病が平癒したので、以来、このお寺を久米寺と呼ぶようになったという謂れがある。このとき薬師如来が二十五菩薩を従えて現われたということで、この逸話が元にあって、阿弥陀仏二十五菩薩来迎の話が重ねられ、久米寺の二十五菩薩練供養の法要に繋がったのではなかろうかと言われる。

 この法要は会式の一形式で、近在の人々が農繁期を前に農を一斉に休み、みんな一同に会し楽しむレンゾとして親しまれて来た。この練供養を久米レンゾと呼ぶ所以もここにある。大和では久米寺の練供養に続き、五月中旬には葛城市の當麻寺でも聖衆来迎練供養会式が行われ、やはり當麻寺の練供養も農の休みをみんなで楽しむレンゾとしてあり、「當麻レンゾ」の別称で知られ、親しまれて来た。ほかにも、アジサイ寺で知られる大和郡山市の矢田寺などでもこの練供養が行なわれ、レンゾとして親しまれ、今日に伝わる。

 三日は朝から曇天であったが、練供養が始まる午後三時ごろには晴間も出てくるほどになり、境内に設けられた百メートル近い来迎橋を僧呂や講の人々、稚児などに続き、阿弥陀仏を手に戴いた観音菩薩を先頭にした二十五菩薩が列をなし、薬師如来の祀られた本堂までを往き帰り歩いた。境内ではツツジが咲き始め、人出の賑わいに花を添えていた。

  写真は左が極楽浄土から現世への架け橋を想定した来迎橋をやって来る二十五菩薩の一行。右は阿弥陀仏を両の手に戴き二十五菩薩の先頭を来る観音菩薩。各菩薩とも冠った面により目がよく見えないため、介添え役が同行して歩いた。

                


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