大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

日ごろ撮影した写真に詩、短歌、俳句とともに短いコメント(短文)を添えてお送りする「大和だより」の小筥集です。

大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2022年01月13日 | 創作

<3648> 作歌ノート  瞑目の軌跡  (六)

               我が歌は我が思ふ丈たとふればひと恋ひしさに詠み来しなども

 歌を作るに、時と所、思想、知識、語彙、修辞、気息、これらはみな大切なものである。時とは、大きく言えば、己のよって立つところの世紀、時代。子細に言えば、一期一会の刻々。所とは、広く言えば、宇宙を含む自然。自然に基づくところの伝統、ときには未来に繋がる風土、文化圏。微細に言えば、日常茶飯の刻々の居場所。思想は環境により、知識は耳目の見聞見学による。語彙、修辞については学習に負うところ、温故知新の教示あり。気息は血筋であり、個性の発露。

 歌はこれら諸々の要素よりなる心のあり様、思うところによる呟きを示すものにほかならない。例えば、悲願と祈願、観念と感情。合わせて思うに、歌は瞑目のうちに生まれるものと知れる。悲願は此岸における彼岸への思い。祈願は悲願の成就に対する心情の顕現である。観念と感情はともに美を意識して止まざるところのもの。

                                                     

 生において、経験は産物であり、心(思い)の在処に繋がる。よって時と所には逆らうべからず。環境は大切の第一。よく観察し、よく分析し、よく認識すること。百より千、千より万。調査は緻密、入念を期すべし。知識には欲を。語彙と修辞については、古今東西を問わず、ひたすら学ぶほかなし。学んだ末に独創の湧き上がることを思う。

   気息は学ぶものにあらず。父母より授かってある天与のものなれば、堂々と己の気息を漲らせるべし。悲願と祈願は至高深遠への道筋にあり、美の領域を指す心の仕儀に関わるものなれば、その自覚確固たるべし。観念と感情もまた。ものは大胆かつ繊細に、美しく見、美しく聞き、美しく思うべきである。歌はそこに自立するものと悟るべし。

 以上は私が歌を作る上の心得であるが、心得としてわかっていても、歌は手厳しく、理想どおりにはなかなか作れない。例えば、人恋しさによる感情起伏の激しい歌といえども、私の歌は私の心の丈において生まれるものにほかならず、独り合点に陥るところ、そこにおける批評も甘んじて受けなくてはならないということになる。例えば、以下の歌。 写真はイメージ。日差し溢れる中、海に向かって花を咲かせる水仙(淡路島の灘黒岩水仙郷)。

  我が歌の一行にある我が思ひ以上も以下もあらざる発露

  矢数得て生まれし歌を諾はむまたの一首を待たずともよし

  海に来て海に触発されて詠む眩しき沖の夢の夢見に

  殊更に言はずともよし歌心はたして沖に鷗立ちたつ

  陽のかほり纏ひて咲きし水仙の花の一首に沖ぞありける