大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

日ごろ撮影した写真に詩、短歌、俳句とともに短いコメント(短文)を添えてお送りする「大和だより」の小筥集です。

大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2013年06月23日 | 万葉の花

<660> 万葉の花 (96) あざさ (阿邪左)= アサザ (荇)

        万葉の 花を誇りに あさざ咲く

 うち日さつ 三宅の原ゆ 直土(ひたつち)に 足踏み貫き 夏草を 腰になづみ 如何なるや 人の子ゆゑそ 通はすも吾子  諾(うべ)な諾な 母は知らじ 諾な諾な 父は知らじ 蜷(みな)の腸(わた) か黒き髪に 眞木綿(まゆふ)持ち あざさ結ひ垂れ 大和の 黄楊(つげ)の小櫛を 抑へ挿す 刺細(さすたへ)の子 それそ吾が妻                                     巻十三(3295) 詠人未詳

 原文で阿邪左と表記されているあざさは、『倭名類聚鈔』(平安時代)に「荇菜、莕菜、叢生水中、葉円在茎端長短随水深浅者也、阿佐佐」とあり、『類聚名義抄』(同)には荇、莕が蘅の俗字で、「あざさ」と読み、菜名であると言っている。

 以上の説明を合わせてみると、「あざさ」は「荇」で、現在のアサザをいうものであることがわかる。で、その名は「いよいよ」を「いよよ」、「はらはら」を「はらら」というがごとく、浅いところに生える「浅浅菜」の「浅浅」(あさあさ)を万葉当時は「あざさ」と言い、平安時代以降は「あさざ」と清濁を逆にして言ったことになる。

                                             

  アサザはリンドウ科の多年生の水草で、水深の浅い池や沼地に生える。長い葉柄によって基部が心形になった円形に近い葉を水面に浮かべる。その葉腋から花柄を出し、夏から秋にかけて直径三、四センチの花冠が五深裂した鮮やかな黄色い花を上向きに開く。花は水面のそこここに次々と咲き出すので花の時期にはよく目につく。

 『万葉集』に「あざさ」のアサザが見える歌はこの長歌一首のみで、この歌がアサザを万葉の花に加えさせているわけである。その歌というのは、父母と息子の問答形式になった相聞の歌で、まず、父母が「うち日さす三宅の原を直に踏みしめ、腰までもある夏草に難渋しながらそんなにまでして逢いに行く娘とはどこのどんな娘なんだい」と息子に問うと、息子は「そう言われるのはごもっともです。お母さんもお父さんもご存じないでしょう。私が通い詰めている子は、黒い髪に木綿であざさの花を結んで垂らし、大和のツゲの小櫛をおさえにして挿す愛らしいそんな子です。その娘は」と答え返すというものである。

 三宅の地名は多く、当時も各地に見られたようであるが、この歌に登場する三宅は現在の奈良県磯城郡三宅町に当たるというのが定説になっている。三宅町は大和平野のちょうど真ん中に位置し、田園地帯に当たるところで、当時は原っぱが広がり、池や沼地が多く、あざさのアサザもそこここに生えていたことがこの長歌からは想像出来る。また、当時、若い娘がアサザの黄色い花を髪飾りにしておしゃれをしていたことも思われる。

 アサザは本州、四国、九州に分布し、「菜名」であると言われているように、当時は食用にされ、身近に接していた水草であるのがわかるが、最近の大和では自生するものが少なくなり、野生は極めてまれで、『大切にしたい奈良県の野生動植物』(2008年の奈良県版レッドデータブック)には、絶滅寸前種としてあげられ、保護が呼びかけられている。

  因みに、三宅町ではこの3295番の万葉歌に因み、アサザを万葉の故地である歴史に合わせ、町の花に指定して、町のそこここにアサザを増やし、美化キャンペーンの一環に役立てている。 写真は黄色い花を咲かせるあざさのアサザ。なお、アサザは花が鮮やかでよく目につくので、目立たない同じ水草のジュンサイに比して、ハナジュンサイの別名でも呼ばれる。