山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

2010年北海道くるま旅でこぼこ日記:第15日

2010-09-12 01:41:53 | くるま旅くらしの話

第15日 <7月24日(土)>

【行 程】 終日びふかアイランドキャンプ場に滞在(泊) <0km>

ここは内陸部の所為なのか、朝夕の気温はぐっと下がり、涼しいを通り越して、寒いほどである。相棒は、毛布を追加して寒さに対処していたようである。15℃以下になったようだ。昨夜は雨も降らず、今朝も空は高いようだ。今頃の北海道は緑が美しい。内地ほどは樹木の葉は日焼けしてはおらず、穏やかである。キャンプ場の中に植えられているのは、殆どが白樺で、例年来訪者を悩ますドロの木の花の綿は、今年は6月の暑さに少し早や目の花を咲かせたのか、既に収まっていて安堵した。いつもはマスクを掛けないと、邦子どのの喉や鼻を脅かすほどなのである。ナナカマドは青い実をつけて、秋の到来を待ち焦がれているようだった。

今日は、キャンプ場にて一日をゆっくり過ごす予定なのだが、北海道の旅の情報誌のHOの発売日なので、それを買うついでに名寄まで少しばかりの買物に出向くつもりでいる。HOには、温泉博士と同じように、無料で入れる北海道内の温泉の紹介があり、旅の多くの人たちはこれを利用させて頂いているようである。我々も北海道に来た時は、活用させて頂いている。単に温泉案内だけではなく、北海道各地の様々な情報が、丁寧に紹介されており、北海道を知る上では、大切な情報源の一つになっている。販売日には、これを買い求める人が多いため、近くのコンビニなどでは直ぐに売切れてしまうので、最初から名寄まで行こうという考えなのだ。

食事の後一休みして、昨日の雨の中の道を来た車があまりにも汚れているので、水洗いすることにした。特に後部の汚れがひどく、一度拭いたくらいではすっきりしない。2度拭きして跳ね上がった泥の名残りを消す。この車には、88-55というナンバーをつけており、88歳まで旅にゴーという意味なのだ。この車にもあわよくばあと18年頑張って貰おうと考えているので、汚れをほったらかしにするわけにはゆかない。車がくたばる前に自分の方が先にあの世に旅立つかも知れないけど、そうなれば車なしでも自在に宇宙の旅までもが可能になるのではないか。あの世に行った後のこの世のことはわからないが、車の方は誰かが何とかするだけのことになるのだろう。ま、記念物として展示されるようなことにはならないとは思うけど。(これは考え過ぎではある。)

9時半過ぎ車を動かす。先ずは間もなく出発されるというKさんご夫妻の車を訪れ、昨夜のお礼とお別れの挨拶をする。お互い、二度重なった偶然の邂逅に驚き、感謝の思いが強くて、本当に嬉しい出会いだった。Kさんご夫妻は、今年は8月までにはお住いの松山にお帰りになられるという。来年も是非お会いしたいものだと思った。

車を走らせ、R40を美深町市街へ。町の中にある2軒のコンビニを訪れ、HOを探したら、1冊だけ在庫があった。一方の店では、全部売り切れていたという話だった。その後は、旭川から稚内に通ずる高速道は、去年如より1区間工事が進んで、美深の郊外までICが造られていたので、これを利用することにした。R40を走っても大して変わらないのだけど、信号やカーブがないだけ時間はかからない。10分ほどで名寄市街へ。HOの方は直ぐに手に入った。

邦子どのが名寄の道の駅まで行きたいというので、その後はそちらを目指す。名寄の道の駅は、元の風連町というエリアにあり、名寄市という感じはしないのだが、合併というものが生み出した現象の一つなのであろう。買物は邦子どのに任せて、ここにも公共のネットワークサービスがあるので、パソコンの前に坐ってブログを覗いてみたのだが、昨日の記載記事は見られるものの、編集画面に入ろうとするとうまくゆかず、投稿するのは止めることにした。旅先でこのようなツールを使うことなど考えてもいなかったため、何かが不足しているのであろう。パソコンは家での使用のワンパターンしかやっていないので、大してややこしくなくても、ややこしく面倒に見えるのかもしれない。

道の駅からは引き返すことにして、途中にある郊外のショッピングモールに寄り、少しばかりの買物をする。かなり大きなモールで、殆どの商品が揃っており、その上に新しく近くにイオンも開店しており、都市部と少しも変わらぬ商品を手に入れることができるようだ。これでは、旧市内のスーパーなどは大きな衝撃を受けているのではないかと思った。自由競争の社会では、弱肉強食の原始時代の論理が変わることなく幅を利かせているようである。人間の本性というのは、やはり全ての生き物と変わらないものなのであろうか。よく解らない。

買物を済ませ、再び高速道を利用してキャンプ場に戻った時には12時を過ぎてしまっていた。あっという間に半日が過ぎてしまったことになる。ゆっくりなどと言いながら、いつもこのようになることが多い。お昼は昨日Mさんから頂戴した隣の音威子府産の特製蕎麦を茹でて食す。真っ黒といっては語弊があるけど、丁度山形の慈恩寺の板そばを更に黒くしたような色の地粉で打った蕎麦は、独特の香りと味があって、美味かった。北海道は、今や長野県などを抜いて、名実ともに日本一の蕎麦の産地になっているのではないか。Mさんに多謝。

その後は昼寝。思いの外の好天で、日射しがきつい。それほど暑いとは感じないけど、この時間帯に外を歩き回るのは、身体のためには良いとは思えない。今日から夏休みとあって、キャンプ場には子供連れの人たちが次第に数を増してきていた。子供たちは芝の上を駆け回り、池の中に入って水を掛け合ったりしているけど、老人は午睡を貪るのが何よりの楽しみである。というわけで、16時過ぎまで眠りの時間となった。

未だ寝ている邦子どのを置いて、一人で付近の散策に出かける。野草の花を撮るつもりである。できる限り北海道ならではの花を撮り、野草談義の材料にしたいと思っている。でもこの時間は夕方近くになっており、野草たちも久しぶりの日中の日射しに疲れたのか、花にもあまり精彩がないようである。クガイソウやクサフジなどの花を収録する。北海道にはクガイソウが多い。内地にもあるのだとは思うが、関東の近郊では野にあるのを見たことがない。恐らくこれほどの大型の野草の花があったら、引き抜いて持ち去る人が多くて、たちまち絶滅危惧種になってしまうのに違いない。自然を自然のままに受け入れて味わい楽しむなどという風流は、コンクリートで固めた家に住む人などには、無縁の話となってしまっているのであろう。斯く言う自分も時々その誘惑に手を出しそうになっているのだから、世話は無い。

1時間ほど散策を楽しみ車に戻る。今日はWさんご夫妻とお話しする時間もなく、グータラに過ぎてしまい申し訳なし。明日は午前中でお別れとなるので、その間もう一度歓談の時間をつくりたい。久しぶりに電気の残り容量を心配することなく照明を点け、TVを見て夕べの時間を過ごす。8時半を過ぎると、昼寝をしたのとは無関係に、眠りのお誘いの手が何処かからやって来て、間もなくその手に引かれて寝床の中へ。気温はかなり下がり出し、今夜も快適な眠りに満足できそうである。

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