老の心境について少しばかり語りたい
私は、長いこと暮らしの中心に「運動」というのを置いてやって来ました。幼い頃は病気になり易い虚弱体質だったので、これを何とか克服しようと様々なスポポーツなどに挑戦して来ました。特に中学生になってからは、バスケットボールに興味関心を持ち、これを高校。大学と続けて、社会人になってからもしばらくの間続けていました。それが出来なくなってからは、登山などに挑戦したこともありましたが、30代後半になって仕事が忙しくなってからは、休日のジョギングなどを楽しみにしていました。お陰で健康に自信の持てる身体となりました。しかし、それが過信となり暴飲暴食がたたって、50代半ばの頃に糖尿病を宣告されました。この病は食事、薬、運動の3つのメイン療法があり、それ以降体重管理を中心に過食を抑え、運動は歩くことを中心にして、薬は可能な限り少なくて済むように努めてきました。それは習慣となって、老に入る前(70代)までは、定期的に専門医の診断を受けながら、合併症とは無縁の暮らしを保って来ました。そのために、いろいろ工夫をしながらやって来たのですが、その中心は「歩き」でした。走るのは糖尿になった時点で止めて、只管歩くことにしました。歩きについても、ただ歩くだけでは持続が難しくなると考え、毎日万歩計の記録を残し、歩くコースなども変化を持たせて、ラジオを聞いたり植物の観察をするなど、歩きに楽しさを加えた取り組みを続けました。
今まで50歳以降約30年間の記録では、年間歩数が500万歩を下ることはなく、多い時には700万歩を超えた年もありました。その功あってか、糖尿の血糖値の状況を示すHa1Cの数値も6%台以下を維持してきました。昨年も500万歩を超えていて、これが実現できているのは暮らしの中心に運動があるからと信じて、今年は(2025)は年齢を考えて、昨年までの歩き過ぎを抑えることにして、年間400万歩の目標を設定したのです。これは月々30万歩(=毎日1万歩程度)の歩きなので、楽勝できると思って取り組んだのです。
ところが昨年の11月下旬のある日、突然頻脈が発生したのです。高血圧気味なので、毎日血圧測定をしているのですが、その時は計測が出来なくなり、辛うじて測れた時の数値を見たら、何と1分間の脈拍が180にもなっていたので驚きました。特に心拍数が増える様なことは何もしていないし、自覚症状は全くないのに脈拍数だけが異常に多いのです。これは自分での対策は無理と考え、循環器内科を受診しました。結果は不整脈の一種で心房細動ではないかということでした。それで薬を処方して頂きしばらく飲んでいたら脈拍は平常に戻ったのです。もう大丈夫かと安堵したのですが、それからしばらくすると又また頻脈が再発したのです。以前よりは少し下がって、130/分台となったのですが、平常の50/分と比較すれば倍以上もあるので困惑しました。再度医師に相談すると、一度カテーテル療法の専門医の診察を受けてはどうかと、都内の大病院を紹介されました。そこでの診察の結果もやはり心房細動・粗動と診断され、この症状は薬では完治が難しいので、物理的療法としてのカテーテル療法が必要と言う説明を受けて、施術して頂くことを決意しました。
この頻脈騒動は凡そ2か月続いてのですが、寒い時期でもあり、無理して歩けば何が起こるか判らないと考え、1月からは歩くのを中断しました。約2か月という、これほど長期間歩くのを休んだのはわが人生では初めてのことでした。
3月上旬に3泊4日の入院でカテーテルの施術を受けました。施術は無事に終って、4日目には退院することができました。その後1週間が過ぎましたが、この間の脈拍は正常の50/分に戻って安定するようになりました。もう大丈夫なので休んでいた歩きを再開・回復させようと取り組むことにしました。
先ずは2~3km程度の歩から開始しました。大丈夫そうなので、少し歩く距離を増やして5kmほどにしました。頻脈になる前は、1日7~8km以上歩いていたので軽く考えていました。ところが5kmのペースで歩き始めると、何と右足の太股の後ろ側の筋肉に痛みを感ずるようになったのです。どうしたのだろう、また妙な病に取りつかれたのかと不安が過ぎりました。とにかく継続することが肝要だと歩きを続けていると、しばらくすると痛みは少なくなって来たので、なあんだ只の筋肉痛だったのかと安堵しました。しかし、今度は歩きの途中で腰が痛くなり出したのです。今まで10km以上歩いてもその様なことは無かったのに、2kmほど歩くだけで休みが必要となってしまったのです。今までの歩きでは、家を出発してから戻るまでが2時間以上に及んでも途中で休むなどということは一度も無かったのです。たった2か月の休みでもこれほど歩きに障害が出るものなのかと、改めて己の老の進捗を思い知らされました。
歩くというのはすべての動物の生きるための基本なのです。身近な動物のどれをとっても、歩けなくなって自力で代謝のためのエネルギー摂取が出来なくなったら、死を待つだけなのです。人間だけは例外で、他者の力を借りて生きて行くのが可能な存在であり、その力を人間以外の動物にも及ぼすことが可能なのです。
この動物の根源的な歩く(=動く)という能力を保持する重要性は、人間であっても何ら変わることは無いのだと自分は考えています。老化が進んで、或いは何かの事件で自力で身体を動かせなくなった時が自分の人生の終着点(=死)なのだと自分は考えています。
今回の頻脈事件は、幸いに自力で生きて行くことを可能にしてくれました。今年の初めに我が人生のゴールを90歳という目標を設定したのですが、これほど早く一つの障害がやって来るとは思いませんでした。これから先どのような障害がやって来るのか、見当もつきませんが、老の進展が思わぬ障害を招くという必然を改めて思い知らされる頻脈事件でした。
これからは、過去の自信を過信しないようにして、歩ける力を確保するために、脳や心臓を初め身体維持のために必要な全ての臓器類の働きに注意して、より慎重に我が身を維持して行かなければならないのだという心境になりました。人生生きていてなんぼなのですから。






