山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

‘18年 北海道生誕150年の今めぐり旅 レポート <第16回>

2018-06-10 05:23:58 | くるま旅くらしの話

【今日(6/10)の予定】 

道の駅:マオイの丘公園 →(R275・R337)→ 千歳市・キウス周堤墓群探訪 →(R337・R36他)→ 恵庭市郷土資料館 →(R36・他)→ 北広島市郊外知人宅訪問 →(R36・R337・R275)→ 道の駅:マオイの丘公園(泊)

 

【昨日(6/9)のレポート】 天気:雨時々曇り

<行程>

道の駅:三笠 →(R12他)→ 北海道開拓の村 →(R12・R274)→ ながぬま温泉 →(R275他)→ 道の駅:マオイの丘公園(泊)

<レポート>

 昨夜は寝る頃はかなりの雨だったが、夜間は大して降らなかったようで、朝外を見ると道路は乾いていた。ただ、風が強くなっており、寒い!というのが何回も口に出るほどの状況だった。とにかく寒いのだ。3日前までは真夏の暑さだったのだから、この温度の落差は相当のものである。15℃は超えているのではないか。防寒対策をして外を一回りしたのだが、寒さは足元からじりじりと迫って来ていた。

 朝食の後、隣接するイオンの広大な駐車場の方に移り、少々の買い物を済ました後、今日の最初の訪問先である北海道開拓の村を目指して出発する。この場所は邦子どのが江戸東京たてもの園のボランティア活動をしていた頃から縁があって、リタイアした後も何人かの大切な知人がいて、今日はその方たちとの久しぶりの再会の時間も待っているのである。途中から霧雨が降り出したと思ったら、次第に雨粒が大きくなり出し、江別の市内辺りからは本降りとなって来た。途中給油を済ませて、北海道開拓の村に着いたのは10半頃だった。

 以前は高額?駐車料金を取られたのだが、今回来て見ると何と無料となっていた。北海道の施設で有料駐車場があるのは此処くらいだったのではないか。そのことに気づいて無料としたのかも知れない。とにかくありがたいことである。それにここの入館料も65歳以上のものは証明できるものを提示すると無料なのである。つまり、何もかもタダでケ見学できるのである。冥途に近い道を歩いている者に対する配慮を重ねてありがたく思った。

 受付のある旧札幌駅の建物の改札を出ると、そこからは二人とも別行動である。邦子どのはここでボランティアガイドをされている知人の田村さんに迎えられ、いそいそとどこかへ行ったようだ。自分の方はカメラを出して旧開拓史の本館だった瀟洒な建物の写真を撮ろうと思ったら、電池が無くなる警告の赤ランプが点いたので、慌ててもう一度車まで引き返して電池を交換する。端からドジの不手際だった。

 開拓村は何回か来ているのだが、自分が中に入って見るのはこれが2回目である。前回は何の目的意識も無くボ~っと見て回っただけなので、印象に残っている建物なども殆どない状態だった。今回は150年の開拓史との係わりがあるので、ボ~っとしているわけには行かない。ここの建物は、市街地群、漁村群、農村群、山村群と別れており、今回は自分としては開発に係わりが深いと思われる漁村、農村、山村を中心に見てみることにした。

漁村から始まって、農村、山村と回ったのだが、漁村は青山家という巨大住宅を見て、ニシンなどの豊かな漁場がこのような建物をつくる力を与えたのだなと、改めて往時の漁村の豊かさ、それにそこで働く人々の厳しさを思った。次の農村だが、機械化が図られるまでの農事に携わる人々の苦労はかなりのものだったではないかと思った。主に官主導での農業が展開されたようで、それに係わる建物が多く移築されているようだった。その中でいちばん目を引いたのは、開拓小屋という掘立の縄文時代の竪穴式住居とさほど変わらぬと思われる小さな小屋が印象深かった。北海道開拓の原点はまさにこのような小屋で暮らしながら取り組んだ人々の辛苦にあるのではないかと思った。その後、山村部の方を見たのだが、炭焼き小屋と材木を切り出す平造りの飯場小屋があるだけだった。林業の材木の切り出しも重労働だったのだから、ここに寝泊まりしていた人たちの苦労も大変なものだったのだろうと思った。

北海道開拓の村の農村群の片隅に復元されている開拓の小屋。寒さ厳しいj北海道の地では、冬を越すには相当厳しかったのではないか。わずか9坪にも満たない小さなこの小屋こそが、北海づ開拓の原点ではなかったかと、首を垂れる気持ちとなった。

市街地群の方は、開発がかなり進んでからの建物が殆どであり、古いものでは官舎など公的な建物が殆どだった。やはり一番目立つのは、開拓使の札幌本庁舎であろう。今はビジターセンターとして使われている。又玄関口の建物である旧札幌駅舍も目立つ存在である。約2時間近く歩き回り、写真を撮って、得るもの多く、満足して車に戻る。

明治4年に北海道に開拓使が置かれた際の道の本庁舎。未開の大地の開拓に挑むための往時の国の覚悟のようなものが籠められた建物だったに違いない。

 邦どのたちは、田村さんや学芸員の方などと一緒に見学をしていたようで、その後もう一人の知人の武田さんも加わって、見学の後は、食堂で会食をして楽しく歓談を続けたようだった。邪魔するのを控えて、自分は一人車の中で、過ごすことにした。このような時はよくあるパターンである。

 14時半近くになってようやく邦子どのが戻って来た。友人の武田さんもご一緒かと思ったら、少し遅れて来られるという。10分ほど経って武田さんが来られ、挨拶を交わす。何かとり込んだ所用があるようで、直ぐにお帰りになった。お土産にとお酒や大好きなポテトサラダなどを頂戴して感激した。又、もう一人の友人の田村さんからは、ご自分が出版なさったという北海道開拓に係わる人物史などを書かれた本を頂戴し、ありがたいと思った。旅の間にじっくり読ませて頂こうと思っている。

 依然として空に雲は多く、寒さは一向に去って行かない。この後札幌村記念館というのを訪ねる予定でいたのだが、これを取り止め、とにかく温泉に入って温まることにして、長沼温泉に向かうことにして出発する。途中再び雨が降って来た。温泉の駐車場に着いた頃は雨は止んで、却って遠くに青空が見えて来た。これなら明日は晴れになるかななどと思いながら、温泉に浸る。やっぱりこんな日は温泉が一番だ。極楽、極楽である。温泉を出た後は、最寄りの道の駅:マオイの丘公園を目指す。10分ほどで到着。17時丁度だった。

 ここは人気の場所なのか、いつ来ても旅の車が多く、又地元の札幌ナンバーの車も多い。駅舎の建物の中にあるレストランを楽しむためなのか、などと思ったりした。20代以上の車が泊るようだった。とにかく外は寒いので、湯ざめしないように早やめに夕食にし、先ほど武田さんから頂戴したポテトサラダを肴に身体の芯も温めておこうと酒などを流し込んで、直ぐに寝床にもぐりこんだ。明日はこの近くにお住まいの二人の大切な知人との再会が待っている。それを楽しみながら、たちまち眠りにつく。

コメント
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