山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

‘18年 北海道生誕150年の今めぐり旅 レポート <第14回>

2018-06-08 05:53:15 | くるま旅くらしの話

【今日(6/8)の予定】 

道の駅:つるぬま →(R275)→ 樺戸博物館 →(R275)→ その先未定(コインランドリーで洗濯を済ませた後、近くの道の駅又はキャンプ場に宿泊する予定)

 

【昨日(6/7)のレポート】 天気:晴れ

<行程>

スペースアップルよいち →(R5他)→ 小樽市総合博物館 →(R5・札樽道・R337・R275他)→ 道の駅:とうべつ →(R275他)→ 当別町開拓郷土館(伊達記念館)→(R275他)→ 道の駅:しんしのつ たっぷの湯(入浴) (D・R275)→ 道の駅:つるぬま(泊)

<レポート>

 余市の道の駅にも2泊することとなったが、二日とも駐車場は旅の車がかなり多くて、道外のナンバーを見ればそうなのだと直ぐに判った。キャブコンが数台、多くはバンコンでこれが10数台、残りの普通車や軽自動車も同じくらいの数が泊っていたようである。その殆どが自分たちと同じ高齢者と思しき人たちで、来られなかった3年間の間にその数を増しているのが判った。旅を楽しむのは良いことだと思うが、トイレなどの状態を見ると、少し問題があるなと思った。道の駅に泊らなくてもいい、何らかの有料の簡易宿泊の出来るモータープールのような施設があればいいのになと、再び思った。

 さて、今日と明日は、明後日の北海道開拓の村を訪ねるまでの間に近郊町村の郷土館などを巡ることにしている。今日は先ず小樽の総合博物館を訪ねることにして、その後は当別町の方に向かうことを考えている。9時過ぎに小樽市内に向かって出発。総合博物館は小樽駅から比較的近い海側の方にあった。早速中に入る。入口の所が切符を切って入るというようになっており、入場券の代わりに切符を渡されたので、何だか少し変だなと思った。どうも普通の博物館ではない雰囲気なのである。やたらに鉄道関係の資料や展示物が多いのだ。入り口正面には弁慶ならぬ「しずか」という名の古いタイプの機関車が展示されていた。すぐに気がついたのだが、ここは鉄道博物館なのだった。総合博物館という名なので、小樽市の昔を訪ねる資料があるとばかり思っていたのだが、どうやらそれはもう一つある運河館という方にあるらしい。運河館の方は多分駐車場で困ると思って入るのを端から止めることにしていたのだが、どうやらこれは失敗だったらしい。鉄道のことはさっぱり知らなかったので、逆にいい機会なのかもしれないと考えを切り替えることにした。見ている内に北海道の開拓に占める鉄道の重要性が良く理解できるようになった。人を運ぶだけではなく、石炭や山林から伐り出した材木の運搬には不可欠のものであり、その果たした役割使命は極めて大きいものだったのが良く判った。小樽はその鉄道の出発点であり、中核基地でもあったということである。鉄道の町小樽とも紹介されていた。何台かの機関車やラッセル車などが屋外に展示されており、孫が喜ぶかもしれないと写真を何枚も撮ったりした。いい勉強の時間だった。

小樽市総合博物館の入口正面に展示されているしずか号。鉄道ファンにはおなじみの姿なのかもしれない。

 その後は、当別町にある伊達記念館に向かうことにして出発する。楽に行こうと札樽道を利用することにしてナビを設定したのだが、いざ走って見るとナビの指示はあやふやで下り口を間違えて、札幌北という中心部にまで来てしまった。何だかかなり遠回りしたような気分になった。ナビに文句を言いながらしばらく見知らぬ札幌市内を走っている内にようやく当別町に向かう国道を見つけて、そこからは見当がつくようになった。間もなく当別町の道の駅に到着。この町に道の駅が出来たのを知らなかったので、案内板を見た時に少し驚いた。来なかった3年の間に道の駅の歴史も少しずつ動いているのだなと改めて思った。道の駅は新しく、北欧の風などというサブタイトルもついていて、なかなか洒落た雰囲気だった。しばらく昼食休憩とする。

 その後、町の中心部の方に向かい、伊達記念館という所へ入る。伊達というから、勿論仙台の伊達藩に係わりがあるのだろうと思ったのだが、入って見ると仙台ではなく岩出藩伊達家なのだった。もしかして四国宇和島の伊達なのかとも思ったりしたのだが、本家に近い岩出藩とのこと。明治期に殿様自らが身を乗り出してこの地の開拓に力を注いだらしい。関連する資料等がきちんと整理されて陳列されていた。町の歴史に絡む人物などの記した「とうべつ文庫」というのがあり、無料で5冊も頂くことができ、あとで読む楽しみを頂戴してありがたかった。

 当別を出た後は、温泉に入ることにして、新篠津村にある道の駅のたっぷの湯というのを目指す。入浴の後は、月形町の皆楽公園のキャンプ場か浦臼町の道の駅:つるぬまに行って泊ることにしようかと考えている。新篠津村の道の駅は一度くらいは来ている筈なのだが、どうもよく覚えていない。行って見ると、温泉が併設された道の駅の建物の近くには大きなパーク場や本物のゴルフ場なども造られた村の一大レクリエーション施設なのだった。この辺りは平地が広がっており、パークゴルフ場の小高い丘に造られた展望所に上がると、その広さが実感できた。開拓が始まった頃は見はるかす原野が広がっていたのだと思うけど、開拓と農業技術の進歩等により、今は稔り豊かな大耕作地が広がっている。米作も畑作もできる条件を備えた大地なのだ。新篠津村のことは分からないけど、その恵まれた条件の豊かさは分かるような気がした。温泉は少し濁っていたが、それなりに楽しむことが出来た。

 入浴の後は、ここに泊ってもいいかなと思ったのだが、水を汲むことだ出来ないので、それが可能な浦臼町の道の駅:つるぬま迄行かなければなるまいと思った。しかし、その手前にある月形町の皆楽公園でもいいかなと思い、先ずはそこに向かう。行って見ると、いつも泊っていた場所はどうやらあまり歓迎されないらしく、注意書きの立て札などがあったので、止めることにして道の駅:つるぬまに向かう。ほんの一走りだと思ったのだが、地図で見て思っていたよりも距離があって、到着まで時間がかかった。

 邦子どのは月形町を出た辺りから何だか様子がおかしくなり出したようだった。どうやら先ほどの新篠津に泊るものと思っていたらしく、それが急に給水出来ないので変更して出発したのが調子を狂わせたらしい。ようやく道の駅:つるぬまに着いた時は、何やら深刻な顔となっていた。つるぬまの道の駅は、トラックとの混同の駐車場で、安眠は期待できないので、そこに泊ることは止め、近くの公園の駐車場に車を移して、そこに泊ることにした。管理事務所に許可を貰おうと出向いたのだが、既に時間を過ぎて不在だったので、そのまま泊めさせて頂くことにした。邦子どのは、先に寝てしばらく身体を休めていたようだが、少しは体調も回復したらし、自分が寝ることには起き出してその後はTVなどを見ていたようである。自分は直ぐに眠りに就いたので、その後は分からない。今日は少し走り過ぎたようだ。ちょっぴり反省。

コメント
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