山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

2010年北海道くるま旅でこぼこ日記:第13日

2010-09-10 03:30:30 | くるま旅くらしの話

第13日 <7月22日(木)>

【行 程】

当麻町スポーツランド駐車場 → (R39・旭川紋別道) → 道の駅:しらたき → 道の駅:まるせっぷ → マウレ山荘ミュージアム → マウレ山荘 → 道の駅:かみゆうべつ温泉チューリップの湯 → 雄武町:加藤ガス店 → 道の駅:おうむ(泊) 

<228km>

昨夜は雨になるかと半ば諦めていたのだが、明け方に外を見ると意外と空は高く、僅かに青空らしきものも見られて、もしかしたら今日の日中も雨なしで行けるのかもと思ったりした。最終的にここに泊ったのは、バスコンと我々の他は、ワンボックスが1台と乗用車での旅の方が2台だけだった。例年だとこの倍くらいの人が泊ることが多いのだが、今年は早く来られた人たちは道北や道東の方に行ってしまわれたのかと、なかなか知り合いに会うこともない毎日に、チョッピリ出遅れの悲哀(?)を感ずる気分である。

食事を終え、出発の準備をした後、近くにあるフィールドゴルフのグラウンドを見物に行く。ここはフィールドゴルフという競技の発祥の地だとか。その記念碑が建っている。どのような競技なのかよく分らないので、プレーを楽しんでいる人たちの様子を見に行った次第。上がってきた人に訊いたら、ボールは公式テニスのそれを使い、クラブはゴルフのピッチングを使うとのこと。ルールは略パークゴルフと同じだが、コースの方はパークよりも長いようである。ロングホールは130mもあって、どんなに思い切って振っても1打でグリーンに届くのは難しいとのこと。我々と同じ世代の男女がプレーを楽しんでいた。コースの存在についてもあまり聞いたことがないので伺うと、北海道でもここと隣の愛別町に一つあり、全国にも二つしかないとの話だった。20年も前からあるということなので、パークほどには広がりを見なかったということなのであろうか。

9時少し前出発。今日の予定は、丸瀬布(遠軽町)の武利という所にあるマウレ山荘のミュージアムを訪ね、持参した安達巌の画集を寄贈すること。その後は一路オオホーツク海側の雄武町に行き、LPガスを補填した後、そこの道の駅に泊るつもりでいる。そして明日はWさんご夫妻の滞在しておられる美深のキャンプ場に向うことにしている。

R39に出て層雲峡方面に向う。途中愛別町のICから旭川紋別道に入り、高速道を行くことにした。原則として旅には高速道は使わないことにしているのだが、オホーツク海側に抜けるには標高1000m近い峠を越さなければならず、途中立ち寄るのを楽しめるような場所もあまり無いので、今回は高速道を行くことにした。今回改めて地図を見て、高速道が丸瀬布まで開通しているのを初めて知った次第である。無料というのもありがたい。

高速道は山間部を走り抜けているのだが、相当に高い所を走っており、トンネルも多いため、峠などというものの存在を実感することはなく、確かに便利だけどやっぱり普通の道の方が味があるんじゃないか、などと走りながら矛盾したもことを考えたりした。走ってみて初めて知ったのだが、一般の車は少なくて殆ど見かけない。追い抜いてゆく車の殆どは自衛隊の茶色の車ばかりである。若しかしたらこの道は自衛隊が車の移動訓練の為などにつくられたのかと錯覚するほどだった。偶々、そういう時間帯に乗り合わせただけだったのかも知れないのだが。

途中高速道に隣接してつくられた道の駅:白滝というのがあり、寄ってみたが、道の駅というよりもPAのような感じがした。トイレ休憩用施設のようなレベルで、ちょっと変わっているなと思った。どうして道の駅なのかよく分らない。

間もなく終点の丸瀬布ICを出る。この頃から少し空模様が怪しくなり出す。北海道は、今頃はやっぱり梅雨なのである。内地に遅れて雨雲が居座るようになったのは、何時頃からなのであろうか。R333に出て、直ぐ近くにある丸瀬布の道の駅に立ち寄る。この道の駅には木工の工芸品を展示する館があり、何時も立ち寄って覗くことにしている。ざっと館内を一回りしていると、邦子どのが呼んでいるので何だろうといてみると、見知らぬ人と話しており、そのご夫妻が関西HMCCの方だったので、声を掛けたとのこと。一昨年の滋賀県マキノ町ピックランドでの講演以来、関西HMCCの方とは何かにつけてご縁がある。邦子どのがその様な話をしたらしく、名前だけは知っていて頂いたようで、恐縮した。改めて名刺を頂戴し、Hさんご夫妻であると知った。嬉しい出会いである。今回の旅では未だ新しい出会いがなかったので、格別に嬉しい。館内の喫茶コーナーで、興奮冷めやらぬままにしばらく歓談する。

Hさんご夫妻は未だお若くて、昨年定年を迎えたとのこと。北海道の夫婦二人でのくるま旅は初めてとか。これから先の本格的な旅のための下見という感じらしく、地理の状況なども経験の積み上げを開始されたばかりのようだった。Hさんは、サッカーのシニアクラブの現役選手というスポーツマンで、お話も立ち居振る舞いも爽やかな人物である。奥さんも活力があり、関西のご夫人の代表の方のような印象だった。関西の女性は明るく逞しい方が多いと思っている。このような方と知り合いになれて、真に嬉しくありがたいことである。ご主人は、サッカーの練習の合間を縫って特別の思いを持って今回の旅に出られたとのことだったが、大阪代表メンバーの一人として、秋の全国大会に向っての練習の為に8月の半ば過ぎには帰宅予定だとか。杉山とか釜本だとか、メキシコオリンピックで日本のサッカーが銅メダルを獲得したときの名プレイヤーの方たちと一緒に練習をされているというから、サッカー界では名をなされておられるのだと思った。

Hさんご夫妻もこれからマウレ山荘の温泉に入りに行かれるというので、一緒に向うことにした。マウレ山荘は道の駅からは10kmほど山奥に入ったところにある。少し先に出た自分たちは、入浴の前にマウレ山荘が経営しているミュージアムに直行した。受付で事情を話し安達巌の画集2冊をお渡しした。山荘側のお話では、1冊はミュージアムの方に、もう一冊はホテルの方に置かれるとのこと。少しでも多くの方に安達巌の絵が目に触れることを願っている。

   

マウレ・メモリー・ミュージアムの外観。ここは元武利小学校があって、その校舎がそのまま美術館として使われている。大きく手を加えないで、昔の姿を保存する形で活用されているのが素晴らしい。

   

ミュージアムの内部。各教室や廊下などに世界中から取り寄せた障害者の絵画が、説明付きで紹介・展示されている。入場は無料。このミュージアムはマウレ山荘からは川を挟んだ反対側に位置している。

マウレ山荘では、障害者の絵画を全国・世界中から集めて、ミュージアムとホテル内に常設展示されており、昨年初めてここを訪れた時には、びっくりしたのだった。ミュージアムは、今は閉校となったこの地の武利小学校の校舎が使われており、元教室だった展示場を歩くと、板張りの床が奏でる懐かしい音がして、耳に心地良い。似たような環境の小学校で過ごした60年も前になるときのことを思い出したりした。このような閉校となった校舎の使われ方は、素晴らしいなと思った。もっともっと多くの方たちがここを訪れて絵を見る感動を味わって欲しいと思った。この事業は、マウレ山荘の立派な社会貢献事業だと思った。

30分ほどしてマウレ山荘の方に出向く。温泉は邦子どのだけが入ることにして、自分はロビーで久しぶりの新聞などを読んだりして過ごす。間もなく先に入浴を済まされたHさんが戻ってこられた。しばらくロビーで歓談をして、又の再会を約してお別れする。本当に嬉しい出会いだった。

邦子どのはなかなか戻ってこない。ロビーの外に出てみると、かなりの雨降りとなっていた。丸瀬布の道の駅を出るとき本降りだった雨は、こちらに来てからしばらくは止んでいたのだが、又、我慢しきれなくなって降り始めたようである。ようやく邦子どのが戻ってきて、出発の準備をする。これから先は雄武のLPガス屋さんを目指すことになる。

雨の中を来た道を戻り、R333に出て遠軽町にてR242に入り、市街を抜け上湧別町の方へ向う。上湧別の道の駅に寄って、公共のネットはないかと見てみたのだが、LANはあるというけど、使うのが面倒のようなので、やめることにした。ネットが気になるのは、なんと言ってもブログの更新が、旅の予告をしたまま途絶えており、一体どうなったのだろうと心配されている方もおられると思うので、一言お詫びを申し上げたいと思っているからである。確か、泊りを予定している雄武の道の駅には、公共ネットワークがあったと思うので、それに期待することにして出発する。

上湧別の先からオホーツクの海岸沿いを走るR238を北上する。しばらく走って紋別市郊外にて給油する。未だ燃料は半分以上残っているのだが、このエリアでは軽油の価格が内地の守谷並みに安いのである。リッター当り103円は、旭川では安い方だと入れた117円よりも14円もの開きがあるのである。どういう事情でこのようなことになっているのか、さっぱり分らないが、若しかしたら各エリアごとに販売店のカルテルのようなものがあり、石油の販売価格を操っているのかも知れない。旭川市近郊などは、消費量の規模からいっても紋別よりも安いか、せめて同じくらいであっても不思議では無いように思うのだが、どこも判で押したように120円を前後した価格である。このからくりはどうなっているのか、北海道によらず全国を旅しているといつも感ずる疑問である。TVの名解説者の池上さんなら知っておられるのかも知れない。とにかく安いエリアでは、少量であろうと、補給することにしている。

紋別から興部(おこっぺ)を通過し、日の出岬を過ぎると雄武の町が見えてきた。時刻は16時半近くになっている。この町の道の駅近くにあるガス屋さんでLPガスを補給することにしている。昨年は17時ごろに着いて、直ぐに店に行ったのだけど、今日は終わってしまったので明日にして欲しいと延ばされてしまい、翌日少し時間を無駄にした悔いがある。今回も危ない時間帯なので心配だったが、ぎりぎりでセーフだった。工場の方に出向いて、補充をして頂く。既に5kgボンベ1本が空になっており、冷蔵庫用に使うために、早めの充填が不可欠なのである。とにかく間に合ってホッとする。それからここのガスの価格は、真に良心的でありがたい。知る限りでは、北海道一の良心的は店ではないか。今日お会いしたHさんの話では、網走で充填したときは2500円超の価格だったと聞いたけど、ここはその半額程度である。先ほどの石油の価格のエリアによるギャップ以上に、LPガスの場合はその差がひどい。ひど過ぎる。昨年は略同じ敷地内にある販売所で間違って購入しかけた時に、充填所に行ったら同じ5kgで1000円以上も差があったのに驚き憤慨したのを思い出す。濡れ手で粟のような商売にうつつを抜かすようなやり方には疑問を通り越して腹が立つ。LPガスに関しては、安全上の問題を楯にとって、供給を渋ったり、外来者から高額料金をふんだくったりする業者が多く、まことに不愉快である。その点、このお店は素晴らしい。

ガスを充填して安心した後は、道の駅へ。先ずはネットが覗けるかと駅のそのコーナーを探した。去年はあったのだからと思いながら入って行くと、直ぐに見つかった。さっそく自分のブログ画面を引き出し、編集画面を開いて、携帯投稿の要領を見てみたのだが、文字が小さくてよく見えない。めがね持参ではなかったので、読むのは諦めて、とりあえずお詫びの挨拶だけはしておこうと書き込む。もう旅に出て以来10日以上の時間が過ぎてしまっている。心配された方には真に申し訳ない。とにかく、現状の報告ができてホッとしたのだった。

それから後は、いつもの通りの夕食、そして早めの就寝となる。

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