<167> 寒牡丹と冬牡丹
私たちは思いを抱いて生きている
その思いは有形無形の情報による
その情報は真偽相まって存在する
真偽は心眼心耳をもって見分する
見分は思いに利して真実に及ぶ
真実は常に正しい道を開くにある
歳時記を見ると、寒牡丹と冬牡丹とは同じものとみて、その風情が説明され、例句も両方が併記されている。で、句にそのどちらを用いるかは詠者の好みや語感によるようで、 同じものとして詠まれている。しかし、園芸の世界では寒牡丹と冬牡丹は似て非なるもので、以前にこの指摘を受けたことがある。
ボタンは中国原産のキンポウゲ科ボタン属の落葉低木で、 早春のころ芽を出し、 五月ごろに大きな花を咲かせる。 中国では花王と言われ、 第一番の花として貴ばれ、 日本には薬用として空海が中国から持ち帰り、 奈良時代末ごろ入ったと言われる。 空海の事蹟は茶に及んでいることは有名であるが、ボタンにも見られるわけで、大和では長谷寺をはじめとしてボタンで知られるお寺が幾つかある。
冬のボタンとしては葛城市當麻町の石光寺の寒牡丹が名高いが、最近、當麻寺や長谷寺などでも多く見られるようになった。この冬のボタンは霜や雪を防ぐために藁で作った被いをしているのが特徴で、そこに風情を見ることが出来るが、この冬のボタンに寒牡丹と冬牡丹があって、違いの見られることが言われている。
寒牡丹はボタンの変種で、 普通は初夏に花をつけるが、 変種は二季咲きで冬にも咲き、 この二季咲きの特質を利用し、初夏の花期に蕾を摘み取って咲かせず、 八月ごろに葉も摘みとって、 秋の花芽を育てて冬によい花を咲かせるように調節したものと言われる。
これに対し、冬牡丹の方は普通のボタンを室咲きにしたものと言われる。つまり、寒牡丹はボタン自身を変質させたものであり、冬牡丹の方は外部の環境を変えることによって花の時期をずらしたもので、 園芸品種の改良と栽培技術により、冬も容易に花を咲かせることが出来るようになったことを物語るものである。
寒牡丹に成長した葉がほとんどないのはこのためで、葉の有無によって見分けることが出来る。室咲きにする冬牡丹の方はボタン特有の葉が青々と見られ、花も大振りであるのがわかる。 風情で言えば、昔からある寒牡丹であり、 豪華さから言えば、最近多くなった室咲きの冬牡丹ということになるだろうか。
しかし、このどちらがよいか、 これは観賞する側に委ねられるところで、どちらに軍配を上げるかは観賞者個々による。ここで個々の審美眼ということが言われることになるわけで、冒頭の詩の創意はここにあると言ってよい。写真は左が寒牡丹、右が冬牡丹。