<508> 芥川賞の黒田夏子さんによせて (2)
潮流は 確かなりけり 浮き沈みしつつあるもの 流されて行く
黒田さんについては、また、文章のスタイルが一風変わっているようで、これは、本人に訊いてみないとわからないが、思惑によるというよりは、本人に適した、つまり、自然に生み出されたものではないかと思われる。そのスタイルというのは漢字を用いず平仮名を多用して横書きにしているという。内容については、作品を読んでいないのでどうとも言えないが、ここでは伝えられている情報をもとに、その文章のスタイルについて触れてみたいと思う。
まず、日本語では、特別な場合を除き、漢字と平仮名もしくは片仮名をもって文章を作り上げるので、縦書きでも、横書きでも対応出来る。そして、漢字は一字のみでも意味を持ち合わせていて自立するところがあるので、書く方も読む方も理解するのに便利がよく出来ている。
英語をはじめとするほとんどの外国語は平仮名や片仮名と同じく、一字ではまず意味をなさない。ゆえに、一字一字の組み合わせによるから、複雑かつ意味の上でどうしても単純化がなされることになり、日本語のような奥深さのある表現に乏しくなることが生じ、思考にも影響することになる。一方、漢字ばかりによる中国の文字文化は柔軟性に乏しいように思われる。
例えば、英語は知(観念)を述べるに適し、日本語は感(情感)を述べるに適しているように思われる。このように見てみると、漢字文化を発展させて今にある日本の言語文化は韓国に似て特異なところがある。しかし、このような日本も、最近は欧米化の影響が著しく、漢字を軽視する方に傾斜しているように思われる。それでも、漢字と仮名で表現する日本語は特殊的である。
この日本語の特性を敢えて拒絶する形で文章表現を試みるという彼女の手法は斬新であると言ってよかろう。「ふたえにしてくびにかけるじゅず」は、「二重にして首にかける数珠」と解せるし、「二重にし手首にかける数珠」とも解せる。この場合は「して」のところに読点を打つことでまずは解決するが、「はし」などは漢字で橋、箸、端といろいろな意味になるから、平仮名で「はし」と書けば、前後の文脈を探らなくてはならず、漢字の効用が言われることになる。彼女の場合は仮名を多用し、敢えてそこのところに挑み、読み手に考えさせるようにしているという次第である。
『小倉百人一首』の第八番に喜撰法師の「わが庵は 都のたつみ しかぞ住む 世をうぢ山と 人は言ふなり」という歌がある。この歌は、「私の庵は都(京)の巽(東南)にあって、そこに私は住んでいるけれども、そこを世間の人が憂き世の通りの宇治(憂し)山だと言っているとおりに暮らしていることではある」というほどの意に取れるが、子供のころ、私は「しかぞ住む」を「然かぞ住む」とは読めず、「鹿ぞ住む」という風に意味もわからず暗唱していた。ところが、これを「竜蛇鹿」と言った御仁がいて、天明の狂歌師、大田南畝(蜀山人)は「わが庵は都の辰巳午未申酉戌亥子丑寅う治」と捻って干支の十二支を狂歌に詠み込んだ。「う治」はもちろん「宇治」で、「う」は「卯」であることは言うまでもない。『abさんご』はまだ読んでいないので何とも言えないが、敢えてこの平仮名の特質を利用しているのだろうと思われる。
また、文章が縦書きでなく、横書きの小説であるということが話題になっている。英語は横書きがしやすいように出来ているので、横書きにする。しかし、日本語の場合は、どちらにも対応出来るとは言っても、縦書きがしやすいように出来ているので、本来は縦書きにする。これは筆記具のペンと毛筆の違いによるのではないかとも想像される。平仮名は毛筆の縦書きに適しており、アルファベッドの英字は大文字でも小文字でもペンによる横書きがスムーズに出来るようになっている。
ところが、西洋文明の影響が著しい今日では、どしどしと英語が導入され、算用数字も用いられるに至り、横書きが多く採られるようになった。加えて、欧米文化の先端にあるパソコンが横書きになっているので、今や横書きが普通になり、伝統詩形の短歌や俳句でも、普通パソコンでは横書きにしなくてはレイアウト上、収まり切れない。こう書き込んでいるこのブログも横書きである。
ということで、小説の横書きが登場しても何ら不思議でない時代になったと言ってよい。私は昭和五十八年から平成十一年の間、毛筆による日記を書いたことがある。定家に倣えず、途中で止めてしまい。偉そうなことは言えないが、この日記は縦書きであった。ところが、メモをとるときなどは、横書きで、今、毎日、日記のように書き込んでブログに載せている文章もパソコンのワープロ機能を用いて書くので、横書きになり、横書き思考がなされているのだろうと思われる。
このワープロ機能は、使用者の文章作成能力を向上させたと言えるが、変換の操作ミスによる誤字や脱字が起きる可能性が高い欠点も指摘される。しかし、英語が縦書きを拒絶する字体である以上、欧米との文化の融合に進む中においては、なお一層、横書きが増えて行くのではないかと思われる。言わば、黒田さんの文章スタイルは時代の潮流に従ってあるように思われる。写真は毛筆による日記の一部。