60年ぶりと書きましたが、正確にはもう少し時間が掛っています。誰と再会したのかといえば、学生時代のバスケ部の同期の皆さんたちなのです。私は現在84歳。従って同期の皆さんも略同年齢となります。60年以上前に卒業してから、皆それぞれの道を歩み、今日まで生き残っている数少ない人たちなのです。往時のバスケ部は、学部共通のメンバーで構成されており、教育学部を中心に文理学部、工学部、農学部の人たちが参加していました。工学部と農学部は、2年次からは水戸市を離れて日立市や土浦市の学舎で学ぶため、ずっと同じメンバーで練習やゲームに参加していたわけではないのですが、卒業後も時々同期のメンバーでの会合を持っていたようでした。私は一般企業に就職して以降、東京を始め高松や福岡などで仕事をしていたため、同期の皆さんと会う機会は殆どなく、忘れられている存在でした。
それがどういう風の吹き廻しなのか(失礼)、10月下旬のある日メンバーの一人のFさんから電話があったのです。家内が電話を受けて、Fさんから電話です、といわれた時は誰なのか見当もつきませんでした。しかし電話に出てバスケ部の話を聞いた時は、直ぐにFさんの顔を思い出しました。背が高い紅顔の美青年でした。彼の話によると、来月の下旬に昔のバスケ部仲間たちの集まりが予定されており、参加しないかという誘いの話でした。突然だったので少しためらいもありましたが、俄然昔のことを思い出し、出席を快諾しました。Fさんから昔のメンバー二、三人の近況などを教えて頂き、何人かは病に取りつかれて厳しい状況にあるなどと聞いて、益々これは是非とも参加しなければならないと思いました。突然でしたが、嬉しい知らせでした。
10月下旬に電話を戴いて、集まりまでには1カ月以上もの待ち時間があり、それまで何もしないで待つというのは厳しいな、と思いました。2~3日考えた後、Fさんを訪ねてみようと思い立ちました。Fさんはつくば市在住で、守谷市からは1時間もかからないで行ける場所です。電話をすると、当日は奥さんが留守なのでという話でしたが、とにかくOKを戴いて訪ねることを敢行しました。大した迷いも無く彼の家に着くことができました。60年を超えた時間の再会なのです。懐かしさで胸が膨らみました。やあ、やあと手を握りハグをして再会を喜びました。60年ぶりのFさんは昔とさほど変わってはおらず、歳相応に老いてはいても直ぐに彼と判りました。私はてっぺんが光りはじめて寒くなっていますが、彼は私よりは被害が少ないようでした。元気な姿を見て安心しました。
その後、お邪魔をして2時間ほど歓談しました。何人かの懐かしい人たちの近況などを聞いて、驚いたり哀しい気分になったりして、60年という時間を経た一人一人の来し方の変化に思いを馳せました。人生の晩期に当って、メンバーの多くがやはり体調の維持に苦労していることを知り、老というものの厳しさを実感しました。
それからしばらくして、待望の日がやって来ました。何しろ60年を超えた再会なのです。1か月前や1年前に会った人との再会とは全く違うのです。自分自身の顔でさえ60年前とは大いに違っているのを自覚しているのですから、往時の皆さんが今は一体どのような顔や姿になっているのか、思いは膨らむばかりでした。国民宿舎の会場に30分以上早く到着して、暫く車の中で待機しました。今日の集まりは、自分を入れて7名(男5・女2)と聞いていました。集合時刻が来て、ロビーに入って行くと、先ずはTさん夫妻に会いました。この夫妻は同じ部活を通じて知り合って結婚されているのです。ご主人の方は直ぐに判りましたが、奥さんの方は思い出すのに少し時間がかかりました。そのあと、皆さんが到着して再会を確認し合ったのですが、60年前の印象とは全く異なっている人も居て、大変な驚きでした。しかし、しばらく話をしているうちに,段々昔の顔を思い出すようになって来て、これは不思議な現象でした。夕刻の宴会の時間が来て、一人ひとり自己紹介をして頂き、その来し方の話に驚きながら耳を傾けたのでした。それらを一々細かく書くことはできません。
60年ぶりの再会は、浦島太郎が玉手箱を開けたような心境でした。老いというのは、情け容赦もなく人を変えて行くものなのだなと改めて実感しました。翁と媼の集まりなのでした。話題の中心は、思い出が主役となり、現実は控えめとなり、未来については、隅の方に追いやって中に入ることはないという世界がそこにあったように思いました。この後も老は止まることなしに我々を追い詰めてゆくのだと思います。しかし、なればこそこの集まりが貴重で、生きる力にもなるのだと、そう思いました。次回の開催が何時なのかは未定のようでしたが、必ず出席するぞと心に誓いました。





