大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

日ごろ撮影した写真に詩、短歌、俳句とともに短いコメント(短文)を添えてお送りする「大和だより」の小筥集です。

大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2015年09月17日 | 写詩・写歌・写俳

<1367> 安倍政権の五つの問題点 (1)

         安心は 何によるべく あるものか 武器などによる ものにはあらず

 安倍政権が断固進めようとしている安保法制案は可決に近いようであるが、安倍政権には五つの大きな問題点があることを指摘したいと思う。まず、一点目は、安保法制案が現憲法に照らして違憲であるということ。これは幾ら理屈を捏ねて解釈を加えても、この法案は現憲法の平和憲法たる発想に適するものではなく、この法案を通すということは憲法を蔑にするに等しく、一内閣において立憲国の立場を捨てさせるに等しいことが言える。この法案の趣旨を通そうとするのであるならば、きちっとした手続きを踏んで憲法を変える方法を採るべきである。にもかかわらず、この法案を通そうとしている。

 二点目は、安倍首相が米国議会における演説で、我が国よりも先に、国会等を軽視し、戦争の出来る国に変える安保法制案を夏までに決着させると宣言し、約束したことである。これは我が国よりも米国に重きを置いた演説で、そのときはどこの首相かと思われたほどだった。日本をより従属的な卑下される国にしたと、議会の拍手喝采の映像を見ながら思ったものであるが、これは政権が生き延びるための手段であるとも思えた。言わば、この約束の演説は日本国民よりも米国に迎合するもので、日本売りに等しいと言える。それも安価にである。で、宰相たるものの品格が思われ、情けない気分になった。

  安価だというのは、この法案を通すのであるならば、同盟を対等にするのであるから、日本にとっては悪しき協定である地位協定くらいは破棄させるくらいのことがあって然るべきだと思われるが、これを米国にぶつける気概などどこにも見当たらないというようなことによる。米国追随のみの政権では出来ようはずもない。言わば、安保法制案は日本にとって何一つよいことはない。平和憲法を無視する形で、米国追随に走る安倍政権が国民を蔑にしていることはこの一点を見ても言えることである。

                                

  次に三点目としてあげられるのは、政策における目線が国民に向いていないという点である。首相は安保法制案の説明において「国民を守るため」と何かにつけ口癖のように言うが、この国民というのはどのような概念に照らして言っているのだろうか。ISに二人の日本人が人質に取られているさ中、中東に出かけて行って平気でISを刺激するようなメッセージを発し、結果、人質の日本人二人は殺された。この二人は日本国民ではなかったのか。

  思うに、首相には人質二人のことなど念頭になく、米国の意向に沿うようメッセージを発した。この二人が殺される結果に至ったとき、とっさに思った。これはまさしくお坊ちゃま外交だと。国民のことなど考えの中になく、常に気持ちは米国に向いている。この延長線上に安保法制案もあると言ってよい。だから、いくら国民が声を上げて叫んでもお坊ちゃまには通じない。お坊ちゃまというのは自分が権限を得たと思うに至ったとき、自分の思い通りにことを運び、人の話などは聞かず、一人よがりになる。

  そして、お坊ちゃまには必ずと言ってよいほどコバンザメのようなひっつき虫が寄り集まってお友だち(仲間)をつくる。しかし、お坊ちゃまはそのお坊ちゃまの位置の感覚においてわかっている。その思い通りが出来るのはお坊ちゃまのバックボーンにお坊ちゃまを支える何かがなくては納まりが得られないことを。この支えであるのが安倍首相には親のような米国という日本にとっての権威の国なのである。

  この国は強い影響力を持って君臨しているからお坊ちゃまには安心して何でも出来るということになる。このお坊ちゃま首相にとっていつも気になるのは、日本国民(民意)ではなく、自分を左右する米国という国なのである。米議会における安倍首相の演説は斯くして行なわれた。そして、今に至るわけである。 写真は安保法制の採決で混乱する委員会(左)と反対のメッセージを掲げて国会前に詰めかける群衆(テレビ映像による)。                                                                                                                                                                              ~次回に続く~