<651> 数字に思う
百合の花 花式図の六 匂ひたつ
数字は物を数え、計算するときに用い、0、1、2、3、4、5、6、7、8、9の十個の単数並びに単数の組み合わせによって表現される。幾ら大きい数でも、幾ら小さな小数点以下の数でも、この十個の単数によってすべての数は数字化される。だからこの十個の数字がすべての数の基本になる。0(〇)は何もない無を意味する数字であるが、ほかの数字と並べて使われるとき、その数を変更表現出来る関係にある数字である。
このことを表現して生れたのが、太平洋戦争で奮闘した日本帝国海軍の主力戦闘機、零式艦上戦闘機(零戦・ぜろせん・れいせん)で、零戦の命名はこの戦闘機が太平洋戦争突入の前年に当たる昭和十五年(一九四〇年)に作られ、この年が皇紀二六〇〇年だったことから下二桁の〇〇によったと言われる。だからここで用いられた零は無という意味ではなく、代を重ねた切りのいい年をもって名づけられたということになる。
では1(一)から順にその数字が有する意味、特徴を見てみよう。1(一)の数字は、まず、初めを言い、第一代とか一代目という意に用いられる。長男に一郎の名が見られるのもこの例による。また、トップ(先頭)の意により、一番とか一級とか一位というような表現に用いられる。一方、個体を指して言う場合にも用いられる。一本とか一枚とかがそれで、一糸乱れぬとか一心不乱という言葉もこれに当てはまる。斎藤茂吉に「あかあかと一本の道とほりたりたまきはるわが命なりけり」(『あらたま』)とあるのもこの意による。
次に2(二)の数字であるが、2(二)は何と言っても組み合わせの最少単位を意味する。この最もよい例は、雌雄で、所謂、夫婦を思わせる。言わば、相愛を導く数字であるのがわかる。再び斎藤茂吉であるが、「のど赤き玄鳥(つばくらめ)ふたつ屋梁(はり)にゐて足乳根の母は死にたまふなり」(『赤光』)という歌がある。母の死に立ち会ったときの歌であるが、このツバメ二つに意味がある。ツバメは仲良く梁にとまっているが、自分はかけがえのない母を亡くして一人になった。そのことがこの歌からはしみじみと伝わってくる。だから、ここで詠まれている「ふたつ」というのはどの数字にも置き換えることの出来ない相愛を示す数であると言えるわけである。
次の3(三)の数字は、アベノミクスで言われるところの三本の矢に見られる数字である。これは三人寄れば文殊の智恵とも言われるのと同じで、トライアングルの強さを示すが、3(三)は2(二)の発展の数であり、相愛する夫婦の和合によって子供が授かり、3(三)になる。このことはこの間触れた三枝祭が行なわれる奈良市の率川神社の親子三神を祀る本殿の形式に見えるところで、この親子三神の姿は『万葉集』巻五の904番の山上憶良の子供の死を悼む長歌に見える幼い息子を挟んで川の字になって親子三人で寝る幸せな風景に通じるところで、3(三)という数字はこの点が思われる数字であるのがわかる。
4(四)という数字は、「し」が「死」にイメージされ、よくない数字として言われる向きもあるが、自然に関する時の流れで言えば、四季があり、方位で言えば、四方があって、仏を守る四天王が思い起こされる。四天王は四辺を守る持国天、増長天、広目天、多聞天を言うもので、中央の仏さまを悪鬼から守る重要な役目を担っている。野球の四番バッターは攻撃の主力で、力量のある選手が抜擢されるといった具合である。
5(五)という数字は、1(一)から9(九)の真ん中の数字で、中央に位置し、十干十二支の十干を基にしている五行説の五である。これは人の片手片足の指の数で、五行説は宇宙のすべてをこの五に当てはめる考え方である。緑は東、赤は南、黄は中央、白は西、黒は北で所謂、色も方位もこの五行に当てて説明される。
そこで、四天王が守る四辺は、本尊である中央の五黄に統べられて守りを固める意味が込められているわけで、この五行説に関わっている。また、5(五)という数字は、五指をはじめ、五体、五臓、五感、五穀、五山、五色などという風に用いられ、歌舞伎の白浪五人男や雛飾りの五人囃子などにも5(五)の数字が見える次第である。
6(六)の数字は、一年十二ケ月の半分に当たる月数を表し、一日二十四時間の四分の一の時間数に当たる数で、二十四節気の春、夏、秋、冬の四季のその一季が六等分され、合計すると二十四節気になっていることが6(六)の数字の大きく関わっているところである。六道、六根、六腑など人に関わる言葉の中に用いられているのがわかる。
7(七)の数字は、何と言っても、ラッキーナンバーで知られるが、このブログ「<376>七草の七に寄せて」で触れたごとく、七草のほか、七色、七曜、七福神、七経、七堂、七難等々、その縁起によってよく用いられている数字であることが言える。
8(八)の数字は、漢数字では、冨士山のような末広がりの字画であることにより、縁起がよいとされ、八重、八雲、八重垣、八百万など縁起のよいことに繋がることからよしとされる数字で、人生の中でも八十八歳は米寿と言われ、祝いの歳とされているほどである。また、洋数字の8を横にすると、無限を表す記号ということで、これも末長い意が込められるところで、好感を持たれている。
9(九)の数字は3(三)の三倍に当たる一字で最も大きい数を表す数字で、九十九里、九十九(つずら)折りなどと多いことを表し、九輪(塔)、九重(宮中)と言ったように、未来へ望みを繋いで行く豊かさを示す数字として見え、次の10(十)という一桁上の数への足がかりにある数字である。
以上のごとくであるが、今は六月。花で言えば、花式図六の数字が見えるユリの花の季節である。 写真は花式図六に因むユリ。左から大和に自生するササユリ、ヤマユリ、ヒメユリ、コオニユリ、クルマユリ (すべて宇陀、吉野地方での撮影)。