<659> 掌編 「花にまつわる十二の手紙」 (11) 合歓木 (ねむのき) ~<658>よりの続き~
合歓の花 薄暮どきのほのかなる 思ひのそれや 今に至れる
もうすぐ祇園祭りですが、見物を兼ねて、一度会っていただけたらと思い、手紙を認めている次第です。あなたのことはお母上から多少うかがっています。「いい人がいたらお願いしますね」と言われたりしていますので、私の話をお聞きになったらびっくりして反対されるかも知れません。初婚のあなたを思うと、なおさらのことで、私の言っていることは無茶苦茶かも知れません。それはよくわかっています。
駄目なら駄目でいいという思いです。いい歳をして勝手なことをと言われても仕方のないことです。しかし、この思いは、あなたのほかに、誰に打ち明けることも出来ません。ですので、ここにこうして告白している次第です。私にとって、あのときのあなたがあなたの全てです。ほかに求めるべきものは何もありません。あのときのあなただけです。
それにしても、再婚というのは、単純には行きません。世間体などはどうでもいいようなものですが、家の中がうまく行くかどうか、このこと一つに、二人だけでなく、周囲をも巻き込んで考えさせられます。私は、私が全てを背負って行けばいいと思っていますが、あなただって、私と結婚するとなれば、自分が全てを心に納めて行けばいいと、そう思われるでしょうし、子供たちは子供たちで、それなりに考えを巡らせることになるでしょう。
しかし、いくら考えても、先のことはわからないのですから、今を見る意外にありません。その今のあなたが私には全てです。人間そんなに変わるものじゃあないと、私は思っています。あのときのあなたは、誰を意識するでもなく、とても自然に感じられました。だから、私はあのときのあなたがあなたの全てだと思っています。全てがおかしいと思われるなら、全てに通じると言えます。
小さいものたちもよくわかっているはずです。しょっちゅう会っていなくても、わかるものにはわかるものです。子犬のようにじゃれついていた二人の姿が何よりの証です。あなたの年齢については、亡き妻に近く、私とそれほど離れてないのが、かえってあなたを嫌な気持ちにさせはしないかと気がかりです。初婚なのに、年齢が後添えを強いるというようなことで、あなたのプライドを傷つけるのではないかということです。私にそんな考えはいささかもありません。もっとあなたと年齢が離れていても、あなたへの思いは変わらないと思います。
亡き妻については、私の心から消えることはないでしょう。しかし、このことで、あなたを厭な思いにさせたり、煩わせるようなことはないと思います。私は、義母の味方を得て、あなたのことについて、臆病になってはいけないと思うようになりました。どうか、小さいものたち、あの子たちの母親になってはいただけないでしょうか。
この手紙を読んで、あなたが負荷を感じ、心を重くなさるようなことのないことを願って止みません。私は祭りの日を楽しみにしています。あなたにとっても楽しみな日であることを祈るばかりです。お母さまによろしくお伝えください。あなたの気持ちをお聞きした後、あなたが私の思いを叶えてくださるなら、後日、お母さまにお会いして御挨拶したいと考えています。
あなたの気持ち、あなたの都合がどんなものか、お聞きすることなく、一方的にお便りしているわけで、勝手気ままなことはよく承知しているつもりです。しかし、これも恋したものの心がなせるものであることをお含みおきいただければ、何よりです。
それでは、七月十七日午前九時、天候にかかわりなく、四条河原町の高島屋の正面入口でお待ちしています。お気持ちもお聞きせず失礼とは思いますが、勝手に決めさせていただきました。ご都合が悪ければご連絡ください。長々と書いてしまいましたが、手紙の力を借りなければならない小心をお察しください。まずは、お便りまで。 敬具
この手紙は四年前に妻を亡くした私大の准教授である桐生敏彦(43)から亡母の友人の娘久永芳子(39)に当てて出された結婚申し入れの手紙である。