大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

日ごろ撮影した写真に詩、短歌、俳句とともに短いコメント(短文)を添えてお送りする「大和だより」の小筥集です。

大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2012年02月08日 | 写詩・写歌・写俳

<159> 老 犬 太 郎 の 死
       太郎はよく生きた

     太郎はよく生きた

     老犬の太郎は

     まことによく生きた

     真冬の厳寒に

     ひっそりと亡くなった

 <7>の滝水の項で紹介した近所の老犬、太郎ことチャッピーが十七歳になる今年に入って亡くなった。妻が買物に出かけたとき奥さんに会ってその話を聞いたという。 太郎には夏場の暑さは乗り切ったのであるが、 冬場の寒さがいけなかった。私には正月前に歩いているのを見かけたが、あれが最後の姿だったということになる。
 猫にも言えることであるけれど、 犬も長い間飼っていると家族同然の愛着が生じて来る。妻の話によると、太郎のチャッピーが亡くなったとき、 奥さんは三日三晩涙に暮れたという。 犬の情については、『フランダースの犬』がよい例であるけれども、最近では、車の転落事故で雪の積もった中で、車中に閉じ込められた子供に一晩中寄り添って救助されるまで一緒にいた犬のニュースがあった。
 折しも、轢き逃げされた子供を見て見ぬ振りをして通り過ぎて行ったという通行人のニュースが中国から流れて来た。全く畜生にも劣ると思いながら聞いたことではあった。 私たちは飼い犬について、ペットか番犬くらいに思っているが、それ以上に犬の情というものは深いものがある。そして、犬には弁えというものがちゃんとある。
 会社の先輩でよく犬の話をする人がいたが、その人は「どんなに遅く帰宅しても犬だけはちゃんと出迎えてくれる」と言っていた。 家族はみんな寝ているということであり、これは噺家か川柳子のネタのような話に思えるが、何か切ないような心情がうかがえる。
 奥さんの涙は厚情の証であるが、犬の情の深さを知らしめるものでもある。離れ離れに暮らす子供以上かも知れない互いの情が犬の死によって止めどない涙になったという次第である。若いときにはよく吠えた犬であった太郎はペットか番犬か、どちらにしても、家族同然の愛犬であったことは奥さんの涙がそれを証している。 私にはそれほど親しい犬ではなかったが、 心の隅にいる犬だった。 思うに、 太郎はよく生きたと言える。 犬にとって享年十七歳は長命と言ってよい。
 では、この小さな命の訃報に四季の花を献じて葬送の言葉に変えよう。 安らかに。写真は左からホトケノザ、ミヤコグサ、キンエノコロ、ノコンギク、ススキ。これらは、彼が散歩に出かけた道筋で見かけたであろう四季の草花たちである。