山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

‘18年 北海道生誕150年の今めぐり旅 レポート <第21回>

2018-06-15 07:00:34 | くるま旅くらしの話

【今日(6/15)の予定】 

道の駅:なかさつない →(R236・R38他)→ 幕別町蝦夷文化考古館 →(R38他)→ 幕別町郷土資料館 →(R38)→ 道の駅:浦幌 →(R38・R240)→ 道の駅:阿寒丹頂の里(泊)

 

【昨日(6/14)のレポート】 天気:曇り

<行程>

道の駅:しほろ温泉 →(D・R241他)→ 士幌町ふるさと資料館 →(R241他)→ 音更町郷土資料室 →(R241・R236他)→ 帯広市百年記念館・ビート資料館他見学 →(R236他)→ 道の駅:なかさつない(泊)幕別町蝦夷文化考古館 → 幕別町郷土資料館 → その先未定(R38経由で釧路方面へ向かう予定)

 

<レポート>

 朝起きて外を見たら、久しぶりの青空が広がっていた。しかし寒さの方は相変わらずである。この道の駅は温泉は素晴らしいのだが、仮眠族の自分たちにとってはトイレや水などの施設には恵まれておらず、少し厳しいので、昨日ここへ来る途中に見かけた士幌町のもう一つの道の駅:ビア21しほろがすっかり新しくなっているのを思い出し、そちらの方へ行って朝食にすることにして、早朝の移動となった。

  15分ほどで到着してここで朝食とする。これは的確な判断だった。水はなかったけど、トイレは最新式だったし、何よりもありがたかったのは、120円を払ってゴミ袋を買うと、ゴミの種類を問わず、全てのゴミを回収して頂けることだった。旅の中でのゴミ処理は、特に移動の期間中は苦労する。多くの道の駅やコンビニは、売ることばかりを考えており、売った商品がゴミになるということを考えないようになっている。世の中は何だか自分勝手の方へ流れ出している感じがする。このままでは、新しい問題が生起して来るに違いない。そのような予感がする。ゴミの問題は、ゴミ箱を失くし、処罰をきつくするだけでは解決できる性質のものではないからである。外国人旅行者が増えている中では、所構わず放棄する者が出てくるのは明らかなことのように思う。せめてこの士幌道の駅のような対応をして頂ければそれを防ぐことが出来るのではないか。そう思った。

 さて、今日は先ず士幌町のふるさと資料館、次に音更町の郷土資料室、その後帯広市の百年記念館などを訪ねることにしている。ほぼ予定通りこれらの施設を見学したのだが、それらの個々についての所感よりも、百年記念館の見学をして気づいた十勝エリア全体の開拓について気づいたことを述べることの方が的確のように思っている。といういのも、十勝エリアの開拓には最も大きな功績を果たしたのは、静岡県の伊豆出身の依田勉三を中心とする鈴木銃太郎、渡辺勝・カネ夫妻という4名を幹部とする晩成社という開拓団の存在だったということ。士幌町の資料館に行っても音更町の郷土資料館に行っても晩成社の名は出ているし、町の開拓の歴史には欠かせない存在だったということが判る。だからもう少し晩成社というのが具体的にどのように開拓に係わったのかを知らなければならないのだが、今のところその余裕がない。百年記念館で貴重な資料を頂戴しているので、追って読むのを楽しみにしている。又、十勝の開拓には、栃木県の二宮村の開発に係わった二宮尊徳の孫に当たる二宮尊親という人物やその二宮と交流のあった徳島県徳島藩の藩医だった関寛という方も係わって大きな功績を果たしている。関寛という方は、72歳という高齢でありながら一念発起し、入植し十勝の深奥の地陸別町の礎を築かれたという。百年記念会での紹介記事だった。この他にも何人もの人々が開発に心血を注いだのが想像に難くない。

 十勝は広大である。調べたことはないけど、茨城県が二つくらいは入ってしまうのではないかと思うほどだ。何しろ上士幌町にあるナイタイ高原牧場は、牧場一つで自分たちが住む守谷市の37㎢よりも遥かに広いのである。この広大な原始林、湿地帯等の厳しい自然環境を切り拓くには並大抵の精神力では耐えられなかったのではないか。一つ加えておきたいなと思ったのは、明治28年に十勝集治監分監が出来たことである。先の月形町の樺戸集治監については様々なことを考えさせられたが、この十勝の分監設置についても、官主導の北海道開発の一つの切り口だったのを気づかせるものがあると思った。人口300人ほどの地域に1500人を収監する監獄が設置されることの意義は大きいように思う。悪いことをしたから犯罪者として重労働課しても差し支えないという発想もあるのだと思うが、人間としての開拓を考える時には、これら犯罪者の貢献は罪とは無関係に大きなと思った。思わずにはいられなかった。

 その後は、近くにある日本甜菜製糖株式会社のビート資料館というのを訪ねた。ビートは勿論知っているけど、砂糖がどのようにして出来上がるのかは全く知らなかった。その工程やなどについて、詳しくご説明いただいて、一つもの知りになった気分である。この会社は砂糖を運搬するために帯広駅までの鉄道を敷設し、それを貨物のみならず地域の住民のために客車の運行まで行ったという。総延長62km余というながさだったという。この町の発展に大きく貢献したことだと思った。またこの会社が発明したという、ペーパーポットという紙製の育苗用の用具は素晴らしいなと思った。これは北海道の蔬菜農業に現在でも大きく貢献しているというのを知った。学ぶことの多い一日だった。

 気づけば16時を過ぎており、今日は釧路に向けて移動する予定だったが、これを止め幕別町の郷土館等の探訪は明日にすることにして、一番近い道の駅:なかさつないに行って泊ることにして向かう。17時少し過ぎに到着して夜を迎える。またまた寒さが舞い戻ったようである。空はすっかり雲に覆われている。明日はどうなるのか。せめて雨だけは降らないで欲しい。毎日このような天候状態が続いている。

コメント
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