山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

‘18年 北海道生誕150年の今めぐり旅 レポート <第26回>

2018-06-20 06:07:26 | くるま旅くらしの話

【今日(6/20)の予定】 

終日別海町ふれあいキャンプ場にて過ごす(日中町の図書館へ)

 

【昨日(6/19)のレポート】 天気:くもり後晴れ(暖かさ少し戻る)

<行程>

キャンプ場 → 別海町図書館 → キャンプ場

<レポート>

 今朝は1時前に起き出して、思い立ってしばらく北海道の地名の資料を作ろうと3時頃まで取り組む。眠れない時は起きて何かするのが一番なのだ。毎日19時過ぎには寝床に入っているし、ここ数日はロクに歩くこともしていないので、体が鈍っており、睡眠時間も余り過ぎているのである。少し寒いのを我慢しながら、パソコンに取り組んでいる内にあっという間に2時間が過ぎた。身体が冷えて来たようなので、もう一度寝ることにした。5時半過ぎに起き出して外を見ると何時の間にやら雨が降ったのか、路面が濡れていた。寒さは幾分和らいで入るようである。別海のこの地の今頃の朝はいつもこのような状態なので、期待もガッカリもしない。

 今日は歩くことにして、それから1時間余り市街地を中心に一回りすることにした。少し寒かったが、速足で歩いていると次第に身体が温まって来た。パークゴルフ場の傍の道を通ったのだが、早や何人かの老人たちが元気な声をあげてパークゴルフを楽しんでいた。道端に何か珍しい花は咲いていないかと探したが、まだ時期尚早らしい。ハクサンチドリなどは最初からないのは判っているので、期待はしないのだが、ノコギリソウがほんの少し見られる他はこの地に多いホサキシモツケやミソガワソウなどはまだまだ眠りの中にいるようだった。市役所などの近くを通り、この地区の中心街を大きく回って、7時半には車に戻る。

 今日は滞在していた車は殆ど居なくなって、この分だと新しい方が来ない限り泊りは自分たちだけとなってしまいそうな感じだ。本格的な暑さの到来しない限り、来訪者は増えないのかなと思いながら、車の給水やトイレの処理などをしている内に10時が近くなる。今日は図書館に行って、昨日整理した資料を元に各地の状況のコメントなどを記入するつもりでいる。

朝のキャンプ場風景。広いスペースにはまだシーズン前とあってか、駐車しているのは我々のSUN号一台だけだった。

 図書館は開館したばかりのようで、誰も入館者はおらず貸切の状態だった。平日なので、朝一番に利用者が駆けつけて来るとは思ないのは当たり前のことではある。早速書類袋を開け、整理に取り掛かる。パソコン持参で、電源を使わせて貰って、コメントの記入を開始する。午前中2時間はあっという間に過ぎ、一時車に戻って昼食を済ませ、その後、再び図書館の中へ。邦子どのは、近くのスーパーなどへ買い物に行ったりしていたようだった。15時までで今日は終わりにすることにして戻ると、邦子どのがいない。電話をすると、隣接する加賀家文庫に入っていて、事務の女性と何か話をしているという。加賀家文書は、この地でその昔アイヌの人たちとの交易に当って通辞をしておられた方が残した書類の数々で、別海町はそれを大切にしていて特別の建物を建てて保存公開している。一度入って見たことがあるのだが、なり専門的な分野なので、よく解らなかった。邦子どのは後で聞くとその女性事務員の方との会話ばかりで、肝心の文書の方はとんと係わらなかったらしい。毎度のことではある。

 その後は、近くのスーパーで買い物を済ませ、キャンプ場に戻る。今夜は自分たちだけかと思ったら、新たに3台の車がやって来られて、何故か安堵した。夕刻になって、ちょいとひと眠りしようと寝床にもぐり込んだら、親しき知人の松本さんがお出でになり、とんだ失礼をしてしまった。松本さんは、何と大きなカレイを持参され、更には刺身まで用意されて来られて恐縮すると合わせ嬉しく有難くもまた驚いたという心境だった。お忙しそうで、まだ仕事があるということで、直ぐにお帰りになった。またお出でになるとのことなので、今度はゆっくり久しぶりの話をしたいと思った。突然のことだったが、失礼してしまってもうしわけない。その後、早速カレイを調理して二度目の夕食を摂る。このようなカロリーオーバーは自分のコントロールの範囲ではない。久しぶりの煮魚をじっくり味わった。刺身も美味かった。松本さん、ありがとうございました。今度はゆっくり話をしましょう。今度は手ぶらでお越しください。思いがけない出来事に興奮しながらも眠りにつく。

 

 

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‘18年 北海道生誕150年の今めぐり旅 レポート <第25回>

2018-06-19 03:05:43 | くるま旅くらしの話

【今日(6/19)の予定】 

 終日別海町ふれあいキャンプ場に滞在(日中図書館行)

 

【昨日(6/18)のレポート】 天気:曇り時々霧雨

<行程>

終日別海町ふれあいキャンプ場に滞在 

<レポート>

 4年ぶりのこの地での夜を過ごし、朝を迎える。夜中に少し雨が降ったようで、しばらく天井を雨音が叩いていた。朝方には止んだようだったが、外へ出て見るといつものこの地の朝がそこに広がっていた。霧雨にまぶされた寒さと暗い空が覆いかぶさるように広がっている、そのような風景だった。樹木たちの緑が無ければ、とても間もなく夏を迎える季節とは思えない寒さなのだ。今のところ、このような日々がしばらく続きそうな天気予報である。

 今日はどこへも出かける予定はなく、このキャンプ場に籠って昨日までの資料の整理をするつもりでいる。キャンプ場の泊りの車も少なく、キャブコンは3台きりだったし、バンコンの車も3台だけだった。バイクの人も一人いて、テントを張っていたけど、この寒さではかなり厳しいのではないかと同情した。

 朝食の後しばらく休憩して、その後資料等の整理に取り掛かる。函館に上陸して以来、何時の間にか30数カ所も各地の資料館を訪ねて、資料も大きな書類袋に2つほどになっていた。これは自分だけの分で、邦子どのの方も合わせるとかなりの量となる。これを一本化することにして、二人でチエックしながらの作業だった。昼食の時間の来る少し前までかかって、ようやく整理を終える。取り敢えず書類袋二つにまとめて収納することが出来た。これらの資料をこの後どのように読み、活用してゆくのか、これが課題である。明日から図書館に通い、メモなどと合わせて記録の整理に取り掛かることにしている。

 午後は明日からに備えて静養することにして、TVなどを見ながらゆっくり過ごす。といっても車の中は狭く、寒さは依然変わらない。早やめに夕食を済ませ、今日も長い夜を迎えることとなった。特に書くこともない。

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‘18年 北海道生誕150年の今めぐり旅 レポート <第24回>

2018-06-18 05:00:52 | くるま旅くらしの話

【今日(6/18)の予定】 

 終日別海町ふれあいキャンプ場に滞在

 

【昨日(6/17)のレポート】 天気:曇り 寒さ変わらず

<行程>

道の駅:厚岸グルメパーク →(D)→ アイカップ自然史博物館 →(D)→ あやめヶ原散策 →(D)→ 散布原生花園(ハクサンチドリ探索) →(D・R243)→ 別海町ふれあいキャンプ場(泊)

<レポート>

 早朝に厚岸の町の散策に出かける。厚岸湖に架かる大橋の向こう側まで行くのは止めにして、厚岸駅がある側の町並みを1時間と少しかけて散策する。厚岸駅にはこの地近くの浜中町出身のルパン三世の作者モンキーパンチの出身地ということで、車両の壁面にルパン三世登場人物の描かれた一両のディーゼルカーが泊っていた。そこだけが光っているようで、町は暗い雲の下でまだ眠っているのか、静まり返っていた。JR厚岸駅の中を覗いたが、もちろん誰もおらず、若い駅員の方が一人静かに座っていた。駅から少し行くと町役場があった。立派な建物だ。その少し先に海事記念館があり、ここは昨日訪問済みである。その後跨線橋の坂道を上って戻ったのだが、そこからは町立なのか立派な病院らしき建物が見えた。これらを見ながら我が守谷市の施設の貧しさを思った。市役所だけはここと比べてもまあまあのレベルかと思うけど、その他の公共施設となると、北海道の小さな村にも及ばないのはどういうわけなのか。6万7千人もの人が暮らしているというのに。と又同じ愚痴の疑問が浮かび上がる。税金というのは、適切に使われているとは到底思えない。人生の何割かは税金を納めるために働いてきたというのに。不毛の愚痴は意味がない。

 さて、今日はハクサンチドリを探して散布(ちりっぷ)というエリアを訪ねるのがメインの予定である。そこへ行く前に厚岸の町から近い愛冠(あいかっぷ)という岬の近くにある自然史博物館を訪ねることにして、8時半過ぎに出発する。今日も寒い。海から吹いてくる風が寒さを強調しているようだ。一体いつになったら夏の季節がやって来るのやら。またまた愚痴となる。

 直ぐに到着して、博物館の方へ。駐車場が少し離れた場所にあり、700mほど歩かなければならない。道の両脇には倒木が散乱した場所があり、原生林を思わせる雰囲気があった。道脇にはコンロンソウと思われる白い花を咲かせた野草がかなり多く咲いていた。その中にササエビねの小さな花を見つけて、少し興奮した。博物館を後回しにして、愛冠岬の海を見下ろす展望台の方へ行くと、10頭を超える鹿たちが草を食んでいるのが見えた。何枚かの写真を撮る。鹿たちは近づいても少しも恐れていないようだった。

ササエビネの花。エビネよりも小形でほっそりとしているので、うっかりすると見過ごしてしまう存在だ。

戻って自然史博物館へ。ここは北海道大学の研究施設の一部となっているようで、館内には北海道の動物たちの何種類もの標本がかなりの数並んでいた。海や川の魚までホルマリン漬けで展示されており、極めて学術的価値のある標本の数々なのだなと思った。生物のみならず岩石についても並べられていたので、本気で何かを知りたい、見たいと思った時にはここへ来ればいいのだなと思った。一人の研究者と思しき女性がエゾ赤ガエルのオタマジャクシを育てられているのか、水槽に群れるオタマジャクシたちに餌を与えていた。こんな人気のない原始林のような場所で仕事をしているのは、よほど興味関心が強い人なのだなと思った。博物館を出た時に、直ぐ近くにサクラソウが咲いているのに気づいた。園芸種ではなく本物の野草である。白花のものも1本あったので、早速カメラに収めた。今日から様々な野草たちの花や姿をカメラに収めて楽しむ考えでいる。

博物館を出た後は、少し離れた所にある厚岸の名所の一つであるあやめヶ原へ。今月下旬からあやめ祭りが予定されているのだが、この寒さでは少し開花が遅れるのではないか。まだ咲いていないのではないかと思いながらの到着だった。早速中に入る。ここは馬の放牧がおこなわれており、来訪者は馬たちの邪魔をしないように入口や通路には柵が設けられているので、それを開閉しながら歩かなければならない。入って見ると、あやめは予想通り開花時期が到来していないようで、咲いているのはほんのまばらな数だった。あやめヶ原は、断崖の上にあり、厚岸湾や太平洋を俯瞰できる展望台が幾つか作られているのだが、途中の展望台の下部辺りにハクサンチドリが一株花を咲かせているのを発見した。草叢の中に僅かな赤紫の色を見つけて、もしや!と思ったのだが、みごとに見つけて興奮した。早速写真を撮る。邦子どのもやって来てカメラに収める。この分だと、散布の草原にも見出せるかもしれないと期待が膨らむ。

あやめヶ原の散策を終えて、次はいよいよハクサンチドリが群れ咲く草原の探訪である。上手く見つかればいいのだが、正直自信はない。殆ど通行のない道を散布目指して15分ほど行くと、7年前に通りかかった感じのする草原に出た。車を止めて目視した限りではハクサンチドリらしき花は見られなかった。と、その時邦子どのがそれらしき花を発見する。行って見ると正解だった。ハクサンチドリなのである。しかし群生となってはおらず、目立つ1本の他に2株ほどが花を咲かせていた。それから少し場所を移動して探してみると、あった!数株が花を咲かせているのが見つかった。しかし、それが全てであり、その後注意深く探してみても見つからなかったのである。まだ時期が尚早なのか、それとも気候の変化で消え去ったのか、理由は分からないけど、とにかく数株のハクサンチドリに会えたのは、ラッキーだったと思うことにした。

草原に咲くハクサンチドリ。残念ながら群生している姿は見られなかったが、それでも数株の花を見つけて十分満足した。

その後は、只管別海町のふれあいキャンプ場を目指す。広大な牧場が幾つも広がる真ん中の道を走って、13時少し前に到着する。4年ぶりの来訪だ。先ずは取り敢えず5日間はここで過ごすことにして管理人さんに申込をする。4年の間に管理人さんも替わっていて、お若い方となっていた。料金が少し上がって自分たち二人の場合1泊1200円となっていた。文句はない。明日からはここを基地にしての活動をしようと考えている。

久しぶりにご飯を炊いてカレーライスを食べて遅い昼食をとる。そのあとは、車の点検その他、今までしっかり手当の出来なかった箇所などをチエックしてこの半月間のSUN号の面倒を見る。その後ブログの記事などをかいている内にあっという間に夜となった。ここは地デジの受信状態が良くない。手づくりのヘンテナではどの局も無理なようである。BSの方は大丈夫だった。西郷どんを見た後は早々に寝床の中に。

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‘18年 北海道生誕150年の今めぐり旅 レポート <第23回>

2018-06-17 07:11:13 | くるま旅くらしの話

【今日(6/17)の予定】 

道の駅:厚岸グルメパーク →(D)→ アイカップ自然博物館 →(D)→ あやめが原 →(D)→ 散布原生花園(ハクサンチドリ探索) →(D・R243)→ 別海町ふれあいキャンプ場(泊)

 

【昨日(6/16)のレポート】 天気:曇り後時々晴れ

<行程>

道の駅:阿寒丹頂の里 →(R240・R38他)→ 釧路市立博物館 →(R44)→ 道の駅:厚岸グルメパーク →(D)→ 厚岸町海事記念館 →(D)国泰寺跡&郷土資料館 →(D・R44・D)→ 大田屯田開拓記念館・官舎 →(D・R44他)→ 道の駅:厚岸グルメパーク(泊)

<レポート>

 ここ道の駅:阿寒丹頂の里は、4年前とはかなり変わっていた。駅舎が以前とは少し違った場所に移って新しくなっていた。しかし、車中泊の者には、一般駐車場所と異なる場所を指定していて、トイレなどからは離れることになり、少し厳しく冷たくなっている感じがした。朝付近をしばらく散策したが、今まで知らなかったのだが、近くにはバンガローや遊具などが多数設けられていて、孫がいたら丁度いいのになあと思った。いつになったら一緒に来られるのかなと、改めて老人としての自分の歳が増えるのが気になったりした。

 今日は先ず釧路の市立博物館を訪ねた後、厚岸迄足を延ばし、この地区にある幾つかの郷土資料館とそれから幕府が開設した3つの官寺の一つである国泰寺跡を訪ねることにしている。その後は厚岸の道の駅に泊るつもりでいる。

 考えてみれば、もう家を出てから3週間が過ぎ、6月も半ばを過ぎている。内地の方は梅雨に入って雨続きだというけど、北海道はどこへ行っても寒さ続きで、石北峠などでは雪が降った場所もあるという。今朝も震えが来るほどの寒さで、やはり道東は違うなと思った。これから道東中心の暮らしがしばらく続くのだから、全くこの先が心配である。

 9時少し前に出発して釧路市立博物館に向かう。途中で給油をして、博物館に着いたのは、9時50分頃だった。早速中に入る。何階建てなのか、立派な建物だった。先ずは釧路の大自然に係わるものたちの展示がなされていた。映像が上手く使われていて、イトウやキタサンショウウヲなどの生態の説明など参考になった。その後は2階に移って釧路の変遷などの解説や関係資料等の展示があったが、照明が暗く加えて文字が小さいので、読解するのが困難で、老人向けにはやや不親切に思えた。3階にはアイヌの人たちの暮らし等についての展示があったが、これは既に二風谷他の場所でしっかり見聞しているので、特に新鮮なものはなかった。帯広の百年記念館のように釧路エリア全体についての開拓の歴史関係の資料を見たかったのだが、それは叶わなかった。ただ、有料の小冊子で良いものがあったので、あとでじっくり読んでみたいと思っている。

 博物館の後は、厚岸に向かう。天気は相変わらず寒くて日射しは期待できず、風もかなり吹いていて、心配は消えない。R44は空いていて、(いつも空いているのかもしれない)予定よりも少し早く厚岸の道の駅に到着する。ここで久しぶりに外食することにして、2階のレストランへ。厚岸は何といっても牡蠣が有名だ。邦子どのは念願の牡蠣フライが食べられてご機嫌だった。自分は時鮭の焼き魚と、牡蠣フライ2個と厚岸シジミの溢れ入っている味噌汁のついたのを食べた。これも美味だった。新鮮なものはやっぱり美味いのだ。

 食事の後は、近くにある海事記念館へ。このような海に関する資料や展示のある施設を訪ねるのは今日が初めてである。邦子どのはパスするというので一人での入館となった。漁業に関する船やその内燃機関などの展示品の他に、漁具などが幾つか並べられていた。又厚岸の漁業の歴史についても展示と説明があり、これも大いに役立った。この町は漁業を中心に江戸の昔から栄えて来た場所であることを理解できた。詳しいことはここに書けるものではない。追って整理する考えでいる。

 その後は、国泰寺跡へ。直ぐに着いて、しばらく境内を散策する。本堂他古い建物も一部残っており、往時を偲ぶことができる。国泰寺は1804年に幕府がこの地で働く和人とアイヌの人たちのための信仰のよりどころとすべく建立した蝦夷三官寺の一つである。境内全体を眺めていると、往時のあり様が浮かび上がって、敬虔な気持ちとなった。その後、境内に建てられている町の郷土資料館に入る。一通りの町の歴史についての解説や展示物が並べられていたが、海事記念館と重なる資料もあり、ざっと見るに止めることにした。

 次はもう一つ是非見ておきたいと思っている場所である大田屯田開拓記念館に向かう。今までは海側の町の中心部を見て来ているのだが、大田屯田開拓記念館は、海からは少し離れた山というか丘の方の平野側にあって、15分ほど走って到着する。屯田兵というのがどんな目的でどのように運用されて来ているのか、そのコンセプトなどは理解していてもその実態がどのようなものだったかについては、全無知なのである。中に入って様々な資料や解説を読むにつれて、だんだんその実態が判って来て、これもまた大変な施策だったのだなと思った。屯田兵の殆どは士族であり、プライドも高かったのだと思うが、新天地での原野の開拓は、尋常なものではなかったのだと思った。軍隊組織の中での開拓は公私を使い分けてのものであり、官による基本的な物資の付与があったとはいえ、その苦労は並大抵なものではなかったのではないか。館内の見学を終えた後、文化財となっている往時の官舎というか、住いを見に行ったのだが、17坪あまりの粗末な木造の建物は、標茶の集治監の人たちが建てたのだということ。この地でも囚人たちの貢献が大だったことを知って、少し厳粛な気持ちになった。

厚岸町太田地区に残る屯田兵が暮らしたという家。この家は往時は400戸以上もあったというが、そのほとんどが標茶集治監の獄囚たちによって建てられたという。

 その後は、今日の見学探訪はこれで切上げることにして、泊る予定の道の駅:厚岸グルメパークに向かう。途中で少々買い物などをして16時少し前に到着する。風が少し強いけど、青空が見えて来て日が射して暖かくなってきたようだ。今夜はこの調子で天気が回復してくれればいいがと思いながら夜を迎える。明日は念願のハクサンチドリに会うつもりでいるのだが、果たしてどうなるのか、期待とその反対の気持が交錯している。明日はとにかく今回の旅のベースキャンプの一つと考えている別海町のふれあいキャンプに入るつもりでいる。

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‘18年 北海道生誕150年の今めぐり旅 レポート <第22回>

2018-06-16 05:32:26 | くるま旅くらしの話

【今日(6/16)の予定】 

道の駅:阿寒丹頂の里 →(R240・R38他)→ 釧路市立博物館 →(R44)→ 道の駅:厚岸グルメパーク → その先未定

 

【昨日(6/15)のレポート】 天気:曇り時々晴れ

<行程>

道の駅:なかさつない →(R236他)→ 幕別町ふるさと館 →(D・R38)→ 道の駅:浦幌 →(R38他)→ 浦幌町博物館 →(R38)→ 道の駅:しらぬか恋問 →(R38・R240)→ 道の駅:阿寒丹頂の里(泊)

<レポート>

 今朝も朝方は青空がのぞき太陽が昇って来たのだが、間もなく雲に覆われて、今日も又天気は前途多難の様相を呈していた。中札内の道の駅には札内川の清流をもとにした水が汲めるようになっているのだが、店がオープンするまでは使用できないようになっているらしく、8時前に水道の蛇口をひねっても無駄だった。車の水槽が心もとなくなって来ているで、是非ここで汲ませて頂こうとしばらく待つことにした。9時からのオープンだったが、少し早やめて8時半頃から汲めるようにして頂いてありがたかった。

 準備が完了して出発は9時少し前となった。今日は先ずは昨日行けなかった幕別町のふるさと館という所へ行き、その後蝦夷文化考古館を訪ねて、そのあとは少し走って浦幌町の博物館を見て、太平洋岸を一路走って白糠町の道の駅で豚丼弁当を買い、釧路市阿寒町にある道の駅:阿寒丹頂の里へ行って泊ることにしている。

 出発の後、まだ出来上がっていない帯広と広尾を結ぶ無料の高速道を利用して帯広市の川西ICまで行くことにした。R236を行くよりも15分ほどは時間が短縮できる。それほど急ぐことも無いのだが、時間というのは余裕があるに越したことはない。高速道からの景色は、十勝平野の広さを実感させるものだった。遠く左方に日高山脈がまだ残雪の光る峰を連ねて横たわり、然別の方にも高山が遠望できる。今から150年前には想像もできない高速道なのだった。往時はこの辺りは原始林や湿地帯が広がる原野だけしかなかったのかもしれない。この僅かな時間の間によくもまあこれほどの世界をつくり上げたものだと、改めて先人たちの開拓魂に敬意を表する気持となった。

 高速道を下りて一般道に入り、しばらくはナビを頼りに進んで、間もなく幕別町に入り町のふるさと館に到着する。この辺りがどういう所なのか全く知らないままにやって来たので、とにかくその施設に入るだけである。200円也の料金を払って中に入る。入ると直ぐ左側の壁に北海道の地名を細かく書き込んだ地図が貼付されていた。1枚だけではなく何種類かあって、この近隣の町村別の地名地図も掲示されているのである。これがあればいつでも北海道のアイヌの人たちが呼んでいた地名を、無理やり日本語漢字の当て字で表現している現在の地名の本当の意味を理解でき易くなるのである。欲しいなと思った。それで事務の方に何かこれに似た資料はないかと訪ねたのだが、その方は分からないという。ではどこへ行けわかるのかなどと邦子どのが聞いていたら、それを聞いていた別の方がどういうわけで欲しいのかと理由を聞かれたので、北海道生誕150年を期して往時を理解できるデータを探しながら旅をしているのだが、この地図はその目的を叶える上で、とても貴重な資料だと思ってお訊きしていると答えたら、どうやらその方が資料に関しては専門の方らしく、倉庫を探してみるとおっしゃって自分たちもご案内頂いたのだった。中に入ると、片隅に何枚かの模造紙大の地図が収められていて、その中に北海道地名の地図が何種類か納められていた。その中から4種類ほどを選び、なんと持って行ってもいいというお話だった。まさに願いはかなえられたのだった。お話を聞くと、この地図はこの地在住の山田治さんという方が、タクシーのお仕事をされる傍ら、一人で努力されて20年以上の時間をかけて作成されたものだということ。全道のみならず幕別町近隣、十勝エリア全体などの詳細な地図も作られており、いやあ凄いことだなと感動した。又、山田さんがお作りになった地形や自然環境に係わる現在の呼び名元となっているアイヌ語の読み方とその意味を簡明に表記した一覧表なども何種類かあり、それらの一部をコピーして頂戴することが出来て嬉しかった。この地にも縄文時代の遺跡があり、その出土品なども見せて頂き、勉強不足の自分にはただ見るだけの力しかなかったのだが、現在もその倉庫に眠る出土品の研究整理に取り組まれているとのことで、裏の世界を覗き見ることが出来参考になった。次は縄文時代を覗くのが課題の一つだと思っている。

 とにかくこの地でこの地図を頂戴出来たのは今回の旅の中での一大収穫だったように思う。これからの旅の中でも北海道を理解する基本資料として大いに役立つに違いない。改めて幕別町ふるさと館の二ツ山さんに感謝とお礼を申し上げたい。興奮しながらふるさと館を後にしたのだったが、その後に予定していた蝦夷文化考古館へ行くのは、あとにすることにして、釧路に向かって先に進むことにして出発する。

 十勝平野の広がる中を通るR38をしばらく走って、浦幌の道の駅に着き、ここで昼食休憩とする。給食の後は、この町にある浦幌博物館へ向かう。直ぐ近くに立派な建物の博物館があった。この町が100年を迎えた記念に建てられたらしい。北海道の各地を回って来てつくづく思うのは、自分たちが今住む守谷市の施設の貧しさである。守谷市のみならず茨城県の市庁舎や公共施設は全体的に見てプアーだなと思う。守谷市など36㎢の6万7千人もの人が溢れているのに、この貧しさは何なのだろうかと思う。東京へ出かけて活用すればいいということなのであろうか。いつも抱く疑問である。

 浦幌博物館は、開拓に係わる資料等はそれほど見られず、映像で開拓に係わった人々を大雑把に知る程度だった。この町が十勝沖地震で甚大な被害を蒙ったこと、又大火にも見舞われるなど自然災害を乗り越えてここまで発展してきたということなどが判った。又炭鉱も存在していたことを知り、これも意外な発見だった。

 その後は少し離れた釧路市阿寒町にある道の駅:阿寒丹頂の里を今日の宿と決め向かう。途中白糠町の道の駅に寄り、ここの名物道の駅駅弁第1号という「この豚丼」弁当を買う。今夜はこれを食べるのが楽しみで、北海道のこの地を通る時は必ず食する自分の楽しみでもある。それから20分ほど走って阿寒の道の駅に到着する。かなりの旅車で混んでいた。4年ぶりの来訪だが、道の駅の駅舎はすっかり新しくなっていた。駐車場も新たに整理されたようで、車中泊の車は奥の方の駐車場へとの案内があった。自分達は移動して未舗装のその場所へ行ったのだが、殆どの車はそのまま動かずに一夜を過ごしたようである。指定された場所に泊ったのは、2台だけだった。早速この豚丼で一杯やって、今夜もまた寒いやるを迎えることとなった。

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‘18年 北海道生誕150年の今めぐり旅 レポート <第21回>

2018-06-15 07:00:34 | くるま旅くらしの話

【今日(6/15)の予定】 

道の駅:なかさつない →(R236・R38他)→ 幕別町蝦夷文化考古館 →(R38他)→ 幕別町郷土資料館 →(R38)→ 道の駅:浦幌 →(R38・R240)→ 道の駅:阿寒丹頂の里(泊)

 

【昨日(6/14)のレポート】 天気:曇り

<行程>

道の駅:しほろ温泉 →(D・R241他)→ 士幌町ふるさと資料館 →(R241他)→ 音更町郷土資料室 →(R241・R236他)→ 帯広市百年記念館・ビート資料館他見学 →(R236他)→ 道の駅:なかさつない(泊)幕別町蝦夷文化考古館 → 幕別町郷土資料館 → その先未定(R38経由で釧路方面へ向かう予定)

 

<レポート>

 朝起きて外を見たら、久しぶりの青空が広がっていた。しかし寒さの方は相変わらずである。この道の駅は温泉は素晴らしいのだが、仮眠族の自分たちにとってはトイレや水などの施設には恵まれておらず、少し厳しいので、昨日ここへ来る途中に見かけた士幌町のもう一つの道の駅:ビア21しほろがすっかり新しくなっているのを思い出し、そちらの方へ行って朝食にすることにして、早朝の移動となった。

  15分ほどで到着してここで朝食とする。これは的確な判断だった。水はなかったけど、トイレは最新式だったし、何よりもありがたかったのは、120円を払ってゴミ袋を買うと、ゴミの種類を問わず、全てのゴミを回収して頂けることだった。旅の中でのゴミ処理は、特に移動の期間中は苦労する。多くの道の駅やコンビニは、売ることばかりを考えており、売った商品がゴミになるということを考えないようになっている。世の中は何だか自分勝手の方へ流れ出している感じがする。このままでは、新しい問題が生起して来るに違いない。そのような予感がする。ゴミの問題は、ゴミ箱を失くし、処罰をきつくするだけでは解決できる性質のものではないからである。外国人旅行者が増えている中では、所構わず放棄する者が出てくるのは明らかなことのように思う。せめてこの士幌道の駅のような対応をして頂ければそれを防ぐことが出来るのではないか。そう思った。

 さて、今日は先ず士幌町のふるさと資料館、次に音更町の郷土資料室、その後帯広市の百年記念館などを訪ねることにしている。ほぼ予定通りこれらの施設を見学したのだが、それらの個々についての所感よりも、百年記念館の見学をして気づいた十勝エリア全体の開拓について気づいたことを述べることの方が的確のように思っている。といういのも、十勝エリアの開拓には最も大きな功績を果たしたのは、静岡県の伊豆出身の依田勉三を中心とする鈴木銃太郎、渡辺勝・カネ夫妻という4名を幹部とする晩成社という開拓団の存在だったということ。士幌町の資料館に行っても音更町の郷土資料館に行っても晩成社の名は出ているし、町の開拓の歴史には欠かせない存在だったということが判る。だからもう少し晩成社というのが具体的にどのように開拓に係わったのかを知らなければならないのだが、今のところその余裕がない。百年記念館で貴重な資料を頂戴しているので、追って読むのを楽しみにしている。又、十勝の開拓には、栃木県の二宮村の開発に係わった二宮尊徳の孫に当たる二宮尊親という人物やその二宮と交流のあった徳島県徳島藩の藩医だった関寛という方も係わって大きな功績を果たしている。関寛という方は、72歳という高齢でありながら一念発起し、入植し十勝の深奥の地陸別町の礎を築かれたという。百年記念会での紹介記事だった。この他にも何人もの人々が開発に心血を注いだのが想像に難くない。

 十勝は広大である。調べたことはないけど、茨城県が二つくらいは入ってしまうのではないかと思うほどだ。何しろ上士幌町にあるナイタイ高原牧場は、牧場一つで自分たちが住む守谷市の37㎢よりも遥かに広いのである。この広大な原始林、湿地帯等の厳しい自然環境を切り拓くには並大抵の精神力では耐えられなかったのではないか。一つ加えておきたいなと思ったのは、明治28年に十勝集治監分監が出来たことである。先の月形町の樺戸集治監については様々なことを考えさせられたが、この十勝の分監設置についても、官主導の北海道開発の一つの切り口だったのを気づかせるものがあると思った。人口300人ほどの地域に1500人を収監する監獄が設置されることの意義は大きいように思う。悪いことをしたから犯罪者として重労働課しても差し支えないという発想もあるのだと思うが、人間としての開拓を考える時には、これら犯罪者の貢献は罪とは無関係に大きなと思った。思わずにはいられなかった。

 その後は、近くにある日本甜菜製糖株式会社のビート資料館というのを訪ねた。ビートは勿論知っているけど、砂糖がどのようにして出来上がるのかは全く知らなかった。その工程やなどについて、詳しくご説明いただいて、一つもの知りになった気分である。この会社は砂糖を運搬するために帯広駅までの鉄道を敷設し、それを貨物のみならず地域の住民のために客車の運行まで行ったという。総延長62km余というながさだったという。この町の発展に大きく貢献したことだと思った。またこの会社が発明したという、ペーパーポットという紙製の育苗用の用具は素晴らしいなと思った。これは北海道の蔬菜農業に現在でも大きく貢献しているというのを知った。学ぶことの多い一日だった。

 気づけば16時を過ぎており、今日は釧路に向けて移動する予定だったが、これを止め幕別町の郷土館等の探訪は明日にすることにして、一番近い道の駅:なかさつないに行って泊ることにして向かう。17時少し過ぎに到着して夜を迎える。またまた寒さが舞い戻ったようである。空はすっかり雲に覆われている。明日はどうなるのか。せめて雨だけは降らないで欲しい。毎日このような天候状態が続いている。

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‘18年 北海道生誕150年の今めぐり旅 レポート <第20回>

2018-06-14 07:10:52 | くるま旅くらしの話

【今日(6/14)の予定】 

道の駅:しほろ温泉 →(D・R241他)→ 士幌町ふるさと資料館 →(R241他)→ 音更町郷土資料室 →(R241・R236他)→ 帯広市百年記念館他見学 →(R241・R38他)→ 幕別町蝦夷文化考古館 → 幕別町郷土資料館 → その先未定(R38経由で釧路方面へ向かう予定)

 

【昨日(6/13)のレポート】 天気:曇りで寒い

<行程>

道の駅:忠類 → ナウマン象記念館見学 →(R236)→ 中札内村知人宅訪問 →(R236・R241・D) → 道の駅:しほろ温泉(泊)

<レポート>

 起き出して外を見ると曇り空で、寒さが朝の挨拶代わりに車の中にぬっと顔を出して入って来た感じがした。どうなってしまったのだろう。地元の人たちも4月に逆戻りしているとのこと。内地の方は梅雨入りして蒸し暑さに悩まされているのかもしれないが、北海道は季節外れの寒さが一向に抜けようとしていない。冬用の着衣も下着も殆ど持参していないので、こりゃあどこかで少し買い入れなければならないかなと、そのようなことを考えている。これから道東の方へ向かうというのに、一体どんなことになるのか。不安膨らむばかりである。

 さて、今日は一応帯広エリアの歴史探訪を予定してはいるのだが、メインは中札内村在住の大切な知人の田中さんご夫妻を訪ねることにしているので、その成り行き次第で、予定にはこだわらないで過ごそうと考えている。朝食の後は、ここへ何度も来ていながら、まだ一度も見ていなかったナウマン象記念館の見学をすることにしている。ここ忠類の道の駅は、すぐ傍に立派なパークゴルフ場があり、10年前頃には大勢の仲間たちとパークゴルフに熱を入れていて、ナウマン象のことは一つも気にしていなかったのである。

 さて、改めてその記念館に入って見て驚いた。とにかく立派な施設で、広い敷地の中にはナウマンゾウの親子の像がつくられており、時々その鳴き声らしきものを発する仕掛けがつくられている。中に入ると巨大なナウマンゾウの骨格の模型(本物の化石のレプリカを組み立てたものらしい)が置かれていて、それを取り巻くように発掘の経緯の書かれた説明や写真が展示されていた。映像もあり、如何にこの発掘がこの村にとっても又学問研究上も貴重なものだったかが伝わって来た。1969年の出来事だというけど、我々が結婚して間もなくの頃の発見だったのを知った。ほぼ一頭分の化石が見つかるというのは、日本国内では非常に珍しいことだったとのこと。それにしても最初に化石の臼歯の部分が発見されて、それを「これは象の歯だ」と判断して指摘したという小玉少年は素晴らしいなと思った。学校の理科の勉強で学んだ知識がそこに活かされたのだということだが、なかなかできることではない。

 その後専門家を中心に村を挙げての発掘作業が行われて、その全容が判明して行ったということである。今から30万年前の生きものの化石がわれわれ現代人に伝え、語るものの大きさを実感させられた気がした。もしかしてこのナウマンゾウも往時の人間の狩りの対象となっていたのかも、という仮説の痕跡を残すような石器らしきものも見つかっているとかで、それが本当のことならば、大発見となるのかもしれない。古代の古代のことはさっぱり解らないけど、この化石は実在した生き物の本物の証拠であり、改めて遠い遠い時代に思いを馳せたのだった。1時間半ほどじっくり見学して道の駅を後にする。

 それからは、中札内の道の駅に寄って少し休んだ後、直ぐ近くにお住まいの田中さん宅を訪ねる。待ち兼ねておられたように飛び出して来られて、4年ぶりの再会の挨拶を交わす。田中さんご夫妻にお会いするのは今度が4年ぶり2回目なのである。考えれば2度目というのは不思議な話なのだが、もう何年も前から親しくお付き合いをさせて頂いている感じであり、何の違和感も隔たりも無いのである。毎年この地の名産のジャガイモ(芽室のメークイン)を送って頂き、ジャガイモ人間の自分にはこの上なきありがたく嬉しい贈り物なのである。田中さんご夫妻とのご縁は、もともと先の訪問した小樽の工藤さんにふとしたきっかけで紹介頂いたものだったのだが、それがこのような関係にまでなったのは、不思議としか言いようがないのである。

 田中さんのご主人は馬が大好きで、何と趣味?で馬を飼っておられるのである。現在はいろいろあってポニ―一頭だけとなっているとのこと。近くの草場にいるそのポニ―を早速見に行く。お話では現在お腹の中に子がいて臨月状態なのだとか。いつ生まれるのか、それを毎日ケアされているとか。ポニ―さんは、優しい眼差しで応えてくれていた。馬の目というのは、何とも言えない魅力のあるものである。

 奥さんは剛毅でかつ繊細な方である。大きな声で話をされているのだけど、神経は実に細やかで、それはお仕事の障害者の給食という仕事にも活かされているのではないかと思った。ご苦労も多いようである。庭にはたくさんの草花や野菜類等が植えられて育っており、それらは皆奥さんのご尽力のものなのだった。花を愛する女性は、心優しいものだと自分は思っている。庭だけではなく、家の周辺に散在して咲く野草までも含めて大切に見守っているのは、奥さんの優しさの証なのだと思った。

 そのあとは、何と食事に車で行くのだとご案内された。そばを食べるよというお話だったので、奥さん辺りがご自分で打つのかと思っていたのだが、これはとんだ思い違いだった。10分ほど走ってご案内頂いたそば屋さんは、何と今回村の選挙で村長に当選された方のご両親が、リタイア後に始められた店だということだった。この蕎麦が実にうまかった。邦子どのは天ぷらもお願いしていたが、これが又ボリュームも味も抜群だった。すっかりご馳走になり、その後はお宅に戻ってしばらく歓談する。楽しい時間だった。帰りには、ジャガイモを初め採りたての山菜を初めたくさんのお土産を頂戴し、恐縮しながらも嬉しくありがたいことである。

 さて、その後は予定していた帯広エリアの探訪は止めることにして、今日は寒さも抜けないので、少し遠いけどいい温泉のある道の駅:しほろ温泉に行って温まって休むことにした。16時半過ぎに到着する。早速温泉へ。ここの温泉はいわゆるモール温泉という奴で、茶色のお湯である。温泉の湯が泥炭層などを通過して湧くとこのような色となるのだそうで、効能も優れているらしい。温度の違う何種類かの湯を楽しんで車に戻る。

 車の中に入っていると、外から山本さんですか?と声をかけられた。ハイ、と応えて誰なのかな?と外を見ると見知らぬ方だった。自分のブログを見ておられる方で、車の車体にSUNと書かれていて、ナンバーも88-55だったので、これは馬骨の車に違いないと声をかけて下さったとのこと。嬉しいひと時だった。ほんの少しお互いのこれからの予定などの話を交わして、お別れする。何しろ外は寒いので、長話はできないのである。短い時間だったが、このようのお声をかけて頂くことは嬉しい。

その後は、邦子どのも温泉から戻って、早やめの夕食を済ませ、明日の晴天を祈りながら寝床に入り眠りに就く。

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‘18年 北海道生誕150年の今めぐり旅 レポート <第19回>

2018-06-13 06:08:00 | くるま旅くらしの話

【今日(6/13)の予定】 

道の駅:忠類 →(R236)→ 大樹町郷土資料館 →(R236)→ 中札内村知人宅訪問 → その先未定なるも宿泊は道の駅:忠類を予定

 

【昨日(6/12)のレポート】 天気:雨

<行程>

道の駅:むかわ四季の館 →(R235・D・R237)→ 平取町二風谷アイヌ博物館・沙流川歴史館 →(R237・R235)→ 道の駅:サラブレッドロード新冠 →(R235・R236)→ 道の駅:大樹 →(R236)→ 道の駅:忠類(泊)

<レポート>

 夜明け前から雨は本降りとなったようで、朝になっても雨勢は弱まるどころか一層強くなりだして、今日はもう外部の見学は無理だろうなと思った。そう思いながら起き出したのだが、ブログの発信を終えてもう一度寝床にもぐって7時頃に起き出すと、邦子どのがバッテリーの警告灯が点いているというので、ならばエンジンをかけようとキーを探したのだが、いつも置いている場所に見当たらず、慌てて他のそれと思しき場所を探したのだがどこにもないのである。外に落としたのかと見てみたが、雨の中にそのようなものを落とす筈が無く、困り果てたのだった。このような時は失し物探しの名人の邦子どのがその本領を発揮して、昨日外出をしようと寒さ対策に着たウインドブレーカーの中に鍵があるのを発見。一見落着となった。それが見つかるまでかなり焦ったので、まあ、良かったのだが、とんだドジをしてしまい朝から調子が狂ってしまった。

 朝食の後、さて今日はどうするか。当初は平取町の二風谷にあるアイヌ民族博物館などを見た後、静内辺りにある郷土資料館などを見ようと考えていたのだが、この雨では建物内のものしか見ることができないので、あまり無理をしないようにしてどこか近くの道の駅にでも泊って天気が回復するのを待つことにしょうと決めた。先ずは一番近くにある平取町のアイヌ民族博物館を訪ねることにして出発する。ここは以前にも訪ねたことがあるのだが、今回は新たな視点で見てみようと考えている。

 途中の道は依然雨が降り続いており、一向に雨勢は弱まらない。幾つかの川に架かる橋を渡ったが、どの川も濁流が奔っていて今にも溢れんばかりの様相を呈していた。こりゃあ、大ごとにならなければいいがと少し心配が心を過ぎった。自分よりも邦子どのは自然災害に対しては超敏感な反応をするので、それが気になるのである。10時少し前に到着する。駐車場などが少し変わったようで、建物までの歩く距離が増えたような感じがした。雨の中、傘をさして流れる水と水溜まりを避けながら、先ずはアイヌ民族博物館を見学する。自分的には今回はアイヌ関係よりも平取町の歴史の方を見たいと思っているので、ざっと見ただけで後は邦子どのに任せて隣接する沙流川歴史館の方へ。

  こちらは予想通り平取町の歴史を含めた自然環境のことなどが展示解説されていて参考になった。それによると古代より沙流川の沿岸エリアには人の暮らしがあったようで、アイヌの人たちの集落なども点在していたとのこと。この二風谷はその中でも中心的な場所であったらしい。自分的にはアイヌの人たちの暮らしは、縄文人の暮らしを継承していると考えているので、常にそのことを頭において見ることにしている。縄文時代の人々もまた、このような環境を愛していたのではなかったか。そのように思えるのである。雨が降っていなければ、シャチというアイヌの人たちの遺跡も訪ねたかったのだが、この雨ではどうにもならない。諦めて車に戻る。

  12時近くになって、邦子どのが戻ってきたので、ここを引き上げ、道の駅のある新冠町を目指すことにする。しばらく海側に向かって走って、途中新しく出来ている高速道に入り、終点からは一般道を経て国道235に入って間もなく新冠の道の駅へ。依然雨は降り続いている。ここで昼食休憩。自分は味噌チキンカツ丼というのを食べた。これは思ったよりも美味かった。久しぶりの外食だった。

 さて、この後どうするか。邦子どのは不安げな顔をしている。来る途中の川は濁流が奔っていたし、海の方も流れ込んだ濁流で茶色に濁っていたのである。予報ではこの後次第に風が強くなるというし、雨もやむ気配がない。となると海岸近くの道の駅に泊るのは絶対嫌なのだろうし、山の方には泊る場所も見当たらない。ということで、予定していたこのエリアの全ての見聞を取り止めることにして、安全圏にある忠類村(現在は合併して幕別町)の道の駅まで行くことにする。ナビを検索すると約3時間かかるという。16時頃に着くので、何とかなるという判断だった。

 ということで、それからは只管運転に集中する。浦河を過ぎてしばらく走って天馬街道へ。この道の両側には馬を飼う牧場が多い。標高500mを超える峠近くのトンネルを潜って今度は下り坂をしばらく走ると広尾の町に出て平地となる。間もなく大樹の町に出て、ここの道の駅でほんの少し休憩して直ぐに出発。忠類の道の駅には予定より少し早く16時前の到着となった。ここは10年ほど前までは、大勢の仲間とパークゴルフを楽しんだ懐かしい場所である。今は、その仲間たちも散りじりになってしまい、自分もパークゴルフからは遠ざかってしまっている。雨はかなり小降りになって来た。駐車場にはかなりの数のキャブコンが並んでいた。人気の場所なのだろうと思いながら、自分も隅の方に仲間入りする。

 かなり走って疲れたので、早やめの就寝とすることにした。とんだ予定変更だった。やれやれ。

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‘18年 北海道生誕150年の今めぐり旅 レポート <第18回>

2018-06-12 05:31:05 | くるま旅くらしの話

【今日(6/12)の予定】 

道の駅:むかわ四季の館 →(R225他)→ 勇武津資料館 →(R225・R237)→ 二風谷アイヌ資料館等 →(R237・R225)→ 道の駅:サラブレッドロード新冠 → その先未定

 

【昨日(6/11)のレポート】 天気:曇り一時雨

<行程>

道の駅:マオイの丘公園 →(R274・R337)→ 道の駅:サーモンパーク千歳 →(R36)→ 千歳IC →(道央道)→ 沼の端西IC →(R225)→ 道の駅:むかわ四季の館(泊)

<レポート>

 今日は郷土資料館等の殆どが休みである。だから月曜日は今回の旅では、静養日か準静養日となることが多くなると思っている。今日も一応は予定は立ててみたけど、その通りになるかどうかは分からない。

 朝、カッコーの鳴く声で目が覚めた。今の季節、北海道の各地でこの鳥の鳴く声を耳にする。独特の鳴き声なので、直ぐに気がつくのだが、その鳥の姿を見ることは滅多にない。空を飛びながら鳴いているのを見たことがあるけど、その顔を見たことはない。この鳥はあまり好きではない。それは托卵という習性があるからだ。ウグイスなどの巣を狙って、隙を見て卵を生み、自分ではその子の面倒を一切見ず、またその子も本来のウグイスの児を蹴落として生き延びるという、何というおぞましい習性なのか。老人を騙す振り込め詐欺よりも悪辣のような気がする。その習性を知って以来どうもこの鳥が好きになれない。でもそれは鳥自身の罪ではないのであろう。自然界というのは真に不思議な力で運ばれているようだ。

 さて、今日はまず昨日の夕刻ここでお会いすることになっていた親しき知人の荒津さんに、予定を変更してお出で頂くことになっている。邦子どのと奥さんとの話でそうなっていると聞いている。ところが9時半を過ぎてもなかなかお見えにならないので、心配になって、邦子どのに電話して貰ったら、どうやらボタンの掛け違いがあったらしく、今ご主人がこちらに向かわれているという話だった。ちょっとご挨拶だけと思っていたので、ここまで来て頂くというのは真に無礼な話なのだが、とにかくそういうことになっているらしい。ということで、邦子どのが奥さんと電話で話している間にご主人の到着となった。奥さんの方は、現在民生委員を務めておられて今日も所用があって時間がとれず、ご主人だけがお越し頂いたという次第。

 荒津さんとは10年前にこの長沼町にあるマオイ名水という水汲み場でお会いして、奥さんに誘われてご主人手造りの別荘にお招きいただき、そこでご主人が自ら開拓して造った畑で採れたジャガイモをご馳走になって、それがもうこの世で最高の味だったのに感動して以来の不思議なお付き合いなのだった。この10年の間にいろいろなことがあり、ここ3年間は自分達も来道出来なかったので、4年ぶりの再会なのだが、その空きの時間を忘れるほどの近い存在なのである。奥さんのまじめ一方の性格は民生委員という大切な役割を全うするために、今は全エネルギーを傾注されているのだと思う。ご主人の方は別荘の下の畑で、作物たちと親しむ悠々自適の時間を大切にされていて、毎年秋に送って頂いているその稔りの宝物は、自分にとって格別なものとなっている。

 そのご主人と、それからあとずっと話が弾んで、気づけばお昼近くなっていた。3年間のブランクは話題を拾うに事欠かない。奥さんも一緒だったら、恐らく終日歓談していても話は尽きないのだろうなと思った。ご主人も又自分にとって心のバイブレートする大切な友人である。楽しい時間だった。お出で頂くのが少し遅くなったのは、わざわざ自分たちのために奥さんがお弁当をつくって下さったのだというのを知った。お弁当には久しく食べられなかった煮物のおかずと懐かしさを覚える豆ごはんが入っていた。その心配りに感謝感激である。美味かった。又ラッキョウの漬物二種などたくさんの差し入れを頂戴し、恐縮しながらも嬉しい気持ちでいっぱいだった。ありがとうございました。この旅の間にいずれもう一度この地を訪ねることにしているので、今度はゆっくりと歓談が叶うように前広に日程を調整して再会を実現させることにしたいと思っている。

 今日はもう夕張の石炭博物館へ行くのは止め、この後は千歳の道の駅に行き水を汲んで、その後鵡川町の道の駅に行って温泉に入り休むことに決める。相変わらず寒さは抜けようとせず、空に雲が多くいつ雨が降り出してもおかしくない様な空模様なのである。このような日はやたらに動き回らず、静養に努めることが肝心である。

 ということで、その後は予定通り、千歳の道の駅に行き、飲料水の補給を行う。旅の間は水道の水を使わず販売されている飲料水を使用しているのだが、何箇所かは水道水も使っている。千歳市の水道水もその一つであり、ここは支笏の名水に近い優れた水なので、ありがたくそれを汲ませて頂いている。水を補給した後は、道央道の千歳ICから高速道に入り、そのまま鵡川の道の駅に向かう。風が少し強くなって来ていた。15時過ぎ道の駅に着いて、早速併設されている温泉に入り温まって、夜を迎えることになる。

 同じ駐車場の中につくばナンバーの車があり、知り合いなのかなと思っていたら、その車かおりて来た人に挨拶され、顔を見て驚いた。何と同じ守谷市に住む小西さんだった。守谷市の中では会うことも無かったのに、このような場所でお会いするとは!! 不思議なご縁である。このようなことがあって、旅の人生は面白い

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‘18年 北海道生誕150年の今めぐり旅 レポート <第17回>

2018-06-11 05:52:11 | くるま旅くらしの話

【今日(6/11)の予定】 

道の駅:マオイの丘公園 →(R274・R234・D)→ 夕張市石炭博物館 →(D・R234・R274・R337)→ キウス周堤墓遺跡 →(R337)→ 道の駅:サーモンパーク千歳 →(R36)→ 道の駅:ウトナイ湖(泊)

 

【昨日(6/10)のレポート】 天気:晴れ雲多し

<行程>

道の駅:マオイの丘公園 →(D・R234)→ 由仁町郷土資料館 →(R234他)→ 栗山町郷土資料館・泉記念館 →(R234・D・R337他)→ 恵庭市郷土資料館 →(D他)→ 道の駅:花ロードえにわ →(R36他)→ 北広島市郊外知人宅訪問 →(R36・R337・R275)→ 道の駅:マオイの丘公園(泊)

<レポート>

 昨夜は寒くて夜中に毛布を1枚足して眠ったりした。この調子の日が続くと、体調を壊しかねない。要注意である。でも朝外に出て見ると青空が広がっており、これならば暖かさも戻って来るだろうと少し楽観の気持ちとなった。いつもと同じようにパンとチーズ、それにレタスとインスタントのスープを一杯食して、コーヒーを飲んで朝食を済ませる。これで大体5~6単位(=400~480cal)となる。今回は4カ月間医者には行けないので、自己管理でいい数値を維持しなければならない。それで毎食のカロリーを記録するようにしている。歩く時間が少なくなって、運動量も減るので、特に食事には気をつけなければならない。糖尿病患者は気を使うのである。

 さて、朝食が済んで一休みの後、今日の当初の予定を変更し、近くの由仁町とその隣の栗山町の郷土資料館を訪ねることにした。というのも、明日は殆どの郷土館の類の施設は休みとなるので、今日の内に開館している場所を調べたら、そういう結果となった次第。

 ということで、先ずは由仁町の資料館「ゆめっく」に向かって出発する。15分ほどで到着して、中に入ると、巨大なマンモスとオオツノジカの像が迎えてくれた。マンモスはまるで生きているかのごとくよく出来ており、迫力があった。この町のどこかの遺跡から歯や骨などが出土したらしい。この町にはかなり古い時代の遺跡が幾つもあり、現在も調査が継続しているらしい。今回の旅はそれほど古い時代ではなく開拓の歴史が中心なので、ざっと見て参考にすることにした。開拓の方は、明治20年代入ってから本格化したようで、当初は高知藩の人たちが入植したようだったが、間もなく開拓使がおかれて今までの藩制は無くなって彼らは返上を強いられて、その後は官主導で山口県の方からの入植者によって開拓が進められていったとか。図書館に併設されており、関係者の方から若干資料を頂戴してそのようなことが判った。いい勉強になった。古代のことは次に来た時のテーマとなっているかもしれないので、その時は再訪してしっかり学びたいと思った。

 次は引き続いて隣の栗山町の郷土資料館へ。10分もかからずに到着する。ここは泉記念館という名称も併記されており、隣接して古民家のようなものが併設されていた。本館の方に入ると、栗山町の歴史の説明とそれに係わる展示物が丁寧に並べられていた。又、古代の土器なども出土しているようだったし、ナウマン象などの歯の化石なども出土していたようだった。この町の発展には、なんと言っても宮城県角田藩出身の泉麟太郎という方の功績が絶大で、明治21年にこの方が中心となって、夕張開墾起業組合を設立し、角田藩の同士20数名とこの地へ入植して開拓を始められたということだった。この方は昭和の時代まで存命されて、この間町のリーダーとして発展に尽くされたとか。併設の記念家屋はその功績をたたえてのシンボルとなっているようだった。多くを学んだ気がした。

 栗山町の後は、少し離れた恵庭市の郷土資料館を訪ねる。矢継ぎ早の訪問なのだが、何しろ明日は殆どが休館なので、今日の内に見ておこうという気持ちが急がせているのである。本当はもう一つとなりの北広島市の郷土資料館も訪ねたかったのだが、こちらは日曜日も休館となっているので、諦めた次第。恵庭市の郷土資料館は、とても立派な施設だった。この辺りは開拓には格好の場所だったようで、明治3年には高知藩から70名ほどの入植者があったということだった。しかし、明治4年に開拓使が置かれると、高知藩の支配は取り上げられ返上されて官であるかいちゃ串に開発が委ねられることとなったとのこと。それ以降は山口県からの入植者を中心に開拓が進められてきたということである。どのような経緯があったのかは解らないけど、この地では島松軟石という石材が採れ、又、材木の伐り出しのための鉄道も敷設されたということだから、開拓の先進地区の一つであったのかもしれない。今は、札幌経済圏の中の一都市として、もはや大都市圏の一角を形成している感じがする。又、開発に伴う古代遺跡なども発見されており、現在も継続して研究が進められているようである。

 その後は、近くにある道の駅:花ロードえにわに行き、昼食休憩とする。この道の駅には新鮮な野菜類や花卉類などの産物が溢れて陳列販売されており、秋になるといつもここでジャガイモを入手するために、旅の帰りに立ち寄ることにしている。まだジャガイモ君は芽を出し葉を広げ始めたばかりだが、雪の中で越冬して甘みを増したという昨年のジャガイモが売られていたので、それを手に入れた。とにかくジャガイモ大好き人間なのである。14時半頃まで休憩する。

 その後は、15時にお邪魔させて頂くと約束をしている北広島市の大切な知人の垂水さんの別荘に向かって出発する。10kmも離れていない至近距離にあり、直ぐに着くと思ったのだが、この4年間の間に新しい道路や建物が造られており、少し迷って約束ギリギリの到着となってしまった。少し風が強まり出していて、外はかなり冷え込みがきつくなり出していた。直ぐに垂水さんが迎えて下さった。奥様にも是非会いたいというこれは邦子どのの願いだったが、奥様は膝の人工関節の手術をされた後の経過が優れない部分があって、未だリハビリ中で歩行に難儀されておられるとのこと。ご主人もこのところ体調のトラブルに見舞われて苦労なさっているとお聞きした。そんな中わざわざ迎えて頂き、真に申し訳なくも嬉しくありがたいと思った。

 垂水別荘(と自分たちはそう呼ばせて頂いている)は垂水さんが仲間の方体と一緒に手づくりで作られた2階建の立派な建物である。垂水さんとその仲間の方たちはここを小屋と呼ばれておられるようだが、とても小屋とは思えないログハウスにも引けを取らない手づくりの建物なのだった。その2階へご案内頂き、それから気がつけば18時半過ぎまで、楽しい歓談の時間となった。17時頃には辞すつもりでそうお話していたのだが、それをすっかり忘れてしまっていたのだった。というのも、話の楽しさだけではなく、奥様手づくりの総菜や垂水さんが自らお作りになった餅などたくさんのご馳走が並んで、話を膨らませてくれたりしたので、すっかり居心地が良くなってしまい、そうなると時間の過ぎるのを忘れることになるのである。

 垂水さんは、オホーツク海側のご出身で、今年150年を迎える北海道の名付け親と呼ばれている松浦武四郎が、その昔ご自分の出身地近くの常呂・紋別辺りの探検に訪れて、近所で1泊したという、その場所がどこだったのかを訪ねていろいろと調べられているとのことだった。しかし、残念ながら未だその場所を確定しておらず、難しいと話されていた。自分も当初今年の旅を松浦武四郎の辿った足跡をなぞりたいなどと考えていたのだが、そのあまりにも多大な行動範囲を知って、とても無理なことと思い知らされて、開拓の歴史の探訪に切り替えたのだった。

 人間という生き物には、心がバイブレートする存在の人が必ずどこかに存在するものである。決して数は多くないのだが、その人といると、大してことばも発しないのに、何故か心が通い合うのである。自分には5人ほどのそのような友人・知人がいる。垂水さんもそのお一人だと思っている。話をほんの少しするだけなのだが、楽しいのだ。尤も今日などは邦子どのが隙間なくことばを発するので、少しそれをもてあまし気味だったが、これはいつものことなので仕方がない。すっかり大ご馳走をに与かって暗くなり始める寸前に別荘を辞すこととなった。垂水さん、そして奥様、心からのおもてなし、お心遣いを頂き本当にありがとうございました。

 その後は、今夜も道の駅:マオイの丘公園に泊ることにして、着いたのは、19時を少しすきた頃だった。今夜の泊りの車は休日の終わりとあってか、昨日よりはかなり数が少なくなっているようだった。寒さは依然抜けて行かないようで、何だか冬に戻ったような感じだ。明日は晴れて暖かくなって欲しいものだと思いながら眠りに就く。

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