山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

‘18年 北海道生誕150年の今めぐり旅 レポート <第23回>

2018-06-17 07:11:13 | くるま旅くらしの話

【今日(6/17)の予定】 

道の駅:厚岸グルメパーク →(D)→ アイカップ自然博物館 →(D)→ あやめが原 →(D)→ 散布原生花園(ハクサンチドリ探索) →(D・R243)→ 別海町ふれあいキャンプ場(泊)

 

【昨日(6/16)のレポート】 天気:曇り後時々晴れ

<行程>

道の駅:阿寒丹頂の里 →(R240・R38他)→ 釧路市立博物館 →(R44)→ 道の駅:厚岸グルメパーク →(D)→ 厚岸町海事記念館 →(D)国泰寺跡&郷土資料館 →(D・R44・D)→ 大田屯田開拓記念館・官舎 →(D・R44他)→ 道の駅:厚岸グルメパーク(泊)

<レポート>

 ここ道の駅:阿寒丹頂の里は、4年前とはかなり変わっていた。駅舎が以前とは少し違った場所に移って新しくなっていた。しかし、車中泊の者には、一般駐車場所と異なる場所を指定していて、トイレなどからは離れることになり、少し厳しく冷たくなっている感じがした。朝付近をしばらく散策したが、今まで知らなかったのだが、近くにはバンガローや遊具などが多数設けられていて、孫がいたら丁度いいのになあと思った。いつになったら一緒に来られるのかなと、改めて老人としての自分の歳が増えるのが気になったりした。

 今日は先ず釧路の市立博物館を訪ねた後、厚岸迄足を延ばし、この地区にある幾つかの郷土資料館とそれから幕府が開設した3つの官寺の一つである国泰寺跡を訪ねることにしている。その後は厚岸の道の駅に泊るつもりでいる。

 考えてみれば、もう家を出てから3週間が過ぎ、6月も半ばを過ぎている。内地の方は梅雨に入って雨続きだというけど、北海道はどこへ行っても寒さ続きで、石北峠などでは雪が降った場所もあるという。今朝も震えが来るほどの寒さで、やはり道東は違うなと思った。これから道東中心の暮らしがしばらく続くのだから、全くこの先が心配である。

 9時少し前に出発して釧路市立博物館に向かう。途中で給油をして、博物館に着いたのは、9時50分頃だった。早速中に入る。何階建てなのか、立派な建物だった。先ずは釧路の大自然に係わるものたちの展示がなされていた。映像が上手く使われていて、イトウやキタサンショウウヲなどの生態の説明など参考になった。その後は2階に移って釧路の変遷などの解説や関係資料等の展示があったが、照明が暗く加えて文字が小さいので、読解するのが困難で、老人向けにはやや不親切に思えた。3階にはアイヌの人たちの暮らし等についての展示があったが、これは既に二風谷他の場所でしっかり見聞しているので、特に新鮮なものはなかった。帯広の百年記念館のように釧路エリア全体についての開拓の歴史関係の資料を見たかったのだが、それは叶わなかった。ただ、有料の小冊子で良いものがあったので、あとでじっくり読んでみたいと思っている。

 博物館の後は、厚岸に向かう。天気は相変わらず寒くて日射しは期待できず、風もかなり吹いていて、心配は消えない。R44は空いていて、(いつも空いているのかもしれない)予定よりも少し早く厚岸の道の駅に到着する。ここで久しぶりに外食することにして、2階のレストランへ。厚岸は何といっても牡蠣が有名だ。邦子どのは念願の牡蠣フライが食べられてご機嫌だった。自分は時鮭の焼き魚と、牡蠣フライ2個と厚岸シジミの溢れ入っている味噌汁のついたのを食べた。これも美味だった。新鮮なものはやっぱり美味いのだ。

 食事の後は、近くにある海事記念館へ。このような海に関する資料や展示のある施設を訪ねるのは今日が初めてである。邦子どのはパスするというので一人での入館となった。漁業に関する船やその内燃機関などの展示品の他に、漁具などが幾つか並べられていた。又厚岸の漁業の歴史についても展示と説明があり、これも大いに役立った。この町は漁業を中心に江戸の昔から栄えて来た場所であることを理解できた。詳しいことはここに書けるものではない。追って整理する考えでいる。

 その後は、国泰寺跡へ。直ぐに着いて、しばらく境内を散策する。本堂他古い建物も一部残っており、往時を偲ぶことができる。国泰寺は1804年に幕府がこの地で働く和人とアイヌの人たちのための信仰のよりどころとすべく建立した蝦夷三官寺の一つである。境内全体を眺めていると、往時のあり様が浮かび上がって、敬虔な気持ちとなった。その後、境内に建てられている町の郷土資料館に入る。一通りの町の歴史についての解説や展示物が並べられていたが、海事記念館と重なる資料もあり、ざっと見るに止めることにした。

 次はもう一つ是非見ておきたいと思っている場所である大田屯田開拓記念館に向かう。今までは海側の町の中心部を見て来ているのだが、大田屯田開拓記念館は、海からは少し離れた山というか丘の方の平野側にあって、15分ほど走って到着する。屯田兵というのがどんな目的でどのように運用されて来ているのか、そのコンセプトなどは理解していてもその実態がどのようなものだったかについては、全無知なのである。中に入って様々な資料や解説を読むにつれて、だんだんその実態が判って来て、これもまた大変な施策だったのだなと思った。屯田兵の殆どは士族であり、プライドも高かったのだと思うが、新天地での原野の開拓は、尋常なものではなかったのだと思った。軍隊組織の中での開拓は公私を使い分けてのものであり、官による基本的な物資の付与があったとはいえ、その苦労は並大抵なものではなかったのではないか。館内の見学を終えた後、文化財となっている往時の官舎というか、住いを見に行ったのだが、17坪あまりの粗末な木造の建物は、標茶の集治監の人たちが建てたのだということ。この地でも囚人たちの貢献が大だったことを知って、少し厳粛な気持ちになった。

厚岸町太田地区に残る屯田兵が暮らしたという家。この家は往時は400戸以上もあったというが、そのほとんどが標茶集治監の獄囚たちによって建てられたという。

 その後は、今日の見学探訪はこれで切上げることにして、泊る予定の道の駅:厚岸グルメパークに向かう。途中で少々買い物などをして16時少し前に到着する。風が少し強いけど、青空が見えて来て日が射して暖かくなってきたようだ。今夜はこの調子で天気が回復してくれればいいがと思いながら夜を迎える。明日は念願のハクサンチドリに会うつもりでいるのだが、果たしてどうなるのか、期待とその反対の気持が交錯している。明日はとにかく今回の旅のベースキャンプの一つと考えている別海町のふれあいキャンプに入るつもりでいる。

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