山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

‘18年 北海道生誕150年の今めぐり旅 レポート <第13回>

2018-06-07 06:05:20 | くるま旅くらしの話

【今日(6/7)の予定】 

スペースアップルよいち →(R5他)→ 小樽市総合博物館 →(R5・R337・R275)→ 当別町開拓郷土館 →(R275)→ 道の駅:つるぬま(泊)

 

【昨日(6/6)のレポート】 天気:晴れ

<行程>

道の駅:スペースアップルよいち →(R5・D・R393)→ 道の駅:赤井川 →(R393)→ 屯田牧場→(R393)→ 小樽市内知人宅 →(R393・R5他)→ 道の駅:スペースアップルよいち(泊)

<レポート>

 良い天気で今日もかなり暑くなりそう。道央辺りでは30℃を超す日中気温が続いているとか。関東地区では梅雨入りしたとのことだが、北海道の梅雨入りはいつのころになるのか。北海道には梅雨はないというのが定説となっているようだが、ここ20年の経験では、蝦夷梅雨は確実に存在しており、今年も必ずやって来るに違いないと思っている。猛暑を避けられるのはありがたいけど、ソーラーを頼りの旅では、嬉しくはない天気ではある。天の為せる仕業にはとにかく従うしかない。

 さて、今日は一番の目的は小樽に住む親しき知人の工藤さんご夫妻を訪ねることである。午後にお邪魔することになっているので、それまでは余市近郊で過ごしてその後に赤井川経由で小樽に入ることにしている。朝食のパンが切れてしまったので、近くのコンビニに行って買おうとすぐ傍にある筈だと出掛けたのだが、R5を仁木町の方へしばらく歩いても見当たらず、ならば反対側だったかと戻ってしばらく歩いても見当たらず、諦めて戻りながら、もしかしたら古平方向の道なのかと行ってみたら、あった!何と道の駅から5~6分の近い場所にあったのだった。中心街の表通りは駐車場をつくる余裕が無かったのか、歩いた半には皆無だった。4千歩ほど歩いて、それはそれで無駄にはなっていないと思うことにした。

 9時半過ぎ出発して、一寸役場に寄って何か町の歴史の年表のような資料はないかを訊いてみることにした。教育委員会に訊いてみたら、作っていないということだった。隣の観光課の方がそれを聞いていて、何かのパンフレットを持って来てくれた。見てみたら文化財の一覧表だった。少し目的とは違うけど、参考にはなるのでありがたく頂戴した。本当は町史などを見せて頂ければいいのだが、膨大すぎて読み書きする時間が無いのでこれは遠慮することにしている。余市町は松前藩との係わりが大きいようで、余市川脇の浜の方に運上屋も設けられていたというから、明治以前からこの辺りでは交易で賑わっていた場所なのであろう。

 その後は赤井川村方面へ向かう。ここには3年間のブランクの間に新しい道の駅が出来ているらしい。どこにどのような建物が造られたのか楽しみである。山間地帯を通り抜けて少し平らなエリアに出てしばらく走ると、村の中心分に近いらしい場所に道の駅が造られていた。車を止め早速中に入って見た。どこにでもある標準的な道の駅の姿がそこにあった。特に買いたいものも無く、隅の方にパソコンが置いてあって使えるようになっていたが、故障中だった。このパターンもよく見かける光景である。その横に何冊か本などが並べられており、その中に赤井川村の村史があったので、それを覗くことにした。それによると、この地は明治20年代に金銀の鉱脈が発見されたらしいのだが、その後しばらくはそのままになっていたようで、明治30年代に入って入植が認可されて開拓がはじまるようになり、鉱山の方も開発がすすめられたようだった。轟炭鉱と呼ばれていたらしい。それ以降はこのたんこうを核にして村の発展があったようだ。そのようなことが判ったあまり時間もとれないので、それくらいに止めて出発する。

 しばらく走って、途中にある屯田牧場ホピの丘という牧場経営のレストランで昼食を摂ることにする。何度か寄っている場所で、ここには馬やヤギやウサギ、それにダチョウやアルパカなどもいる小動物園があって、子どもたちには嬉しい施設でもある。今日も何人かの親子連れが動物たちとの交流を楽しんでいるようだった。自分たち老人は、黙ってレストランで食事をするだけである。邦子どのはここで作られている名物のソーセージなどを交えたご飯洋食。自分は豚丼をオーダーした。やって来た豚丼は、食べ始めると豚肉が二重構造になっているのが判り、タレが上手く沁み渡って美味さが継続して満足した。邦子どのの方も一人では食べきれないと、残った分の整理を手伝わされたが、これも美味だった。生産場所で食べるものは、美味いのだなというのを改めて感じたのだった。願わくばここに泊ってビールなどを飲みながらソーセージ類を存分に味わってみたいものだ。そのようなことを思いながらレストランを後にして小樽に向かう。

 毛無山の展望所に寄ってしばらく小樽の市街を俯瞰した後、幾重にも曲がる坂道を下って、間もなく小樽市内へ。工藤さんの住いは奥沢にあるので、この道からは至近の場所である。約束の13時丁度に着いて、4年ぶりの訪問となる。病気などのこともあって、少し心配していたのだが、お二人ともお元気そうなので安堵した。工藤さんご夫妻とは旅先で知りあってもう10数年になるお付き合いである。北海道に来た時は必ずご挨拶に参上するとても大切なご夫妻なのである。しばらく近況などの挨拶を交わした後、ご主人の好きな釣りの話から、ヒラメなどの話となり、守谷辺りではなかなかヒラメを手に入れるのが難しいなどと話していたら、それじゃあ、近くに南樽市場というのがあるから、一寸覗きに行こうということになり、ご主人の運転する車で出かけることとなった。南樽市場はお宅からは歩いて行けるほどの距離にあり、まあ、行って見ると魅力的な魚がたくさん並び又総菜や野菜類などの店も入った、まさに庶民の台所といった場所だった。小樽ならではの、守谷などでは決して真似のできない羨ましい場所なのである。ヒラメはもとより、なんと八角迄が刺身で食べられるものや新鮮な干物の姿で並べられているのだった。勿論食べたことが無く見るだけの魚だったのだが、それを食べさせてくれるという。なんだかそれまでして頂いていいのかという申し訳なさと嬉しさとの入り混じった買い物ツアーだった。

 それからお宅に戻った後は、まあ、大へんなごちそうタイムとなった。ご主人が包丁を丁寧に研いた後、八角とヒラメを下ろして並べて、プロ級の腕前なのである。奥さんが八角の干物を焼き、何といつの間にかツブ貝の浜焼きのようなものまで用意されて、魚大好き人間の自分にはまるで浦島太郎が海の姫御前の饗応を受けているような気分だった。多分、全体の半分以上を自分一人が平らげてしまったのではないか。反省するよりも嬉しさの方が勝っているのには、我ながら呆れるばかりである。

 それにしてもこのご夫妻のパワーはすごいなと思う。特にご主人は若い頃の事故で片足を失い、手も半分以上を失っているという障害を持たれているのである。奥さんも小さい時に身体に毒が回って自由が利かないハンディを持っている。それなのに、自分たちとのお付き合いの中では、何の違和感もない全くの健常者、いや、それ以上の優れた技の持ち主なのだ。今日の市場の買い出しも車はご主人の運転だし、先ほどの包丁の研ぎも、刺身に捌くのも実に見事であり、自分などの雑な捌きなどよりは遙かに丁寧で一挙措に思いが籠められているのだ。このご夫妻から学ぶことは多く大きい。

 すっかりご馳走になって、気づけば17時が近づいていた。嬉しくも楽しい時間だった。すっかり散財を掛けてしまったのを申し訳なく思いながら、名残を惜しみつつお宅を辞した。又帰途に寄れればいいなと思っている。

 その後は、今日も泊りは余市の道の駅と決めて向かう。18時少し前に到着。今日も未知の駅には数多くの旅の車が泊るらしい。自分たちもその仲間入りとなった。もう今夜は夕食は無用。満腹のままに夜を迎える。

コメント
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