<1370> 安倍政権の五つの問題点 (4)
教訓は過去の事象にあるゆえ
過去の事象の積み重ねである歴史は
即ち 教訓たり得るものであって
その歴史に学ばないものは
教訓を得ない愚者と言わざるを得ない
こういう愚者は再び同じ過ちを犯す
以上のように、安倍政権の経済優先の国政運営について、海外に目を向けその覚束なさを指摘したのであるが、目を国内に返して見ると、国内にもまた諸問題が積み上げられ、その諸問題にやはり日本の今後に覚束なさが感じられる次第である。で、この五点目の問題の中で国内事情について最後に考えてみたいと思う次第である。
一つに少子高齢化の人口減少の問題があり、一つに国、地方合せて見られる公的な大借金の財政逼迫の事情がある。そして、今一つには地域並びに個人による格差の問題があり、大きく見てこの三点があげられる。どの問題も喫緊の課題で、直ぐにも取り組まなくてはならないが、国政の遊長さが感じられる。これは格差の上位にある組織人の意識によって政治が取り行なわれているからだと言ってよい。では、少子高齢化の問題からまずは見てみたいと思う。
この問題は経済の成長をもって生活の向上を図り、これによって国の繁栄として来た戦後以来の事情が大きく関わっている。経済を伸ばすために戦後一貫して採って来たのが労働人口の都市部への集中と消費を伸ばす核家族化であった。敗戦によって戦勝国の米国よりもたらされた自由主義の導入とともに大家族制は廃されて行き、核家族化を進めて来た。これはなるべく多くの家族を作って、物が売れるようにする消費拡大のアイディアから進められた。結果、大家族は失われて行き、親と子による核家族化が進んで行った。しかし、この核家族化には子育ての難儀を考えに入れない少子化を招く因子があった。この因子が読めていなかった。結果、深刻なまでの少子化に至った。
経済の成長にともない個人の収入は上がったが、物価も上がり、夫一人の収入では家計のやり繰りが出来ない現象が生じ、夫婦共働きをしなければ生活が成り立たないようになって来た。結果、核家族では子育てが無理な状態になり、背に腹は代えられない現実生活に当たって子供はなるべく作らないということによって少子化の現象が生じて来た。言わば、経済の成長と軌を一にして少子化の問題は顕現して来たのであった。
夫婦二人で一人前という状況は、雇用する側の賃金抑制策とそれに絡む派遣労働などの制度によるところが大きく、これは、輸出に頼る日本の盲点であった新興国の成長による競争力の低下が影響したことによる。この競争力を保つには賃金の抑制が欠かせないところとなり、今もこれが尾を引き、夫婦で共働きをしなくてはならない社会状況になっているのである。結果、子供も思うように作れず、少子化の問題は生じて来たのである。思うにこれは日本という国の弱さに起因していると言える。
こうして構造的に出来上がって来た少子化の社会状況はいよいよ深刻さを加え、合せて高齢者人口の増加がこれに拍車をかけているのである。高齢化の現象は医療の発達にともない得られる長寿とともに当然起きて来るが、当面主義の政治はこれに対処して来なかったところがある。それは年金や医療の福祉に誤算が生じて現在の四苦八苦につながっている点一つを見てもわかる。この問題は放置することが出来ないのだから、遅まきであっても、ここには公的予算を注ぎ込まなくてはならないことが言える。
少子化の問題は、臨床の場当たり的対策では治まり得ないことを考えなくてはならない。これは少子化に至った経緯から考えなくてはならない問題で、一年や二年で解決することはあり得ない。なぜなら、少子化が半世紀以上をかけて生じて来たことだからである。この少子化は高齢人口の増える要因とともに日本という国の体力にボディーブローのように影響して来る。これは必然のことで、これに対処するには効率的な人の活用か、経済的縮小、或いは移民の導入を考えることしか今のところ方法がないように思える。
移民で言えば、国の選定を考え、ネックになる日本語の普及に当たるような方策を取らねばならない。移民はどこの誰でも構わないというようなわけにはいかないとするならば、早めに対処した方がよいと言える。時の過ぎるのは速やかで、ボディーブローの影響が出て来てからの対処では遅すぎると思える。 写真はイメージで、日本列島の地図。地図を見ると、日本の置かれた位置がよくわかる。 ~次回に続く~