<488> 法隆寺 夢殿
初夢に 夢殿未だ 見ざるなり
法隆寺には夢殿と呼ばれる八角円堂がある。東大門を出て石畳の道を真っ直ぐ東に向って歩き、突き当たったところ。聖徳太子一族が住まいにしていた斑鳩宮のあった東院伽藍の中心をなす御堂である。周囲を石積みの回廊に囲まれたこの御堂は、太子の一族が滅亡して廃墟になっていたのを見かねた行信僧都が、天平十一年(七四〇年)に創建したもので、太子が籠って思索に耽った建物跡に造られたと言われ、国宝である。御堂内には太子の等身大とされる救世観音像や行信僧都坐像(ともに国宝)などの諸仏が安置されている。
法隆寺は世界に名だたる大和を代表するお寺で、世界最古の木造建築物として知られる五重塔や金堂は有名で、元旦からツアーの参拝者や見学の人たちが訪れ、にぎわっている。私も出かけて、それらの人々に混じって広い境内を歩いた。ツアーの観光ガイドを聞くでもなく聞いていると、夢殿については概ね以上のような説明をしていた。
因みに、八角円堂というのは東西南北と北東、南東、南西、北西に壁面を有し、ほぼ円形で、御堂を一つの宇宙空間と捉えることが出来る。その宇宙の中心において遍くところをもって思索に当たるという仏教の精神世界が思われところである。
この夢殿について、一つの強いあこがれがある。それは、太子が夢を抱き、思索に耽ったという謂われの建物跡に夢殿が建てられているからである。女性ガイドのやさしく温もりのある声を聞きながらそのあこがれの気持ちが蘇ったのであった。夢殿の夢とは太子の深い思索の基にあった夢を指すものであろう。何とも美しい名である。
で、最近、初夢は「夢殿の夢を」と思うのであるが、その夢はなかなか遠く、未だに叶えられずにいる。これは現実にある夢殿ではなく、私の心の中に定まっているあこがれとしての夢殿である。まだ叶わないけれども、それゆえにあこがれはあこがれとしてあることが言える。夢に夢殿の夢。思索に詩作の夢。ああ、楽しみは待たれてやまない。
太子は籠って思索に思索の末、十七条の憲法を成し、第一条の冒頭、「以和為貴」という天下に名高い言葉を草した。これは仏教の徒にしてあった太子の夢より生れた思索の言葉と言ってよい。ああ、この煩悩の身はあこがれる。写真は二枚とも夢殿。