山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

初敬老会出席所感

2010-09-14 02:01:42 | 宵宵妄話

先日の敬老会への誘(いざな)いの後日談としての所感です。

守谷市の敬老会は日程を前倒しにして、12日に開催されました。10時からの式典に間に合うように、9時半に自転車で家を出ました。会場の体育館は鬼怒川の堤防近くにあり、我が家からは3kmほど離れています。歩いても良い距離ですが、既に朝の内に7km以上歩き済みであり、日中は暑いので自転車にした次第です。

常総ふれあいスポーツセンターというのの中に体育館はあり、近くには立派なグラウンドやテニスコートを有する常総運動公園や老人福祉センターなどの体育・福祉施設、それにゴミ処理を行なう環境センターなどがあります。時々歩きで近くを通ったりするのですが、中に入るのは初めてでした。これらは守谷市の中心街から外れた田んぼの際(きわ)に作られた施設で、普段どのような人たちが活用しているのか、旅ばかりしている者には馴染みの薄い場所でした。北海道などを旅すると、守谷市(現在約6万2千人)の人口の4分の1くらいの町でも、豪華な福祉・体育施設が整備されているのを見て、真に違和感を覚えるのですが、自分の住む町にも結構立派な施設があったのを初めて知ったような気がします。ま、どんな立派な施設でもそれを使わない、使うチャンスのない者にとっては、何の有難味も感じないというのは、世の常なのでありましょう。

さて、その敬老会ですが、行ってみて驚いたのは、会場に人が溢れていたことでした。もしかしたら招待される人よりも主催者側の関係者の多さが目立つ集まりではないかなどと思ったりしていたのですが、とんでもない見当違いのことでした。どうやら昔からの住人にとっては、年に一度の同窓会のような雰囲気で、この日の来るのを楽しみにしている人も多いようでした。住み始めてまだ6年目の新米住人にとっては、昔からの知己など居るはずもなく、その種の楽しみなど考えたこともありません。もし自分の生まれ育った町ならば、自分もまた素直に参加したのではないか、などと転居ばかりだった我が身の了見の狭さを思い知らされた感じがしました。何しろ結婚以来40年を超える時間の中で11回も転居をしたので、住み慣れた故郷に対するまともな感覚が存在するはずもありません。

持参したビニール袋に靴を入れ、スリッパ無しで、帰りに捨てるつもりの靴下をそのまま履いたまま、体育館の所定の折りたたみ椅子に着席しました。何脚の椅子が用意されていたのか判りませんが、90%以上が埋まっていましたから、守谷市の70歳以上の人数が5,992名いうことからすれば、千人近くの出席があったのではないかと思います。千人と言えば大変な数ですが、考えてみれば全体の20%未満なのですから、もし全員が出席すれば体育館一つではどうにもならないことになってしまうわけです。80%以上に当たる欠席した人たちはどういうわけなのかなと、そのことにもちょっぴり思いを走らせました。

誰も知り合いのいない独り身の参加は、気軽というよりも、少しばかり勇気の要ることで、いつもとは違う世界に突然入ってしまった感じでした。特に折りたたみ椅子にじっと腰掛けているのは、我慢しにくいものです。同世代というよりも、初めて参加する世代の一人としては、来場者の皆さんが思ったよりも元気だったので、老人というイメージは吹き飛んだという感じでした。考えて見れば元気だからこそここに出席されているわけで、それは当たり前のことです。

式典が始まり、開会が宣言され主催者側の挨拶や来賓の方々の挨拶がありました。主催者側として、老人クラブ連合会会長、敬老会実行委員会委員長、市長の挨拶があり、来賓は、市議会議長、衆議院議員、県会議員の各位からの祝辞を聴き、その後に祝電などの披瀝がありました。式典ですから、どのような世界も皆同じ様なものなのでしょうが、主催者側の挨拶は皆どなたもメモを棒読みの形で、ご本人の本当のことばがどこにあるのかが判りにくいものでした。「おはようございます」で始まり、「おめでとうございます」で終る挨拶の中には、ベテラン老人やこれからの老人たちを本当に元気づけるものは少なく、皆慰めのセリフに溢れていた感じがします。これは当然と言えば当然なのかも知れません。

来賓の中では、現政権の衆議院議員の方の挨拶は、さすがにストーリーは巧みで、今の国政に係わる仕事の取り組みの中で最も役に立っているのは、明治生まれのお祖母ちゃんに育てられて学んだ、ものの考え方の数々であるという話でした。古老や先人に学ぶことの大切さの事例として、源平一の谷の合戦で、義経が鵯(ひよどり)越えの際に馬を進めるに当り、あまりの急坂にたじろぐ若い馬を見て、昔先人から教わったことを思い出し、老馬を前に出して進軍させたところ、見事に先陣を切って進んで大勝利へとつながったという話をされて、敬老に花を添えた感じがありました。なるほどと思うと同時に先人の知恵は良いとしても、老馬本人にしてみれば気持ちは複雑だろうとも思わされた次第です。勿論ここでは先人の智恵に学ぶ大切さを強調され、我々折りたたみ椅子に坐る者の知恵を大切にしなければならないという、まさに敬老の精神を強調されたのだと思いますが、今の世では先人の知恵に学ぶとか、それを使うという仕組みなどはどこにも見当たらず、動きの鈍くなった駄馬には餌も食わせたくない雰囲気が溢れていますから、ついつい老馬の気持ちとなってしまった次第です。失礼。

もう一人の地元出身の若い県会議員の方の話も、良いテーマを取り上げたものでした。3つほど挙げた事例の最初は、今夏初めて付き添いなしの大阪までの旅にチャレンジした小学生の子が、東京駅で新幹線の切符を買う際に、駅員から「禁煙席にしますかそれとも普通の席にしますか?」と訊かれて驚いたという話、そして二つ目は残業で頑張る社員のために、社長さんが差し入れをしようとハンバーガーを自ら買いに行き30個をオーダーしたところ、「お席で上がりますか、それともお持ち帰りにしますか?」と訊かれたという話。そして三つ目は、ディズニーランドのレストランで、若い夫婦がオーダーの際に、AランチとBランチをそれぞれ一つと併せてお子様ランチを一つというのを聞いたウエイトレスが「お子様ランチは5歳以下です」と答えたのですが、ちょっと困って店長に相談に行ったということです。急いで出てきた店長が「何かご事情がおありのようで、…」と伺ったところ、元気になったらディズニーランドに一緒に行って食事をしようねと約束して、闘病生活に頑張っていた子供さんが亡くなられて、今日はせめてその約束を果たしたいとお子様ランチをオーダーされたとのこと。これを聞いた店長は即座に了解し、しばらくするとランチに併せてバースデーケーキも添えて、お客様の気持ちに応えたという話でした。前の二つに比べて、マニュアルだけの接客の欠点というかお粗末さを浮き彫りにする象徴的な話で、なるほどなと思ったのです。

ところが、彼の結論は、それ故に我々はこれから平成生まれの若い政治家たちと共に先人の知恵を借りながら、新しいマニュアルを作らなければならないというのです。それまでの話からは、当然のこととして、これからはマニュアルなしでも相手の気持ちに応えることができるような世の中をつくってゆかなければならない、という結論がでるかと思っていたのですが、なんと又また新しいマニュアルを作るというのですから、ガッカリしてしまいました。

そもそもマニュアルなどというものは、人間の気持ちを効率的に扱う標本のようなもので、その根本にしっかりした哲学と応用動作が組み込まれていなければ、いざという時には役立つどころか陳腐化するということを理解しておくべきではないかと思うのです。これから新しいマニュアルを作るなどという発想は、明らかに人間についての勉強不足のように思います。もし政治家が法律をマニュアルのようなものだと勘違いしているのであれば、為政者の資格はないように思えるのですが如何なものでしょうか。最後におめでとうといわれても、全くその気にはなれない折りたたみ椅子に坐る老人には、落胆の差の大きな話で残念でした。

とにかく式典というのは、為政者のためのお祭りのようなもので、議員さんたちのお顔の披瀝オンパレードという感じがします。せめてもの慰めは、体育館で高い舞台がないため、ひな壇の彼らの顔が見えないことでした。又,司会者が一々来賓の名前を紹介しているのを聞きながら、真にご苦労さんなことだと思いつつ、次第に偏屈さが角を出し始めるのを抑えるのに大変でした。

いろいろな挨拶のなかで一番印象に残り且つ有用だったのは、閉会の辞を述べられた方の追加の話で、同居の103歳のおばあちゃんの長生きの秘訣3項目でした。①食事をきちんと摂る②何でも口に出して、ストレスを溜めない③自分のことは自分でやる。この短い追加の話が今日聴いた中では、一番分り易く、役に立つものだったような気がします。

式典の後は、「いきいきヘルス体操」というのを、指導士会のメンバーが30分ほど実技指導されましたが、これが介護予防のためのシルバーリハビリ体操と書かれているのを見て、自分はまだリハビリは不要だと思い断固真似するのを拒否しました。このようなものを取り入れなくても、毎日の歩きと併せて自分なりの身体の管理・調整をしているので、今も将来も不要だと思っているからです。関係者からは真に扱いにくい存在だったと思います。

その後はアトラクションとなり、1部では斉藤京子さんという物まね芸人の舞台、昼食を挟んでの2部は地元の各種団体の演芸発表という順序でした。物まねの舞台までは我慢して坐っていましたが、それが終って弁当の赤飯折り詰め1個を頂戴すると、そそくさと抜け出して帰宅したというわけです。不謹慎なのは重々承知ですが、素人の下手な芸など見る気は更々なく、見たところで何の慰めにもならないと思うので、退散した次第です。

せっかくの敬老の対象となったチャンスを、このように偉そうにコメントするのは、思い上がりであり、ある意味で滑稽千万ということかもしれません。しかし一寸の虫にも五分の魂という諺もありますように、一老人でも多少の言い分はあるわけで、ま、馬の骨のいじけた根性の為せる業なのでありましょう。

敬老会に初めて出席しての所感は、高齢者といっても70歳以上を一くくりにするのは無理があり、もしこれが高齢者の啓発に向けた本気のイベントなのであれば、その成果は殆どなく、単なる演芸慰労会に過ぎないのではないかということです。

私の考えでは、高齢者に真に必要なことは、慰めではなく、これからの夫々の残りの人生をいきいきと生きてゆくためには、何が必要で、それをどう実現して行くかというガイドの提供ではないかと思うのです。今日の敬老会の中にはそのような意図が皆無のように思いました。せめてその道の専門家の講演であるとか、或いは地元の実践者・経験者などの発表であるとか、聴く者にとって本当の刺激となる事柄についての企画があって欲しかったと思います。

慰められることに甘える老人は、素直な分だけ扱いやすいのだと思いますが、受身の人生を選ぶ安易さに狎れると、人はやがては認知症などの恐ろしい道へすんなりと誘(いざな)われてしまう危険性があるように思うのです。式典の閉会の辞に追加された103歳のおばあさんの長生きの3つの秘訣に披瀝されたような内容の、より深い話をこれからの企画の中に是非とも加えて欲しいものだと思いました。来年も同じ様な企画のときには、赤飯を貰うのを諦めることにしたいと思っています。

その他言いたいことはいろいろありますが、それをブログに披瀝するのは幾らなんでもと思いますので、控えます。明日から又旅の話に戻ります。

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