山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

西海道&西国の旅の記録から(その29)

2024-07-28 09:16:59 | くるま旅くらしの話

<宮津・舞鶴・若狭の道へ>

山陰エリアから裏京都に近づいて、若狭エリアを通って、琵琶湖西岸を辿って、奈良の方に向かうのが今回の旅の予定コースでした。旅も終盤が近づき、九州は次第に遠くなり出しました。昨日は城崎を出てから丹後半島を横切って、天橋立を通過して、宮津の道の駅まで来て泊りました。宮津は海の京都を自称しており、何だか京都であることを強調している感じがします。確かに京都府なのですが、やはり都からは遠く離れており、京都のイメージとは違うなと思いながらの一夜でした。

朝になって、思いついて朝食を加悦(かや)の道の駅に行って摂ることにして出発しました。加悦はシルクの里と道の駅にサブタイトルがついていますが、ここでは野菜類などの他に絹織物製品などを手に入れることが出来ます。でも行ってみたら、未だ営業時間前で誰もおらず売店のシャッターは閉まっており、只駐車場の隅でお湯を沸かして朝食を済ますだけでした。その帰り近くに少し安い価格のスタンドはないかと探したのですが、この辺りは皆ガソリン価格が高値でどこも同じでした。

旅のコースを決める時は、基本的に往路と復路が重ならないようにしているのですが、今回はやむを得ず舞鶴からの若狭路は往路と同じ道を行くことになりました。宮津から由良の海岸沿いの道を行き、由良川に架かる橋を渡って舞鶴に向かいました。ここからは往路と同じ道となります。舞鶴の市内を通る国道27号は、バイパスがないので、少し道路状況が悪くなります。とれとれセンターなど魚好きの私には魅力的な場所もあるのですが、欲望を押さえて先に進みました。左手に海上自衛隊の護衛艦なのか軍艦の様なものが停泊しているのを横目で見ながら町を通り抜けると、そこから先は福井県の若狭路となります。そろそろ溜まっている洗濯ものを何とかしなければならないと考えていたところ、高浜町の道の駅の手前で新しいコインランドリーがあるのを発見。家内が確認して大丈夫ということで、ここで洗濯をすることになりました。家内の話では、コインランドリーもピンからキリまであって、古い機械の店は値段が高くて効率が悪いことが多いので敬遠することにしているとのことです。ここは理想的な店だったようです。それから2時間ほどは家内の時間。私の方は待つだけです。PCでも持参していれば、やることがあるのでしょうが、今回は無しです。

2時間ほどかかってクリーニングは終了。そのあとは近くにある道の駅のレストランで軽く昼食を済まし、大飯町を通り小浜に向かいます。高浜、大飯には原発があり、この辺りは原発通りと呼んでもいいような感じがします。何も無くても何だか警戒心が働くのは、原発に対する不信感があるからなのでしょう。人間が創り出した恐るべき放射能という副産物の脅威は、それに対する対処法が何も無くて、只千年を超えるという時間があるだけというのですから、どんなに万全の対策をしたとしても大自然のパワーの前には人間のやることなんて無力に過ぎないのです。それはすでに福島の原発事故事件で明らかになっているのです。エネルギーをどう確保するかは重大な問題であり、その手段として原発の必要性は理解できるとしても、それに依存するというやり方には到底賛同はできません。何事も命あってのものだねだからです。命がなくなったら、エネルギーなど不要なのですから。

ま、横道に入るのは止めて、昼食の後は大飯町を通過して小浜の街に。ここでもう一度フィッシャーマンワーフに寄って、鯖の串焼きを求めたいという誘惑心が騒いだのですが、それをぐっと押さえこんで、先に行くことにしました。往復で鯖の串焼きを食べたりしたら、必ず血糖値に異常を来し次の健診時に医者から注意されるのは必定だからです。30年も糖尿君と付き合っていると、食に関しては如何に我慢が大切なのかを身に沁みて知っているからです。今度いつ小浜に来られるのか分かりませんが、それまではとにかく我慢なんだと自分に言い聞かせました。

小浜を通過して少し行くと、旧上中町に瓜割の滝があります。往路でもここの名水を汲みましたが、今日も2Lのペットボトル6本を満たさせて頂きました。今回の旅では、飲料水はここの湧き水の他、道の駅吉野ヶ里と高森町の白川水源で汲ませて頂きましたが、お陰さまで市販の水を買わずに済ませることができました。お茶を飲むためだけしか使いませんので、これで十分なのです。瓜割の水を汲んだ後は、若狭路を少し走って国道27号から国道303号に入ると、直ぐに道の駅:若狭熊川宿があります。この辺りを通る頃から雨が降り出し、小雨に煙る中の到着となりました。この宿場町も重伝建指定となっており、町並もかなり大きくて、晴れていれば散策して楽しめるのですが、今日は諦めてここに来ると必ず手に入れる鯖寿司を買うことにしました。ところがあまりにも高価となっているので、生の鯖寿司には手が出せず、焼き鯖寿司で我慢することにしました。昔の鯖街道であれば、このようなことはなかったのだろうと思いますが、今では若狭湾では鯖は獲れなくなって、皆ノルウェーからの輸入鯖に頼っているのです。哀しいことですが、鯖を食べられるだけ幸せというものです。

熊川宿を出て少し走ると、間もなく琵琶湖に出ます。雨降りの空なので、少し暗くなり出しているようです。今日はびわ湖西岸の道を行って、どこかの道の駅に泊るつもりでいます。その国道161号に入って少し走ると、道の駅:藤樹の里あどかわがあり、ここは必ず寄る道の駅なのです。ここは高島市にあって、江戸時代の陽明学の大家だった中江藤樹の出身地だというのでそのような駅名がついているのですが、琵琶湖に関わる様々な産物が売られているので獲物を探すのです。それは主に家内の世界です。

安曇川を出てしばらく走ると道の駅:妹子の郷があります。大分暗くなってきたので、ここに泊ってもいいかと考えたのですが、も少し足を延ばしてびわ湖大橋の袂にある道の駅まで行くことにしました。びわ湖大橋米プラザに着いた時はとっぷり日が暮れていて、琵琶湖は霧雨に霞んでいました。

 

 *原発の並ぶ若狭の道を行く不慮の事態の不安拭えず

 

 *幾度(いくたび)も訪ね来たりし若狭路の今日も瓜割の水を戴く

 

 *旅人の絶えて閑(ひま)なる時ならん熊川宿は霧雨の中

 

 *森を抜け湖畔に出れば近江なる湖(うみ)は隠れて霧雨の中

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 西海道&西国の旅の記録から... | トップ | 西海道&西国の旅の記録から... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

くるま旅くらしの話」カテゴリの最新記事