山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

08年 四国八十八ヶ所巡りの旅 (第12日):その1

2009-01-17 00:03:05 | くるま旅くらしの話

第12日 <10月13日()

道の駅:たからだの里さいた→第75番:善通寺→第76番:金倉寺 →第72番:曼荼羅寺→第73番:出釈迦寺→第74番:甲山寺→第77番:道隆寺→第78番:郷照寺→第79番:天皇寺→第80番:国分寺→第81番:白峰寺→第82番:根香寺→第83番:一宮寺→道の駅:源平の里むれ(香川県高松市)(泊)  <126km

財田の道の駅の朝も早かった。6時を過ぎた頃から軽トラがやって来て、地産の野菜やきのこなどを並べている。店のオープンは9時からとなっているのにに、実際は8時半にはもう営業開始である。どうして9時などと書いているのか良く分らない。邦子どのの話では、マツタケが3本で3万円を超えた値段だったとか。自分は店の方には行っていないので、そのマツタケを見ることはなかった。四国のこの辺りの山は、確かマツタケの産地だったと思う。今が最盛期なのかも知れない。きのこには関心があり、帰宅したら、知人のお誘いに乗って、きのこの鑑定会にお邪魔しようと思っている。

さて、今日は昨日の続きの第72番曼荼羅寺(まんだらじ)からの参詣を予定していたのだったが、なんと道の駅を出る時に道を間違えてしまい、最初のお寺が第75番札所の善通寺(ぜんつうじ)となってしまった。善通寺は弘法大師生誕の場所である。88ヶ所の中では最大規模の伽藍を揃えたお寺だと思う。讃岐の国に来たら、真っ先にこのお寺にお詣りするのが正解なのかも知れない。

駐車場に車を入れる時に、邦子どのがNHKの放送関係の車が来ているのに気づいた。丁度今NHKでは、卓球選手の四元奈緒美さんの歩きで「街道てくてく旅」という八十八ヶ所巡りの番組を実況放映しており、この旅の間に、もしかしたらどこかで出会うかもしれないなとは思っていたのだが、どうやら今日のこの場所がそうだったらしい。車を停めた後、邦子どのは、NHKのエコカーに近づいて行って、何やら話しかけていたようである。パンフレットを貰って戻ってきた。どうやら四元さんは、今日これから出発するらしい。

   

NHK「街道てくてく旅」番組のエコカー。天ぷら油などを回収しながら、それを燃料に走っているとか。

それは兎も角として、先ずは参詣である。広い境内をかなり歩いて、本堂と大師堂にお詣りする。

   

善通寺の五重塔と鐘楼。この五重塔は市内の何処からでも見ることが出来る規模の大きな建物である。

写真もたくさん撮った。車に戻ろうとすると、横道に入った邦子どのがなかなか戻ってこない。どうしたのかと人だかりのする方を見たら、どうやら間もなく四元さんが現れるらしくて、それを写真に収めようと待ち構えているようだ。仕方がないので、終わるまで待つことにした。10分ほど経って、ようやく主役が現れ、周辺の人が盛んにシャッターを切っていた。TVと同じ旅装束の姿で、四元さんは皆にサービスのポーズをとっていたようである。小柄な女性だが、身体も心も鍛えられているのであろう。邦子どのが戻ってきて、一件落着となる。

   

街道てくてく旅の主役、プロ卓球選手の四元さん。八十八ヶ所めぐりの旅歩きも、最終段階に入ったようです。

善通寺の後は、第76番金倉寺(こんぞうじ)、その後は第72番曼荼羅寺へ。今日最初にこのお寺に参詣していたら、四元さんには会えなかったのかもしれない。朝、わざと道を間違えたわけでもないのに、不思議な気がした。第73番出釈迦寺(しゅっしゃかじ)、第74番甲山寺(こうやまじ)、第77番道隆寺(どうりゅうじ)、第78番郷照寺(ごうしょうじ)と廻り、第79番は天皇寺(てんのうじ)である。このお寺に行く道が通れるのか通れないのかが分らず、結局1km弱手前に車を置いて歩いての参詣となったが、行って見れば十分に車での通行が可能で、駐車場も用意されていたのだった。詳細地図帳などと書いてある案内書は、所々とんでもない不正確な書き方があり、このお寺の場合もその一つだったようである。ま、たっぷり歩かせて頂いたことに感謝をすべきなのであろう。

第80番札所は国分寺。4つ目の同じ寺号のお寺である。ここまで来ると次第に高松が近づいてきているのを実感する。国分寺の参詣を終えたあとは、五色台の近くにある二つのお寺、第81番白峰寺(しろみねじ)と第82番根香寺(ねごろじ)へ。白峰寺までは細い急坂が続いており、景色は良くても運転には厳しい状況だった。根香寺は反対に下り坂でこちらの方は、比較的楽だった。

   

五色台への急坂にある白峰寺に向う途中から見た備讃瀬戸の風景。坂出ルートの瀬戸大橋が架かっている。

さて、今日の泊まりは高松市街地を通り抜けて、屋島の先にある道の駅:源平の里むれを予定している。明日のことを考えると、高松市街の反対側にある第83番一宮寺(いちのみやじ)の参詣を済ませておくのが好都合である。暗くならない内に着かなければならないと少しあせったが、どうにかセーフだった。このような状況では、お寺の参詣も処理作業の一環となってしまいそうで、要注意である。16時半参詣を済ませて、牟礼に向う。

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08年 四国八十八ヶ所巡りの旅(第12日):その2

2009-01-17 00:02:28 | くるま旅くらしの話

牟礼町は、30数年前に我々が転勤で住んでいたときは、誇り高き町だったが、現在はとうとう高松市と合併に至ったようである。少し寂しい気もする。もし住んでいたら、合併反対派に入っていたことは間違いないと思う。その牟礼エリアに新しく道の駅が出来たのは嬉しい。行ってみると、昔住んでいたマンションから車で5分足らずの所にその道の駅は造られていた。志度湾を見下ろす丘の上に位置していて、裏側は公園となっており、昔走っていた琴電の電車が展示された一角があった。用済みになった古い型の電車にも懐かしさを覚えずにはいられなかった。直ぐ側を四国の大動脈のR11が走っており、夜間は少し車の音に煩わしさを感じたが、思ったよりは静かで過しやすかったのは、その昔の住まい近くにいるという気持ちがあったからなのかもしれない。

◇「遠離一切顚倒夢想。究竟涅槃」

「(一切の)顚倒夢想を遠離して、涅槃を究竟す」  この一節について想いを巡らしてみたい。

顚倒夢想(てんどうむそう)というのは、色のもたらす様々な邪念とでもいうものだろうか。我々の日常は邪念に満ち溢れていると思う。澄み切った心で生きてゆけるはずもなく、仮にそのようなことが可能だとしても、それは一瞬のことに過ぎないように思う。

しかし、般若波羅蜜多(=深遠なる知恵の完成)を為した者は、どのような邪念に煩わされることなく、最終的に涅槃を得ることが出来るというのがこの一節の述べるところだと思う。ここに書かれている「涅槃」とは何を言うのだろうか。八十八ヶ所巡りに於いても、阿波の霊山寺から始まって、阿波の23寺は発心の道場、土佐の17寺は修業の道場、伊予の26寺は菩提の道場、そして讃岐の23寺は涅槃の道場といわれているように、最終的には「涅槃」を目指す修業いという捉え方がなされている。その涅槃というのは一体何を意味するのであろうか。本の訳によれば、「永遠の平安」とあった。

永遠の平安というのはどのようなものなのだろうか。通常涅槃といえば、永遠の眠りに就くことを意味すると思う。すなわちあの世に逝くことであり、死ということである。しかし、単純に般若波羅蜜多が目指した結果が死であるということでは、何だか拍子抜けしてしまう。ただ死ぬだけなら、修業など不要ではないか。だから、この涅槃というのは、死と言うものではないのではないかと思う。

そこで私が思うのは、涅槃というのは、一切の邪念に惑わされない活き活きとした永遠の心の平安なのだと思う。お釈迦様の涅槃像というのがあるが、あれはお釈迦様がお亡くなりになって、その死んだ姿を形取って作ったものではない。あれは永遠の平安の世界の中に活き活きと生きるお釈迦様の姿を現したものに違いない。

人間というのは、常時生死を背中合わせに持ちながら時間を過ごしている存在なのだと思う。般若波羅蜜多はこれを乗り越える方法なのであり、それを獲得したものが涅槃の世界に生きる資格を持つのではないか。そして、もしかしたら、人間は誰でも涅槃の世界に辿り着くことが出来るのではないかとも思うのである。邪念の渦巻く世界で生きていることが修業そのものであり、それが済んだ時に永遠の活き活きとした平安が訪れるのではないか。

時々亡き父母のことを思い起こすことがあるが、私の中では、父も母も決して死んではいない。もはや人間としての形は失ってしまったけれど、私の両親は永遠の平安を得て、私の心の中に活き活きと生きている。

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08年 四国八十八ヶ所巡りの旅 (第11日)

2009-01-16 00:10:08 | くるま旅くらしの話

第11日 <10月12日()    

道の駅:マイントピア別子→第65番:三角寺→(雲辺寺ロープウエイ)→第66番:雲辺寺→第67番:大興寺→第68番:恵神院→ 第69番:観音寺→第70番:本山寺→道の駅:ふれあいパークみの(香川県三豊市)→第71番:弥谷寺→道の駅:たからだの里さいた(香川県三豊市) (泊)     <136km

昨日はゆっくりできて良かったのだが、何だか休み過ぎてしまったような感じもする。貧乏性のなせる発想なのであろうか。今日は伊予の国最後の三角寺を参詣したあとは、讃岐の国の涅槃の道場に入ることになる。讃岐の23寺を廻れば、後はお大師様の拠点の高野山の参詣を残すだけとなる。

いい天気である。8時過ぎ道の駅を出発。1時間ほど走って第65番札所の三角寺(さんかくじ)に到着。このお寺への道も結構厳しかった。駐車場から急な石段を登って山門を潜ると、貫禄のある建物が並んでいた。中に三角の池があり、何やらその昔お大師様が三角の護摩壇にて秘法を誦した時の名残りであると、お寺の略縁起書きに記されていた。大声で心経を唱え、写真を撮って参詣を終える。

次は讃岐の最初の札所の第66番雲辺寺(うんぺんじ)である。いきなりの難所なのだが、ここには徳島の大龍寺(第21番)と同じようにロープウエイがあり、これを利用すれば苦労することはない。歩いてならば、1日がかりの行程となるに違いない。ロープウエイを使う時は、邦子どのに一人で行って貰うことにしている。拓の方は15年前にロープウエイに乗っているので、初めての人に乗車権を譲ることにしている。

ロープウエイ乗り場の下の駐車場に着いて、邦子どのが戻ってくるまでの1時間ほどの間は、車の中でいつものように写真や記録の整理をする。とにかくお寺の数が多いので、写真などの整理は億劫がらずにこまめにやっておかないと、後で何が何だか判らなくなってしまう恐れがある。一通り終わった後は、昼食の準備をする。それも済んで、周辺を散策しているうちに、やがてロープウエイの人が戻ってきた。うどんなどを食して、昼食休憩とする。

   

雲辺寺ロープウエイ。わが国最大級の長さであるとか。歩いてゆく人も居られるようだが、恐らく一日がかりとなるのであろう。

その後は、第67番大興寺(たいこうじ)、第68番神恵院(じんねいん)、第69番観音寺(かんおんじ)、第70番本山寺(もとやまじ)と参詣する。本山寺は本堂と五重塔が国宝という古刹である。多くのお寺が戦火や災害で焼失して再建された中で、このお寺はそれらの厄災を免れて今日に至っている。心を籠めて写真を撮る。

   

本山寺五重塔(国宝)。戦国時代からの戦火を逃れて今日に至っているその姿には打たれるものがある。

次の第71番弥谷寺(いやだにじ)は、今日の泊まりを予定している道の駅:ふれあいみのバークの側にある。先ずは参詣にということだが、このお寺は数百段の石段があり、邦子どのは最初から行くのを諦めており、拓が一人で行くことにする。以前来た時も厳しかったが、今回もその厳しさは変らなかった。息を切らしながら谷あいの石段を登って、参詣を済ます。下りの方も膝に衝撃が加わらないよう慎重に足を進めた。車に戻って、これで今日の予定は終了。

道の駅の方に行って見たが、何だか混んでいて落ち着きがない。今日は日曜日ということもあって、ここは小さなテーマパーク風の施設になっているので、人出が多いのであろう。温泉もあるので、行ってみたら、何と料金が一人1,515円だという。入館料込みということらしいけど、風呂に入るだけの料金としては、呆れ返る価格である。平気で応える社員の人が可哀相な感じがした。とにかくこのような所に用はないので、どこか他に行くことにした。道の駅の案内資料では、比較的近くの財田町(今は三豊市)に道の駅があるので、そこへ行くことにして出発。30分ほどで道の駅:たからだの里さいたに到着。少し暗くなりだしていた。ここにも温泉があり、行ってみると料金は500円だった。これが普通の良識ある料金というものであろう。先ずは温泉に入って汗を流すことにする。温泉は露天風呂もあり、丁度半天に満月に近い月が輝いており、実にいい風情の入浴だった。大満足の温泉である。

車に戻って、静かな一夜を過す。

◇「以無所得故。菩提薩埵。依般若波羅蜜多故。心無罣礙。無罣礙故。無有恐怖。」

「得る所なきを以ての故に、菩提薩埵は、般若波羅蜜多に依るが故に、心に罣礙なし。罣礙なきが故に、恐怖有ることなく」

これは前節からの続きを述べているのだが、その内容としては、様々な喜怒哀楽や苦悩を空という存在で確認できたという、深遠な知恵の完成を得た求道者は、もはや心を翳(かげ)らせるものなどなく、恐れなどというものもないのだ、という絶対的な自信というか、断言的な表現で深遠な知恵の完成した後の状況を述べている。

私のような俗物の世界では、苦悩を乗り越えた時の喜びというか、絶対的な自信を獲得した時の状況に似ているように思う。どうにもならなかった壁を一つ超えた時の心の有様のようにも思えるのである。破れかぶれになって、開き直っている内に、瞬間的にそこに何ものをも恐れない自分を見出した時に、このような迷いも怖いものもない心境に至るのではないか。その意味において、般若波羅蜜多を行ずるというのは、例えば逆境の中で呻吟苦悩する姿に似ているように思う。

そう思うと、人間というのは、順境に居ては般若波羅蜜多を得ることは出来ないのではないか。逆境にあってこそ、困難にぶち当たってこそ深遠なる知恵を完成させるに近づくことが出来るように思えてならない。

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08年 四国八十八ヶ所巡りの旅 (第10日)

2009-01-15 00:38:14 | くるま旅くらしの話

第10日 <10月11日()    

道の駅:小松オアシス→第60番:横峰寺→新居浜市郊外・コインランドリー→道の駅:マイントピア別子(愛媛県新居浜市)(泊)  <54km

昨夜降った雨が未だ降り残っている感じだったが、どうやら今日は天気は少しは回復するらしい。そんな感じのする朝だった。広い駐車場には自分たちの他にも数台の泊まりの車があったようで、キャンピングカーも2台ほど見受けられた。

さて、今日は愛媛県最大の難所の第60番横峰寺に詣でる予定である。相当の山奥にあるので、車での難行は必至である。以前はどうだったか良く覚えていないのだが、確か山岳パトロールのジープか何かに乗せてもらって行ったように記憶している。前回は自転車を途中に置いての参詣だったけど、今回はそうは行かない。もしこの車で無理な場合は、専用の乗り合いバスか何かを利用するしかない。とにかく行けるところまで行ってみることにして出発する。

拠点となる上野原という所に行ってみると、案内図では大駐車場があるように書いてあったが、実際はほんの少し道路が膨らんだ程度の広場で、どうもこの案内図は作者の主観的なイメージで書かれているようで信用できないなと思った。傍にマイクロバスの発着所があり、一般の人はここから専用のマイクロバスに乗って参詣するようである。事務所の人にこの車で大丈夫かと訊いて見たら、マイクロバスが行くのだから大丈夫だという。途中に料金所があり、1,800円を払わなければならない。とにかく行くしかない。

それから先の山道は、景色の良い所も多かったけど、離合の難しい場所も多くて、スリルというか、肝を冷やしての運転の連続だった。道路は森林組合が管理しているようで、元々は林道のようである。どうにか舗装もされており、この料金はやむを得ないなと思った。最終駐車場に車を停めてから15分ほど歩いた所にお寺があった。深山幽谷の感じのする場所である。未だ9時前でお寺の周辺は薄く霧が覆っていた。般若心経を誦して参詣を終える。何はともあれ、無事に参詣できて良かった。

   

横峰寺の景観。正面が本堂で左手に大師堂がある。深山の中に伽藍が点在している。

帰り道は、思ったほど離合に困ることも無く、1ヶ所だけ数mのバックを余儀なくされた所があったけど、どうにかクリアして山を降りることが出来た。この後は、愛媛県最後のお寺の三角寺である。そこへ行く前に、溜まった洗濯物を洗うことにして、西条市外に行けばコインランドリーがあるだろうと向う。ところがR11沿いにはコインランドリーはあまり無いらしく、なかなか見つからない。とうとう西条では見つからず、新居浜市の中心街に入る手前で、ようやく1軒見つける。ヤレヤレである。

車を駐車場に入れ、ここから先は邦子どのの世界。洗濯物を運んだ後は、車の中でデジカメ写真のパソコンへの取り入れや旅の記録などを整理する。それも終わって、特に何もすることが無いので、街中の散策に出向く。新居浜市の外れの方なので、特に目立ったものは何も無く、40分ほど付近をうろついて車に戻る。財布を忘れていってしまい、買い物も出来なかった。2時間ほどかかって洗濯終了。

さて、どうするか。難所の参詣をこなしたので、何だかホッとしてしまい、もう今日はお寺巡りを止めて休養日としようか、とそのような気持ちとなってしまった。とにかくもう昼時なので、何かないかと近くにあったスーパーに入ったのだが、そこで生きたワタリガニが売られているのを発見。興奮する。守谷では絶対ないことだからである。これはお大師様が用意されていた休養日に間違いないと二人で確認しあって、ワタリガニ2匹をゲット。ビールも買って、近くにある道の駅:マイントピア別子に向う。今日はここに泊まってゆっくりすることに決める。

この道の駅に来たのは初めてだった。別子といえば、銅山のあった所で、住友グループの本拠地ともいえる場所であった。道の駅はその銅山の採鉱本部のあった場所に造られていた。四方を山に囲まれ、温泉もあって、ゆっくり休むには絶好の場所だなと思った。早速カニを蒸かす。これは邦子どのの役割。カニの蒸かし方は、母親譲りで、これは安心してよい。彼女の母は、千葉の海で獲れるワタリガニをお八つにして育ったような人なのだ。その人の指導よろしき()を得ているらしいので、口を挟む必要はないのである。

   

豪華なカニ料理。といってもただ茹でただけ。写真を取る前に食べ急いで甲羅を外してしまった。

豪勢な、といっても豪勢なのはカニだけなのだけど、ビアパーティの後は、一眠りすることにして寝床の中に。飲んだら寝るというのが、最近の暮らしの基本パターンになってしまっている。邦子どのは温泉のある建物の方に出かけて行ったようである。2時間ほど眠って、近くが騒がしい感じなので目が醒めたのだが、何だろうと思っていると、車のドアを開けて邦子どのが誰かを連れて来たようだ。どうやら車の中を見せて欲しいという人を連れてきたらしい。起き出すのも面倒なので、寝床に潜ったまま、どうぞ、というと、恐縮そうに中年前の世代と思しき男性が顔を出した。寝床の中からでは失礼なのはわかっているけど、車のバンクベッドを使っている様子も参考になるだろうと、ありのままを見て貰うことにした。旅車に関心のある方らしく、なかなか内部を見る機会がないので、参考になったようだった。後で聞いたら、針金細工をされている人で、面白い作品があったので、何点か買いながら旅の話をしている内に、車の中を見てもらうことになったらしい。我々にとっては、良くあることで、見たい方にはそのまま見て頂くことにしている。

一騒動が終わって、本来ならば温泉に行くところなのだが、ここの温泉は一人800円とかなり高額である。今日は豪勢なビアパーティを行なった後なので、緊縮財政に努めることにして、温泉は止めにする。TVは映らないのが解っているので、最初から設定もしていない。何となく時間を過ごして、夜になって再び寝床の中へ。

◇「舎利子。是諸法空相。不生不滅。不垢不淨。不増不減。是故空中。無色。無受相行識。無眼耳鼻舌身意。無色声香味触法。無眼界。乃至無意識界。無無明。亦無無明尽。乃至無老死。亦無老死尽。無苦集滅道。無智亦無得。」

「舎利子よ、この諸法は空相にして、生ぜず、滅せず、垢(あか)つかず、淨(きよ)からず、増さず、減らず、この故に、空の中には、色もなく、受も想も行も識もなく、眼も耳も鼻も舌も身も意もなく、色も声も香も味も触も法もなし。眼界もなく、乃至(ないし)意識界もなし。無明もなく、亦(ま)た無明の尽くることもなし。乃至老も死もなく、亦た老と死の尽くることもなし。苦も集も滅も道もなく、智もなく、亦た得もなし。」

これらは「受想行識亦復如是」に続く何節かである。舎利子というのは、お釈迦様の高弟の一人だという。この舎利子に向って観自在菩薩が話している中身は、「色即是空、空即是識、受想行識亦復如是」の具体的な事例をいくつか述べているのだと思う。色の様々な現象は、それを生み出している根源が空なのだという説明である。

事例として、我々が生きている間に係わる、様々な喜怒哀楽現象を取り上げているのだが、結論的に言えば、それらを生起させているのは本質である空なのだということであろう。この事例のほかにどのようなものを取り上げたとしても、同じような表現となるに違いない。否定的、逆説的な言い回しとなっているけど、それは、単に空を強調するためだけではなく、色のもたらす様々な不安や悩みを弱める表現であるようにも思う。

この事例を読んでいると、何故か心に安らぎを覚えるのである。どんな悩みや悲しみや嬉しいことであっても、それを一喜一憂してやり過ごせば良いのだというメッセージにも聞こえるのである。人間の、自分の本質が空という実在の中にあるといことに深く気づいた時、人は安楽の世界に入って行けるのではないか。そのように思えてならない。全くの自由自在の世界がそこにはあるように思えるのである。

しかし、これは一種の観念であって、現実の自分には、とてもとてもそのような空の認識があるわけではない。それで良いのではないかと思っている。この世からおさらばさせられる寸前に、空の意味をしっかりと摑(つか)まえることが出来るように、これからの人生を油断なく歩んでゆきたいと思っている。

 

※ 昨日は再び旅の虫が疼いて、これを鎮めるために近場の温泉に行ってきました。埼玉県の秩父地方に近い小川町という所にある「花和楽(かわら)の湯」というのと、それから茨城県の南西部に近い、これも埼玉県の鷲宮(わしのみや)町にある「百観音温泉」という所でした。いずれも本物の温泉で、意外と身近な所に湯が湧き出でているものだなと思いました。温泉行の話は、いずれ機会を作って紹介などさせて頂こうと思っています。

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08年 四国八十八ヶ所巡りの旅(第9日)

2009-01-13 00:48:13 | くるま旅くらしの話

第9日 <10月10日()    

道の駅:風早の郷風和里→第51番:石手寺→第50番:繁多寺→第52番:太山寺→第53番:円明寺→道の駅:風早の郷風和里→第54番:延命寺→第55番:南光坊→第56番:泰山寺→第57番:栄福寺→第58番:仙遊寺→第59番:国分寺→第61番:香園寺→第62番:宝寿寺→第63番:吉祥寺→第64番:前神寺→道の駅:小松オアシス(愛媛県西条市)(泊) <148km

松山市内の交通事情は良く判らないけど、9時前後では渋滞も予想されるので、少し早めに行くことにして、7時前に出発。先に第51番札所の石手寺(いしでじ)に参詣する。道後温泉に近いお寺である。何度も来ているのだが、今日は境内に居たおばさんに教えて頂いて、お寺の直ぐ上の丘に建つお大師様の像を見ることが出来た。今まで気づかなかったのである。各寺に参詣したといっても、実際は殆ど一部しか見ていないというのが本当の姿なのかもしれない。何だか知らないけど、どんどん急ぐ雰囲気になってしまうのである。邦子どのは、平和祈願の鶴を折って奉納していた。

石手寺のあとは、第50番札所の繁多寺(はんたじ)へ。ここは少し奥まった所にあり、昨日道を間違えて参詣に至らなかったお寺でもある。今日はしっかりと見つけて参詣を済ます。このあとは、もう一度市街地を抜けて、松山港の方へ向うことになる。海側には二つのお寺があり、先ずは第52番札所の太山寺(たいさんじ)へ。ここは下の駐車場に車を置いて、少し坂道を登った所に更に石段があり、立派な仁王門がある。そこを潜るとどっしりと本堂が構えていたが、これは国宝だとか。仁王門は重文だという。このお寺も境内は巨木に囲まれて、実に清新な気分になれる癒しの場所だった。

次は坂を下って車に戻り、平地を走って直ぐに第53番札所円妙寺(えんみょうじ)に到着。こちらのお寺は街の中にあり、全体的に小じんまりとした感じだった。これで松山市内のお寺は全て参詣が終わったことになる。このあとは、今治エリアに向うことになる。その前に、もう一度道の駅:風早の郷に寄って、トイレ休憩とする。もう11時になっていた。

30分ほど走って第54番札所の延命寺(えんめいじ)に到着。以降は第55番南光坊(なんこうぼう)、第56番泰山寺(たいさんじ)、第57番栄福寺(えいふくじ)、第58番仙遊寺(せんゆうじ)と小刻みに参詣する。この中で仙遊寺は、かなりの坂道を登った山の中に在って、駐車場に辿り着くまでは大丈夫か?の不安が付きまとった。お寺は立派だった。次は、山を降りて第59番札所の伊予国分寺へ。これが三つ目の国分寺である。このお寺には山門が無く、歴史や由緒は古いのだろうが、見た目には、少し寂しさを禁じえなかった。ここで少し遅い昼食を済ます。早や14時となっていた。お寺を廻り出すと、昼食のタイミングが合わなくて、早くなったり遅くなったりで、どうも具合が悪い。

国分寺の後は、明日に難所の第60番札所横峰寺(よこみねじ)に行くことにして、その前に付近のお寺を全部廻ってしまうことにする。今夜の泊まりは、明日に備えて高速道にある小松ハイウエイオアシスにすることに決める。ここには温泉も併設されていると聞く。というわけで、以降は第61番香園寺(こうおんじ)、第62番宝寿寺(ほうじゅじ)、第63番吉祥寺(きっしょうじ)、第64番前神寺(まえがみじ)と引き続いての参詣を終える。この中で、香園寺は、コンクリート造りの建物で、今までのお寺とは少し雰囲気の違ったものだった。1階が本堂、2階に大師堂があり、同じ建物の階別というのは、何だか変な感じがした。近代化するとこのようになってしまうものなのかと、疑問を禁じえない。お大師様ならどう思われるのであろうか。

   

香園寺の本堂。鉄筋コンクリート造りで、既存のお寺のイメージはない。大師堂は2階の中にある。

ハイウエイオアシスへの道が、案内板を見落としたのか、なかなか見つからず、狭い道を走っていて、十字路を曲がる際に、飛び出していた電柱に後部をぶつけてしまい、邦子どののひんしゅくを買った。あせると碌なことは無い。ようやくオアシスに辿りついたのは、17時半だった。上の方にある温泉に入る。400円でなかなかいい湯だった。ここの駐車場に泊まっても大丈夫だろうと、風呂から上がって、夕食の後一杯やって寝ていたら、22時頃に起こされて、ここは閉めるので下の方へ行って欲しいと言われた。事前に聞いて置けばよかったと反省。そろりと100mばかりの坂を下って、殆ど車のいない駐車場に停める。もう一度眠りの仕切り直しとなる。

◇「受想行識亦復如是」について

「受想行識もまたかくのごとし。」  色即是空、空即是色のあとに付け足されている一節である。受というのは感覚のこと、想というのは表象のこと、行とは意思のこと、そして識とは知識を意味することばだと、訳に書かれていた。その詳しい考証をするつもりはない。いずれにしてもこの4つは、色の世界の現象項目であるということだろう。それゆえにこれらは皆空なのだということが出来るわけである。

我々は普段は受想行識の世界で生きている。様々なことを感覚によって感じ、イメージを膨らませ、己の意思を主張し、様々な知識を獲得して使い分けようとする。その相互作用が生きているという証なのだと思う。それらの大源(おおもと)が何なのかなどということは考えたことも無いけど、観自在菩薩は、それは空なのだという。空という存在が、我々を受想行識の世界に生かさせているのだという。そして空こそが我々の本体なのだという。本体が現象として現れたものが色なのだという。

これはすごい論理だなと思う。この空なるものが、人間という生き物に共通のみならず、全ての存在の根源であるという発想は、凄まじい感じがする。宇宙を構成しているものが空というものなのかもしれない。想いは、頭の中を駆け巡って、止まることをしない。

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08年 四国八十八ヶ所巡りの旅 (第8日)

2009-01-12 00:10:01 | くるま旅くらしの話

第8日 <10月9日()    

道の駅:みま→第41番:龍光寺→第42番:仏木寺→第43番:明石寺→道の駅:内子フレッシュパークからり(愛媛県内子町)→第45番:岩屋寺→第44番:大宝寺→第46番:浄瑠璃寺→第47番:八坂寺→第48番:西林寺→第49番:浄土寺→道の駅:風早の郷風和里(愛媛県松山市) (泊)  <187km

ようやく若者たちの騒ぎ声が無くなって、浅い眠りに就いてしばらく経ったと思ったら、4時過ぎごろ、今度はご老人の会話に眠りを乱される。トイレ近くにある街灯の下にあるベンチに坐った早起き()の男女二人のご老人が、当たりはばからぬ大声で何やら愚痴めいたことを話し合っていた。道の駅の交流機能というのは、このような形で実現されているのであろうか?今回の旅では、何度も安眠を妨害されて、何だか疑問を覚えざるをえない。朝から、愚痴である。悟り(?)には遠い。遠い。

さて、今日は松山市とその近郊のお寺を巡る予定である。昨日から、愛媛県に入ったが、伊予は菩提(ぼだい)の道場と呼ばれている。菩提とは、悟りの入口あたりということなのか。悟りには幾つかのレベルがあるようだ。今日も流れに沿って、廻れるだけ廻ることになるだろう。先ずは道の駅近くにある第41番札所龍光寺(りゅうこうじ)へ。稲荷神社と一緒の小さなお寺だった。次は10分足らずで第42番仏木寺(ぶつもくじ)へ。ここは茅葺の鐘楼が印象的だった。この頃は鐘を撞かないお寺が多いけど、ここもそうなのだろうか。

次は30分ほど走って、第43番明石寺(めいせきじ)へ。ここは山際の坂を登った所にある落ち着いた雰囲気のお寺だった。急な石段を登ると山門があり、その奥に本堂が控えていた。お寺というのは、やっぱり山奥に位置している方がお寺らしい雰囲気がある。古刹の趣きたっぷりのお寺だった。

次は第44番大宝寺(たいほうじ)だが、これは少し遠い。途中にある内子の道の駅:内子フレッシュパークからりで、昼食休憩とする。この道の駅は、活性化している道の駅の日本の代表的な存在だと思う。今日も大勢の人が地産品を求めて訪れていた。ようやく駐車場の空きを見つけた後、早速獲物の獲得に。魅力的な野菜や食べ物が多い中で、栗の安いのが大量に置かれており、思わず衝動買いをしてしまった。何と1kg150円なのだ。これを無視するわけには行かない。車に戻って直ぐに茹でるのを開始。今年の栗はこれが最後となるだろう。茨城県の栗は、もうとっくに終わりに近づいている。

昼食の後は、道の流れからはどうやら大宝寺よりも第45番札所の岩屋寺(いわやじ)を先にお詣りしたほうが良さそうである。ということで岩屋寺に向う。ここもかなりの難所だった。お寺の入口近くを流れる川の脇にある道に車を停め、歩いてお寺に向う。15分ほど急な細い登り道を辿って、ようやく到着。邦子どのには結構きつかったようである。急崖を削ったような小さな平らの場所にお寺はあり、真に岩屋の呼び名が相応しい。本堂の上の崖には修業様なのか洞窟のようなものが掘られていた。よくもまあ、このような場所にお寺が造られたものである。般若心経を唱え、祈りを奉げる。

   

文字通り岩屋の中にある岩屋寺の本堂。梯子の上の祠は修業道場か。

次は大宝寺。ここも駐車場から少し歩いての参詣である。山道をしばらく歩くと、巨大なわらじのぶら下がった山門があった。その奥の本堂や大師堂、鐘楼などは苔むして貫禄のある立派なものだった。多くの巨樹に取り巻かれて閑静な中の境内にいると、疲れや心の憂さが洗い流される感じがする。この雰囲気が素晴らしい。

次の第46番札所浄瑠璃寺(じょうるりじ)までは、約1時間ほどかかった。ここからは松山市となる。しかし未だ市の中心部からはかなり遠い。駐車場が無く、道路脇の狭い小さなスペースに停めなければならず、駐車に苦労する。大急ぎで参詣を済ます。次の第47番八坂寺(やさかじ)は車で3分ほどの直ぐ傍にある。縦長の山門が印象的だった。そこから5分ほど走って第48番札所の西林寺(さいりんじ)へ。もう16時半近くなっており、急ぎ参詣を済ます。次第に市の中心街に近づく。第49番の浄土寺(じょうどじ)の参詣を終えたところで、ついに今日の打ち止め()となる。本当はあと二つ、51番まで廻ると明日以降の行程に好都合なのだが、致し方ない。というのも、松山近郊の道の駅といえばかなり遠くて、一番近いのが北条市(今は松山市)にあるものなのだ。今夜はそこに泊まって、明日もう一度松山市の中心部まで戻って来なければならない。往復すれば60km以上の走りとなる。今日、栗なんぞを茹でたのがそもそもの時間ロスの原因だった。

暗くなった市街地を走り、更に郊外をしばらく走ってようやく道の駅:風早の郷風和里に到着。海に近く、風があったら嫌だなと思っての到来だったが、どうやら今夜は風の方は大丈夫のようである。しかし、R196の直ぐ側にあるので、夜通し交通量が多くトラックなどの騒音に悩まされるのは必至である。文句を言っても仕方が無いので、とにかく早めに休むことにする。

◇「色不異空。空不異色。色即是空。」とは何か。

「色は空に異ならず、空は色に異ならず。色は即(すなわ)ち是れ空、空はすなわちこれ色なり。」 この一節は般若心経の核となる考えを述べている、有名な箇所である。

簡単に言えば、色というのも空というのも同じだということであろう。色というのは色(いろ)ではない。色(しき)なのである。好色などと勘違いをして、色は空しいなどと理解すると、とんでもないことになる。色というのは精神作用を含めた物質的現象の全てを意味しているのである。それが空と同じだというのは、空が本質を指しているからである。

この関係は原因と結果の関係に似ている。ある出来事の原因を辿ってゆくと、その一番奥に出来事を惹き起こした真の原因が潜んでいる。その原因を的確に捉えないと、どのように良さそうな手を打っても、問題は様々な形で再び何度も生じて来るものだ。その一番奥にある原因は問題の本質といってよい。色の本質は空なのだというのが、観自在菩薩が「深般若波羅蜜多」を行じている時に照見した結論だったのである。

このことについていろいろと想いを巡らしてみると、現象というのは、本質から生まれ出るものなのだから、現象にとらわれて悩むときは、その本質に思いを馳せればよいということになるように思う。例えば運命論などというのも、己の運命はこの世に生きている間だけの現象なのであり、それはジタバタしてみてもどうにもならないものだと観念してしまう。どうにもならない絶対的なものが本質なのだと考えることによって、余計な邪念を片付けるという発想のように思える。

甲州の武田一族が滅びる時、恵林寺の快川和尚が放った偈()に「心頭を滅却すれば火も自ずから涼し」があるが、これなどはやせ我慢ではなく、人間の生というものの本質を見抜いた一喝だったのではないかと思う。色即是空、空即是色というのは、やはり絶対的な真理のような気がしてならない。

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08年 四国八十八ヶ所巡りの旅 (第7日)

2009-01-11 02:50:16 | くるま旅くらしの話

第7日 <10月8日()    

道の駅:あぐり窪川→第37番:岩本寺→道の駅:ビオスおおがた(高知県黒潮町)→第38番:金剛福寺→道の駅:めじかの里土佐清水(高知県土佐清水市)→道の駅:大月(高知県大月町)→第39番:延光寺→一本松温泉(愛媛県愛南町)→第40番:観自在寺→ 道の駅:みま(愛媛県宇和島市)(泊)  <273km

昨夜も、夜の道の駅に集う若者たちの騒音に悩まされた。道の駅は地域の交流機能を持つという狙いがあるので、あまり文句を言うことはできないけど、夜中に大声を発して談笑するというような集まりは、如何なものかと思う。前の晩に引き続いての安眠妨害には、うんざりである。お大師様には申し訳ないけど、どうしても愚痴が出てしまう。やっぱり歩かないとダメなのかなとも思ったりした。

さて、今日は歩きの人には1日かけても次のお寺まで届かないという、厳しい難所の足摺岬方面へ向うことになる。車なので、歩く辛さは全く無い。むしろドライブコースとも思われ、修業の道場という考えに逆行する邪道の道行きとなる。その分心を引き締めて行かなければならないと思った。

先ずは直ぐ近くの第37番札所の岩本寺(いわもとじ)に参詣する。8時前のお寺には誰も見当たらず静かだった。声を上げて般若心経を唱える。何だかいい気分だった。このお寺には思い出がある。15年前、自転車で回った時、参詣を終えて近くの宿に着いた時、納経帳が無いのに気づき驚いたのだった。どこで失くしたのだろうとあれこれ思い起こした結果、このお寺の公衆電話ボックスから家に電話をした時、うっかり納経帳を置き忘れたことに気づいたのだった。もしかしたら無くなっているかもしれないと、慌ててお寺さんに飛んで行ったら、無事に電話ボックスの電話帳の脇にあったので、胸を撫で下ろしたのだった。もう一度37ヶ所のお寺を回るなんてとんでもない話である。15年前も、抜けの多い自分だったが、今はそれがもっと酷くなっている感じがする。気をつけなければと自戒の気持ちを引き締めた。

   

15年前、納経帳を忘れてパニクッた問題の電話ボックスは、そのまま健在だった。

岩本寺を出た後は、足摺岬にある第38番札所の金剛福寺(こんごうふくじ)まで、80kmほどの行程である。四万十市まではR56で、四万十川の橋を渡ってからはR321で土佐清水市に向かい、土佐清水からは足摺スカイラインを登り下って岬の上にあるお寺に着くということになる。

海岸線に近い道も少し山に入った道も通る車は少なく、快適なドライブコースだった。途中大方町(合併して黒潮町)の道の駅:ビオス大方で小休止をする。ビオスとは何のことなのかさっぱり解らない。四万十川に架かる橋を渡って、土佐清水方面へ。足摺岬が近づく辺りの海岸線を、巡礼装束の人たちが何人か歩いているのが見られた。岩本寺を出てから、途中1、2泊をしながらの旅路に違いない。太平洋の潮騒を聞きながら、大地を踏みしめての歩きも意義のあることだろうなと思った。土佐清水からは、足摺スカイラインに入って、細い半島の山道を登る。15年前は有料だった道は、今は無料となっているようで、助かった。15年前は台風が近づく雨の中、7kmに及ぶ坂道を自転車を押して登ったのを思い出す。汗と雨で全身が濡れつくし、靴の中まで水が浸透して、ようやく宿を見つけて風呂に入った時は、足の裏がまるでホルマリン漬けの脳のようになって痛かった。自転車での巡礼は歩きよりも厳しいことが結構多かった。

しかし、今日は何の苦労も無く坂を登り下って、たちまち目的の金剛福寺に到着した。今日は良い天気になって、足摺岬に寄せる波も穏やかな様子だった。照葉樹林に囲まれたお寺に参詣する。本堂、大師堂の他に多宝塔や権現堂などもあるスケールの大きなお寺だった。陽が照って来て暑いのは、さすがに南国であるからなのであろう。

   

金剛福寺の庭園。足摺岬の突端にこのような閑静な空間があるのが不思議な感じがする。

参詣の後は、昼食は土佐清水郊外にある道の駅:めじかの里土佐清水という所で摂ろうと向う。以前来た時にこの道の駅で大型のカツオの半身を捌いて貰い、それが大変へん美味かったのを覚えており、あわよくばもう一度と行ったのだったが、道の駅の売店は、これ以上は寂れないと思われるほど廃(すた)れた状態となっており、全くの期待外れだった。日本で一番元気の無い道の駅ではないかと思った。

軽い昼食の後、次の第39番札所延光寺(えんこうじ)に向う。途中にある大月町のコスモス畑に寄って見ようと、その情報を得るべく道の駅:大月に寄って一応話を聞いたのだが、コスモス祭りは10日ほど後だという。この町のコスモス畑は2千万本というわが国最大の規模であり、3年前に訪れた時にはその広さに度肝を抜かれたのだった。少しは咲いているだろうと行ったのだが、その畑の場所が判らず、結局細い農道をウロウロしただけで、目的地に着くことが出来ず、諦めてパスすることになった。祭りになれば道案内もしっかりするのだろうが、今は何も無くて、以前の記憶などは殆どアテにならず、コスモス畑を見つけることが出来なかったという、お粗末な話である。

気を取り直して延光寺に参詣した後は、宿毛市の先の一本松町(今は愛南町)にある温泉に入ることにした。この温泉は以前にも入ったことがあり、そのときは何かの記念日で料金が200円だったのを記憶している。今回は高齢者扱いで、自分は250円で入ることが出来た。ありがたいことである。3日ぶりの入浴で、溜まっていた旅の疲れを洗い流した。

今日の宿は御荘町(今は愛南町)の道の駅にしようと思って行ったのだが、未だ陽はあるし、それにこの道の駅は泊まりには向いていないと判断し、近くにある第40番札所の観自在寺(かんじざいじ)に参詣した後、宇和島市郊外の三間町(今は合併して宇和島市)にある道の駅:みまに向うことにする。この道の駅には未だ行ったことがない。

宇和島市街を通る頃はすっかり日が暮れて、ヘッドライトを点灯する状況となった。宇和島市は城下町であり、三間に向かう道に出るまでは、曲がりが多くて、結構時間がかかった。18時少し過ぎ到着。広い駐車場があり、なかなか立派な道の駅だった。もう売店などは終っていて、ひっそりとしていた。静かな夜を過せるだろうと思いながら、夕食の準備に取り掛かる。一杯やって早めの就寝はいつもの通りだったが、その後がいけなかった。若者が集まってきて夜遅くまで談笑などの騒音を撒き散らしてくれて、またまた安眠妨害の一夜を迎えることとなった。

◇「度一切苦厄」

「一切の苦厄を度したまえり」というのも不思議な話である。「五蘊(ごうん)皆空なりと照見して」の結果、全ての苦しみや厄介ごとを処置し解決することが出来た、というのがその意味だと思うが、どうしてそうなるのだろうか。これは私には到底解らないことだと思っている。しかし思うには、人間とは何か、自分とは何か、自分は何故ここにいるのか、等々の人生のテーマを厳しく悩み対処してきた人には、その解答の光明が見えたとき、一瞬にして全ての悩みや迷いから解放されることがあるのではないか。簡単に言えば「悟り」と呼ばれている精神現象がそうではないか。苦悩の本体が何かに気づいた時、そしてその気づきが自分の力になった時、人はとてつもないエネルギーを発揮できるのではないか。

ほんの少しの疑似体験だったけど、私自身もかつてそのような体験をしたことがある。悩んで、悩んで、悩み疲れて、ふっと我に帰った時、ハッと気づいたことがある。所詮は、自分は自分であって、自分が出来ることはこれしかない。それ以上のことに対してジタバタしてもどうしようもない、ということに心底気づいた時、人は強くなれるものである。それは小さな悟りではなかったかと思うのだ。

悟りにはレベルがあって、一つの悟りが全てではないと思っている。人間は一つの悟りで人生の全てを乗り越えられるような存在ではない。常に呻吟(しんぎん)しながら、小さな悟りを積み上げなければならない存在なのだと思う。人は呻吟することによって、成長を期すことができるのだと思う。悩み、苦しまない者には大した成長はない。本当の幸せというのは、呻吟の結果手に入れることができるものではないか。何もしないで、楽をすることは決して幸せではない。

少しずれてしまったが、観自在菩薩の悟りというか、気づきは我々のような小さなものではなく、とてつもなく大きなものだったに違いない。この世の存在の本質を「空」と見抜いたとき、その本質がもたらす様々な現象に誑(たぶら)かされることは一切なくなったということなのであろう。凄いことである。

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08年 四国八十八ヶ所巡りの旅 (第6日)

2009-01-10 02:15:56 | くるま旅くらしの話

第6日 <10月7日()    

道の駅:やす→第28番:大日寺→第29番:国分寺→第30番:善楽寺→第31番:竹林寺→第32番:禅師峰寺→第33番:雪蹊寺→ 第34番:種間寺→第35番:清滝寺→第36番:青龍寺→道の駅:あぐり窪川(高知県四万十町)(泊) <161km

いヤア、昨夜はとんだ騒音に悩まされて熟睡が出来ず、朝起きると少し頭が重い感じがした。真夜中に大勢の人が家族連れなどで、裏の公園に散歩に来るのである。大声での話し声が断続的に続いて、安眠妨害甚だしき状態だった。平日だというのに、今頃の家族というのは、夜間でないとその絆を深めることができないのかと思った。子供たちが喜んではしゃぐ声が混ざって聞こえてくるのである。真夜中は寝るものと相場が決まっていると思っている我々は、現代の感覚では、もはや化石的発想しか持たないと言われてしまうのかも知れないなと思った。車の中で人が寝ているなどということは、一夜の散歩を楽しむ家族連れや若者たちには、全く無関係の存在なのだろう。エチケットなどというものは、何処かへ消え果ててしまった国の現象を目の当たりにした感がした。

さて、今日は高知市近郊のお寺を回る予定である。明日は恐らく足摺岬の方まで行けると思うので、高知市近くのお寺は今日中に回っておきたいと思っている。先ずは、第28番札所の大日寺(だいにちじ)へ。大日寺は、徳島にも同じ名前のお寺があった。勿論山号が違うので、全く同じ名前ではない。お寺には山号と寺号とがあるので、そのようなことになる。国分寺などは各県に一つずつあり、同じ名前は決して珍しいものではない。第29番札所がその国分寺だった。更に第30番善楽寺(ぜんらくじ)を回る。ここまでは比較的近い場所で、山寄りに位置していた。善楽寺には山門がなく、それは隣接する土佐神社の方へ移築されてしまっていた。明治初めの神仏分離策(=廃仏棄却)によるものだという。この施策の犠牲になったお寺は多いが、八十八ヶ所の中にもそれがあったのかと改めて往時の愚策を思い出した。地元の民の長年馴染んできたお寺や神社を、政治のご都合で強制的に変更させるなどとは、後世には恥となる言語道断の愚策である。その結果は現在がそれを証明している。

第31番札所竹林寺(ちくりんじ)は入口が判り難くて、少し道に迷い手間取った。ここもかなりの坂道を登ったのだが、比較的道幅は広くて助かった。第32番禅師峰寺(ぜんじぶじ)は細道の連続で不安を抱えての運転だった。ここまで来ると、お寺さんの特徴をじっくり観察するという心の余裕よりも、運転は大丈夫かという不安の方がずっと気にかかってきている。

   

禅寺峰寺境内からの高知市街海側の景観。右手の半島の下が桂浜。一息つく。

次の第33番雪蹊渓寺(せっけいじ)に行く途中に桂浜があるので、ちょっと寄ってそこで昼食にしようかなと行ったのだが、駐車場が有料で400円も取られるので、つまらんと思い寄るのを止めてお寺に向う。お寺の駐車場でうどんを作って食べた後、参詣に。その次は15分ほど走って第34番種間寺(たねまじ)へ。田んぼの中にある大きなお寺だったが、山門がないのはどうしてなのだろうと思った。

次の第35番清滝寺(きよたきじ)は、とんでもない細道を行くことになり、緊張で幾分命を縮めた感がするほどだった。2kmほどなので、何とかなるだろうと行ったのだが、細い道は益々細くなってうねりながら続いている。離合などとても不可能で、もし停まったら、身動きが出来なくなるという心配ものの道だった。おまけに凸凹も酷くて、うっかりすると車の底を打ちつけるのではないかという心配付の道である。往路はどうにか離合なしでお寺さんの境内にある駐車場に辿り着くことができた。団体さんからよくもまあこんな車でやってきたものだと、呆れ返られるほどだった。急ぎ参詣を済ませて復路となったが、今度はついに途中で3、4台の絡む離合が求められる状況となった。幸いぎりぎりの状態で何とかなったが、薄氷を踏む思いだった。車で参詣する人の多くが、もみじマークの世代で、運転が巧みとは言いかねる人が多いのである。いやはやその後は車の底を打ちつけたりして、もう二度とこの車でこのような所へ来てはならないと心に誓ったのだった。今日までのお寺の中で、最大の運転難所だった。

   

参道の細道の厳しさとは無関係な、静かな佇まいの清滝寺の本堂。

今日の最後は、第36番札所の青龍寺(しょうりゅうじ)となった。予定通りの参詣をこなして、今夜は以前にも泊まったことのある、窪川町(現在は四万十町)の道の駅:あぐり窪川に向う。天気が次第に悪くなって雨降りとなり、未だ17時にはかなり時間があるのに、真っ暗になって早や夜の雰囲気である。寝るのには未だ早過ぎるのは分っているのだけど、温泉も風呂も無いし、疲れも酷かったので、とにかく食事を済ませて、早めに寝ることにする。

◇「照見五蘊皆空」とは何か

さて、深般若波羅蜜多を行じた観自在菩薩が照見したのは、五蘊は皆空だったということだった。この一文にも多くの興味関心を覚える。まず、照見という気づき方にハッとさせられる。辞書を引いても照見などということばは載ってはいない。照らし見るなどと理解したら、これは気づきではなくなってしまう。観自在菩薩が灯りを照らし見ながら何かに気づいたなどという解釈は、愚に尽きる。照見というのは、迷いに迷った凡人が、ハッと光明の道に気づくという、その何百倍もの気づき方を言うのではないか。もの凄いエネルギーを使った混沌の迷いの中から、一筋の真理の光明を見出した時の気づき方が照見なのだと思う。すごいことばだなあと胸が震えるほどである。玄奘という方は天才であったことは間違いない。

五蘊というのは、この世、世界を構成する根源的な要素を指してこのように呼んでいると言う。色(物質的現象)と受想行識(精神作用)の五つの集まりを五蘊というのだそうな。これら五つを一々理屈で解釈しようとするのは難しくて疲れるけど、物質的現象と精神的現象という二つに分けた捉え方なら、それほど難しくはなさそうだ。要するに、我々は物質的現象と精神的現象の世界の中に存在しているということであろう。早い話、身体と心の世界の中で生きているというのが人間としての認識なのだということだ。極々当たり前のこととも思われる。

しかし、愕然とするのは、その次のことば、「皆空なり」という断言だ。物質的現象も精神的現象も全て空なのだという。これは何だか解らない結論である。

「空とは何か」という命題は、長いこと自分を悩ませ考えさせ続け、未だに解決には程遠いテーマなのであるけど、この頃はもしかしたらという、一つの仮説が宿っている。そのことをちょっと書いてみたい。

私は「空」というのは、何もない空っぽというものではなく、「空」と呼ぶ存在を指しているのではないかと思うのである。世の中には何もないなどということは、厳密な意味ではあり得ないと思う。「空」という存在は、例えば素粒子論の世界のようなものではないか。あらゆる物質の究極を解析、追及して行くと、現代科学では素粒子の世界に至り、そこにはクオークというものの存在が確認されているとか。つまりはこの世のありとあらゆるものは、クオークで出来ているということになる。これから先、科学の研究が進めば、更にもっと究極の何かが発見されるのかもしれない。その究極の存在を、観自在菩薩は「空」と呼んでいる様に思う。ミクロのその又何億倍ものミクロの世界から比べれば、蚊トンボ一匹の存在など極めてあやふやなものであろうし、その何億倍もの図体をした人間はこれ又何億倍もあやふやな存在なのだと思う。「空」というのは、我々の通常の感覚では全く感知できないほどの、この世(=宇宙)を形成している本質的なものを意味しているのではないか。観自在菩薩は、そのことに気づいたというのが、今のところ私の見解である。

しかし、これでは物質的現象という一面しか理解できない。もう一つの精神的作用の方はどうなのだろうか。観自在菩薩は、これもまた「空」というコンセプトの中に含めて述べておられるのではないかと思う。つまり、簡単に言えば、心も身体もその本質は「空」という存在によって作られているのだ、ということである。そして、空というのは、空っぽではなく、精神作用を含めた、あらゆる現象をもたらす本質なのである。

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08年 四国八十八ヶ所巡りの旅 (第5日)

2009-01-09 05:04:54 | くるま旅くらしの話

第5日 <10月6日()    

道の駅:もみじ川温泉→道の駅:わじき(大龍寺ロープウエイ)→ 第21番:大龍寺→第22番:平等寺→第23番:薬王寺→第24番:最御崎寺→第25番:津照寺→第26番:金剛頂寺→第27番:神峰寺→ 道の駅:やす(高知県香南市)(泊) <202km

雨は止んだけど、雲が多くて再び雨が降り出してもおかしくないような朝だった。とにかく今日は大龍寺にお詣りすることにして、朝食は昨日の道の駅:わしきで摂ることにして出発。7時半到着。早朝の道の駅には誰もいない。先ずは軽く腹ごしらえして一段落の後、邦子どの一人で行って貰うことにした。何せロープウエイの料金が高いので、二人揃っていくこともあるまいという考えである。拓の方は15年前に訪ねており、邦子どのは多分初めてのことになるのではないかと思う。8時20分発に乗って出発したが、同行者は数名にも満たない状況だった。

1時間くらいはかかるだろうからと、その間に車のチエックや給水などを行なう。広い駐車場の片隅に甘栗屋のオッサンがいて、親切に水場などを教えて頂いた。お礼に甘栗を買う。久しぶりの味だった。天気は次第に回復して、この分だと山の上の方も霧が晴れて、写真撮影も大丈夫だろうと思った。何もすることがないので、その後はしばらく持参した岩波文庫ワイド判の般若心経の解説本などを読んで時を過ごした。

9時半近くの便で邦子どのが戻ってきた。天気も良くなって、まあまあの参詣だったようである。一人であっても巡礼の旅は、いつでもお大師様と一緒の同行二人であるから、それなりにご利益があったのだと思う。むしろ長年一緒に居る、もはやジジイに成り果てた奴なんかよりも、その方が気分も楽なのかもしれない。

さて、ここから先は、昨日までと同じように、行けるところまで行く考えである。先ずは近くにある第22番札所の平等寺(びようどうじ)を訪ねる。その後30分弱走って、徳島県最後の札所の第23番薬王寺(やくおうじ)に参詣。ここは直ぐ近くに道の駅があるので、そこに車を停めての参詣となった。薬王寺は徳島では人気のあるお寺で、毎年の初詣には四国は勿論関西エリアからもたくさんの人が訪れるお寺である。我々も四国に住んでいた30数年前に、一度初詣に来たことがある。延々と続く車の渋滞行列に驚かされたのを今でもありありと覚えている。今日は空いていて、久しぶりの参詣を楽しんだ。

   

日和佐(現美波町)にある薬王寺の山門。此処は徳島県の最後の札所でもある。吉川英治の名作鳴門秘帳の舞台としても登場しているとか。それらしきムードの溢れた海に近い古刹である。

徳島エリアが終わって、次からは高知県エリアとなる。高知県は修業の道場とされており、厳しい場所への参詣となる。先ずは、第24番札所の最御崎寺(ほつみさきじ)へ。室戸の海岸の道からとんでもない急坂を登って、直ぐ上がお寺である。照葉樹林に囲まれた中にお寺があった。若かりし時の弘法大師が、ここにある洞窟に籠もって修業された時に、輝いていた明星が飛来して口の中に入って、何かを感得された地であるとか。そのようなこともあるのかと、不思議の世界を思いながらの参詣だった。

その後は、第25番津照寺(しんしょうじ)、第26番金剛頂寺(こんごうちょうじ)と参詣を済ませる。津照寺は室戸の港の側にあり、金剛頂寺は海を見下ろす小高い丘に位置していた。その後は1時間ほど海岸線を走って、第27番の神峰寺(こうのみねじ)へ。ここは自転車で回った時に大汗を掻いた難所である。海岸沿いのR55からは4kmほど山側に登った所にお寺があるのだが、道は狭く急坂が続いていて、車の離合に苦労するのは火を見るよりも明らかである。大丈夫なのかと大いなる心配があったが、何とかなるだろうと、思い切って車を進めることにした。いヤア、その後の運転はヒヤヒヤの連続で、生きた心地がしない感じだった。幸いなことに上手く離合が出来る場所で対向車に出会ったので、助かった。

   

神峯寺の山門。なかなか貫禄のある建物である。此処まで辿り着くには冷や汗の連続だった。その汗を冷まして参詣を終えた後も、やはり冷や汗をかき通しの帰路だった。

時間も遅くなって参詣を済ませた頃は16時を過ぎていた。帰りの道も心配だったけど、どうにか無事にR55まで戻ることが出来てホッとしたのだった。

今日の参詣はここまでとし、少し遠いけど高知市に近い香南市の夜須というところにある道の駅:やすを目指す。未だ一度も訪れたことのない道の駅である。どんな所かなと思いながら行ってみたのだが、なかなか良い所だった。直ぐ裏が港となっており、大きな公園が作られており、その中に道の駅が作られていた。近くをJRなのか分らないけど、電車が走っており、駅も近くて、人の出入りも結構賑やかな場所だった。静かな方が我々には助かるのだけど、それは仕方がない。一休みの後、夕食の準備をして一杯やって、あとはいつもの通りである。

◇「行深般若波羅蜜多時」とは

さて、その観自在菩薩が、「深般若波羅蜜多を行ずる時」とある。「深般若波羅蜜多」というのは、一体何を言っているのであろうか。解説によれば、「深遠な知恵の完成」ということであり、行ずるとは、それを実践するということだそうな。具体的にはどのようなことなのか解らないけど、簡単に言えば、深遠な知恵の完成を目指しての実践行動をしていた時ということになると思う。深遠な知恵の完成というのはどういうことなのであろうか。これは解らないで片付けてしまえばそれまでのことだと思うが、とてつもなく魅力的なテーマのように思う。

自分の勝手な想像によれば、深遠な知恵の完成とは、この世を作っているものが一体何なのかを解きほぐす思考・思索のことを言っているのではないかと思う。この次のことばに、「五蘊は皆空なりと照見して」とあるけど、これは深遠な知恵の完成した結果、解った結論を述べているのだと思う。この結論に至るまでのプロセスをどのように行なったのかというのが、「行」ということなのだと思うが、いわばその方法論の実際がどんなものであるかは、お経には書かれていないのでわからない。

けれども自分の考えでは、やっぱりこれは坐禅のようなものではなかったかと思う。知恵の完成、しかも深遠なる知恵の完成というからには、半端な集中力では結論を導き出すことなど到底叶わぬことだと思う。おそらく、息をつめた集中力を発揮できる取り組みが不可欠だったに違いない。とすれば坐禅のような緩急自在の坐りのスタイルが、知恵の完成には不可欠だった様に思うのである。行というのは、坐禅のようなものであろうというのが自分の考えである。人間が集中できる姿というのは他にも幾つか考えられると思うけど、やっぱり坐禅が一番相応しい。

つまり、観自在菩薩は、深般若波羅蜜多を目指して座禅のようなものを行なったのである。しかし、何故そのようなことを行なったのかということはわからない。ここでは、ただ行なったということに注目し、その結果どうだったかということに関心を集中すればよいのだと思う。

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08年 四国八十八ヶ所巡りの旅 (第4日)

2009-01-08 00:07:53 | くるま旅くらしの話

第4日 <10月5日()    

道の駅:阿南市那賀川→第20番:鶴林寺→道の駅:わじき→道の駅:もみじ川温泉(徳島県那賀町) (泊)  <56km

空模様が怪しい。昨夜半からかなりの雨降りとなり、降り過ぎたのか、明け方には止んだようだが、どうやら今日一日天気はあまり良くないようだ。今日は難所の一つ第20番札所の鶴林寺(かくりんじ)を控えている。雨の中の参詣は厳しい。晴れなくてもいいから降らないで欲しいと願った。

お寺に向う前に、道の駅の地産物売り場で、お世話になっている知人に、阿波の名産物の鳴門金時芋を、少しだけど送ることにした。8時過ぎには売り場に地産品が並び、その中に金時芋を見つけたのだった。この道の駅の売り場もなかなかの活況を呈していた。

9時過ぎ鶴林寺に向けて出発。再び雨が降り出している。那賀川に沿った県道を辿りながら山の中へと入って、お寺さんへの細い道を登る頃、にはもの凄い豪雨となった。というよりもこの辺りは初めからこのような雨降り状態が続いていたのかも知れない。まるで夜明け前のような暗さの中を、車のひしめく駐車場に到着。中型の観光バスなども入って来ていて、空きを探すのに手間取った。とにかくもの凄い雨である。

篠突く雨と霧の中を少し歩いて、山門から石段を少し登ると、ぼんやりと本堂が見えてきた。

   

雨の鶴林寺山門。まるで夜間近かのような暗さだが、午前10時前の時刻である。

古びた貫禄のある建物である。境内に鶴の造形物が多いのは、このお寺が鶴と関係が深いことを物語っているのであろう。山門の中の阿吽像も、仁王ではなく鶴の彫刻だった。これは珍しい。何故鶴なのかはよく分らないけど、ガイド書には大師がこのお寺を訪れた時、修行中に霊雲のたなびく中を雌雄二羽の白鶴が、黄金の地蔵菩薩を互いに守護しながら老杉に舞い降りるのを見たということから由来しているらしい。何ともはや不思議な話である。

   

鶴林寺本堂。篠つく雨の中を観光バスがやって来て、山奥のお寺とも思えぬ善男善女の賑わいぶりだった。

観光バスなどでやって来た人が境内に溢れていて、幾つかの集団が鈴などを鳴らしながら読経をするので、我々の方は心経を唱える場所がなかなか見つからなくて、戸惑った次第である。観光バスやマイカーを批難する資格は我々には毛頭ないけど、歩きで雨の中を苦労しながら登ってきた人には些か迷惑なのではないかと思った。暗くて写真の方は上手く撮れたのかどうか心配だった。40分ほど境内の中を散策した後、山を降りることにした。

次は第22番札所の大龍寺(たいりゅうじ)である。比較的広い道幅の道を下りながら、やれやれと思っていると、たちまち細い崖っぷちの道となったりして、相変わらずの不安を抱えた運転が続いた。30分ほど走って、大龍寺ロープウエイの乗り場のある道の駅:わしきに到着。雨は依然降り続いている。さてどうするか。大龍寺は、ロープウエイを利用して往復しなければならない。この分では、上の方は鶴林寺と同じように雨と霧とで薄暗い状況なのではないかと思われる。

   

霧の中を往復する太龍寺ロープウエイ。この山の頂上近くに太龍寺があるが、今日は霧の中である。

しばし迷った後、今日の参詣はこれまでとして、比較的近くにあるもみじ川温泉という道の駅に行くことにし、今日は休養日とすることにした。何しろ霊山寺以来、息も切らせぬほどの矢継ぎ早のお寺巡りで、邦子どのはかなりストレスが溜まり出している様である。1県4日のペースくらいかなと考えていたけど、現在の所は、1日早いペースとなっている。やたらに急いで体調を崩したのでは元も子もない。温泉に浸ってゆっくりすることにする。

50分ほど那賀川の川沿いのR195を走って道の駅に到着。少ない駐車場だったが、雨の中を寄る人も少なく、車を停めるのに苦労はなかった。丁度昼飯時なので、今朝買ってきた金時芋を茹でて食べることにした。サツマイモを食べるのは久しぶりである。その所為かとりわけて美味かった。その後、温泉へ。小さな温泉施設だったが、湯船から直ぐ下を流れる那賀川を眺め下ろすことができる、面白い風情の温泉だった。お湯も良い。残念だったのは、どこか知らぬが高校生の一団の数人が入って来て、幼稚園の子供の如くはしゃぎまわって、折角の温泉の風情をぶち壊してくれていることだった。一人なら決して行なわないことを、団体となると悪ふざけに興ずるというのは、日本古来の悪しき風習なのかも知れない。彼らが出てゆくまで、我慢しての長湯だった。

車に戻り、何もすることが無いので、午睡を貪る。雨は相変わらずの強い雨脚(あまあし)が続いており、朝から止む気配を全く見せていない。午睡から目覚めた時も相変わらずの降りで、ようやく雨音が絶えたのは、午前夜も1時を過ぎた頃だった。夜は午睡の所為でなかなか眠れなかったけど、般若心経の世界をさ迷うには好都合だった。

 

◇観自在菩薩とは(2)

長いこと観音様の存在について想いを巡らして来たのだが、最近になって朧(おぼろ)ながら、一つの結論に辿り着いている。観音様は確かに実在するのだ。しかも意外と身近に居て、呼吸をしているのである。施無畏と即時観其音声、皆得解脱を実現してくれるのは、身近な人間しかいないということに気づいたのである。観音様というのは、身近にいて自分を心配し、助けの手を伸ばしてくれる人なのだと思う。そのように考えると、観音様というのは一人ではなく、無数といっていいほどたくさんの人の存在なのだ。無数といっていいほど存在しているから、助けて頂けるのだ。

観音経では33のお姿に変身して救いに現れるとのことだが、現実の観音様は33どころではない。あるときは父母の姿であったり、あるときは家内や子供の姿であったり、あるときは親しい知人の姿であったりする。それに気づかなかったのが殆どだったが、今ではようやく観音様がここにおわすのだということが少し分る様になった気がしている。

観音様というのは、ごく普通の隣に居て、いつでも本当に困った時にアドバイスをし、慰め、力を貸してくれる存在なのだということが解ったのである。観音様というのは、人間の持つ相手を思い、行動を起こしてくれる心の、その存在そのものなのではないか。自分が自分を忘れ、自分でなくなったような時には、観音様も少し戸惑うかも知れない。しかし、我を忘れた世界から戻って、必至に自分を取り戻そうと祈った時には、観音様が現れない筈はない。

そのように考えると、観音様は特別な存在ではなく、生まれた時からずーっとどんな人の側にも付きっきりで、自分を守ってくれているのだと思う。観自在菩薩というのは、そのような存在なのだと思う。人は誰でも観音様に守られており、自分自身も知らず観音様になって、人を守っているのではないか。それが自分のこの頃の観音様観となっている。

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