山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

08年 四国八十八ヶ所巡りの旅 (第22日)<最終回>

2009-01-27 06:26:40 | くるま旅くらしの話

第22日 <10月23日()

道の駅:川場田園プラザ→(県道・R120R17R50)→道の駅:みかも(栃木県藤岡町)→(R50R294)→道の駅:下妻(茨城県下妻市)→(R294)→自宅 <173km

今日天気が良ければ、久しぶりに金精道路を通って、日光の紅葉を見ながら帰宅しようと考えていたのだったが、朝起きてみると、遠くの山には霧がかかっていて、何も見えない状況である。これじゃあ、日光の方は行ってみても何も見えないに違いないと判断して、無理をせず前橋からR50で筑西まで行き、R294で我が家を目指すことにする。とにかく予定コースを安全運転で旅を締めくくるだけである。

前橋から伊勢崎、桐生、足利を通過し、佐野にある道の駅:みかもで昼食休憩する頃には、雨はすっかり上がって薄日が射し始めていた。今回の旅の最後の昼食は、拓製のうどんだった。もうこれで後は我が家に着くだけである。その後筑西からR294に入り、途中下妻の道の駅にちょっと立ち寄り、名産()の豚肉を買い、我が家に到着したのは、14時少し前だった。走行距離の合計は、3,695kmとなっていた。

<旅から戻って>

旅から戻って、今この締めくくりを書いているのは、12月1日である。既に1ヵ月半近くの時間が経過している。旅から戻ってしばらくの間は、何もしたくないというのが、自分のいつもの気分なのでこれはどうしようもない。たいていのことにはせっかちで、家族の皆からは呆れかえられているのだが、この記録の作業だけは、気分が乗らない限り、手をつけられないのはどうしようもない。このごろは、そのどうしようもないが、少しずつ増えているようだ。

さて、今回は急に思い立って、八十八ヶ所巡りを中心とする旅を試みたのだった。30数年前となる1974年から5年間、高松に住んでいた。それ以降何度か四国を訪ねるチャンスがあったのだが、万遍なくというわけにはゆかず、横断したり、縦断したりの旅だった。万遍なく訪ねるためには、八十八ヶ所のお寺を訪ねるのが一番良い。それにもうそろそろ、いろいろな意味でお寺さんに関わりを持たなければならない年齢にもなっている。願い事や祈りごとというのはあまり好きではないが、日本人であればいずれはお寺さんに何らかの形でお世話になることは必定なのだから、とにかくもう一度、改めて般若心経の世界を訪ねるつもりでお寺を廻ってみようということにしたのだった。

結果として良い体験だったと思う。30数年前の分散巡礼と15年前の自転車による巡礼の時とは違った、お寺に対する印象を強く持つことが出来たような気がする。簡単に言うと、お寺というものが、ぐっと重みを増して自分に近づいたという感じがする。多くのお寺は大自然との融合の世界に鎮座していた。都市部のお寺の中には、それを捨てざるをえなかったような所もあったけど、本来のお寺は、自然との融合の中にあり、それが人間の本物のふるさとであるように思えるのである。

今、自分自身もふるさとを失いかけている気がしている。父母の眠る世界は、とらわれの無い大自然の中にあるに違いないし、お寺というのは、その中の厳(おごそ)かな寄り合い所であるような気もするのである。わが国に点在するたくさんのお寺の全てが、人間の魂の寄り合い所のように思えるのである。八十八ヶ所のどのお寺にも父母は居たし、高野山にも居たように思う。

般若心経の世界は、さ迷いの世界でもあったけど、色即是空、空即是色のことばの中に、亡き父母が微笑みながら首肯している顔を見たような気がして、人間を苦悩から解放しようとされる仏の力の大きさを垣間見たような思いのする旅でもあった。(12.1.2008 拓記

 

ブログの改訂のお知らせ

日で八十八ヶ所巡りの旅関係の連載を終わります。連載ものを始めると、それに囚われてしまい、新たな情報をなかなか追加できなくなり、我ながらうんざりすることがあります。今後は、タイミングを十分考えた上で発表するようにしたいと思っています。

さて、私のブログも来る2月1日で3年目を迎えることになりました。それで、これを機に少し内容などを替えてみようと思っています。その検討のため、明日から今月一杯休むことにしますので、悪しからずご了承下さい。2月1日から再開します。 

コメント
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