山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

08年 四国八十八ヶ所巡りの旅 (第2日):その1

2009-01-04 01:37:40 | くるま旅くらしの話

第2日 <10月3()    

道の駅:伊賀→(R25・西名阪道・近畿道・中国道・神戸淡路鳴門道)→淡路SA→(R28)→道の駅:うずしお(兵庫県みなみあわじ市)→(鳴門大橋)→第1番:霊山寺→第2番:極楽寺→第3番:金泉寺→第4番:大日寺→第5番:地蔵寺→第6番:安楽寺→第7番:十楽寺→第8番:熊谷寺→第9番:法輪寺→第10番:切幡寺 →道の駅:藍ランドうだつ(徳島県美馬市)(泊) <325km

早いペースでここまで来てしまった。これから先、大阪・神戸市街は一般道を行くのを避けて、自動車専用道を行けば今日中に幾つかのお寺を回ることができるのではないかと思った。車にETCを取り付けていないので、丸々所定料金を取られるのが何となく癪だけど、普段高速は乗らない主義なので、今更文句を言っても仕方がない。

朝食の後、少し早めに出発。高速道を走り継いで中国道から神戸淡路鳴門道に入って、明石海峡大橋を渡り、淡路HO(ハイウエイオアシス)にて休憩する。丁度10時。伊賀から2時間半で大阪・神戸を通過したことになる。東京以上に密集した建物の中を見下ろしながらの走りだった。慣れない高速道なので、間違えないよう神経を使う。ナビなし主義なので、頼りとするのは道路案内の看板と地図だけである。市街地からいきなり山の中に入って、やがてトンネルを抜けると世界一の吊橋の明石海峡大橋だった。ここを通過するのは3度目だろうか。あっという間の5kmである。HOで休憩の後は、高速道を降りて一般道を大鳴門橋へ向う。淡路島の一般道を走るのも楽しみの一つである。

HOから見る明石海峡大橋は、やっぱりスケールの大きいものだった。よくもまあ、このような巨大な建造物を造れるものだと、人間という生き物の持つ力の壮大さに呆れかえるほどである。今までフェリーでしか渡れなかった淡路島へ、今は僅か10分足らずで来てしまって、対岸を見ることが出来ているのだ。海峡を激しく行き交う船を見ながら、しばらく休憩をする。

   

明石海峡大橋を渡る。車の中から撮ったもの。巨大な建造物の中を走っているという実感は無く、あっという間に淡路島側に到着した。

一般道に入って、2時間ほどかけて淡路島を縦断する。前を走っている軽トラを見てふと気がついたのだが、ここの車は神戸ナンバーである。くるま旅の折は、ナンバープレートに結構注目し、どこから来ているのかを話題にしたりすることが多いのだが、淡路島から来られた方は神戸ナンバーなのである。随分とイメージが異なるけど、考えてみれば、淡路島は兵庫県の内だし、岩屋などは神戸とは至近距離にあるのだから不思議ではない。しかし何だかちょっぴり違和感を感ずるのは、淡路島がタマネギや花卉類の産地であり神戸のイメージとはかけ離れて、関東人の自分の頭には滲みこんでいる。こんなことを言ったら、淡路島在住の人には不興を買うことになるのかもしれない。

いつの間にか軽トラさんと別れて、南淡の急な坂道を登り道の駅:うずしおへ。淡路島の南端にある、眼下に渦潮を見ることが出来る道の駅である。もの凄い場所に道の駅を造ったものだと、毎度ここへ来る度に感心する。今日は少し時間に余裕があるので、今まで行ったことが無かった、海に向う坂を下りて渦潮を見物することにした。鳴門大橋の巨大な橋桁の向こう側に幾つかの渦が望見できた。近くを通る船は流れに逆らう方向からは、前進が困難と思えるほど遅いスピードとなって、僅かに動いているのが見える。一見平のように見えるけど、潮の流れは急流となっているのであろう。大自然の強大なエネルギーを目の当たりに見る思いである。

   

大鳴門橋と渦潮。この橋が完成した頃は高松に住んでいたのだが、四国と淡路島がつながっても、まさか淡路島が神戸と橋でつながるとは思わなかった。

車に戻って、その後は高速道に入る。四国に渡るためには高速道で大鳴門橋を通らなければならない。次のICで降りると後が面倒なので、もう一つ先の鳴門ICで出て、一般道へ。いよいよ間もなく霊山寺(りょうぜんじ)である。八十八ヶ所巡礼の開始である。13時30分、第1番札所の霊山寺に到着。

本来の八十八ヶ所巡礼では、白装束に杖を持ち、笈(おい)を背負って、鈴を鳴らしながら歩くのだが、現代は様々で、あまり形には囚われないようである。お寺に着いたら、持参した写経(般若心経)又は納め札(年月日と住所、参拝者名を書いたもの)を収め、般若心経他のお経を唱えて参詣するというのが基本スタイルである。又各寺を回った証として納経帳や掛け軸などを用意し、それにお寺さんで寺名と朱印を押して貰うことをするのだが、我々の今回の考えとしては、

①白装束などはしない

②杖は登山用のストック

③納経帳も掛け軸もしない

④お寺の写真を撮る(山門・本堂・大師堂・鐘楼・多宝塔など固有の建造物)

⑤写経は用意していないので、納め札を用いる

⑥本堂か大師堂で必ず般若心経を唱える

というのが参詣の基本スタイルである。特に重視しているのが、④のお寺の写真を撮るということで、これは天候などに左右されるので、お寺によっては、かなり厳しい状況が予想される。

霊山寺は、何度も参詣しているので、懐かしさを覚えるお寺である。徳島県は発心(ほっしん)の道場と呼ばれているが、霊山寺はその第1番目のお寺であり、通常はここから巡礼が始まるのである。お寺を若い番号順にお詣りするのを順打ちといい、大きな番号から始めるのを逆打ちと呼んでいる。実際にはいろいろ順序が混ざり合って八十八ヶ所となる場合が多く、それはその人のフリーでいいのである。我々は、今回は基本的に順打ちで回って行きたいと考えている。

15年前に八十八ヶ所を自転車で回った時の資料を持参したのだが、案内図などはかなり変わっているだろうと、新しいものを1冊求めた。納め札は15年前の余ったものがあり、これは変っていないので、そのまま使うことにした。

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08年 四国八十八ヶ所巡りの旅 (第2日):その2

2009-01-04 01:36:49 | くるま旅くらしの話

   

 四国八十八ヶ所霊場、第1番札所、霊山寺の仁王門。巡礼はこの門を潜って、本堂、大師堂等を拝しながら開始される。

霊山寺の参詣を終え、次の2番札所の極楽寺(ごくらくじ)に向うが、その前に近くにある道の駅:第九の里というのをちょっと覗いてみた。格別変ったこともない小さな道の駅だった。第九というのは勿論ベートーベン作曲の交響曲のことで、ここはかつて第1次世界大戦の時のドイツ軍の捕虜を日本が預かった場所だという。その収容所の跡に記念館が建てられ、その近くに新しく道の駅が出来たということだった。

極楽寺は道の駅から5分もかからない所にあり、20分ほどで参詣を済ませる。次の3番札所の金泉寺(こんせんじ)も直ぐ近くなのだが、案内板に従って細い道を行くのはキャンピングカーとしてはヒヤヒヤものである。この辺には撫養街道(県道12号線)に沿って左右にお寺が点在している。しかし撫養街道を走るのはほんの少しで、お寺からお寺への移動道路は殆どが細い町道となる。これからずっとそのような走りとなるかと思うと、些か複雑な気持ちとなった。これも修業の一つなのだと思い直したのだった。

一つのお寺に20分ほどかけての参詣だった。第4番札所大日寺(だいにちじ)、第5番札所地蔵寺(じぞうじ)、第6番札所安楽寺(あんらくじ)、第7番札所十楽寺(じゅうらくじ)、第8番熊谷寺(くまたにじ)、第9番札所法輪寺(ほうりんじ)と回って、この頃になると日が暮れ出した。次の第10番札所の切幡寺(きりはたじ)まで何とか回ろうと行ったのだったが、車を降りてお寺への坂道を歩き始めた所で、こう暗くては写真の撮影は無理だと判断して参詣を諦め引き返すことにした。

今夜の泊まりは、少し遠いけど脇町(現美馬市)の道の駅:藍ランドうだつにお世話になることにして向う。この道の駅には以前も泊まったことがある。1時間ほどかかって到着。半日は大都市圏を走り続けて、後の半日は気持ちを切り替えてのお寺巡りとなった。それにしても今日中に第10番札所まで回ることが出来るとは思わなかった。頭の中をいろいろな思いが駆け巡って、若干疲れた感じがする。夕食の後は、早めに寝床にもぐりこむ。

◇般若心経の読み方

今回の旅では、岩波文庫のワイド版の「般若心経・金剛般若経」(中村元・紀野一義訳注)を持参した。200余ページの内、般若心経の部分は40ページに満たない短いものである。何度も読んでいるけど、本当のところは謎である。心経にもいろいろあるらしいが、一般的には三蔵玄奘法師が訳されたというものが取り上げられていると聞く。漢字で書かれているので、棒読みではない読み方で、何が書かれているかを知ることが出来る。それをここに参考までに記しておくことにしたい。

般若波羅蜜多心経       唐の三蔵法師玄奘訳す

観自在菩薩、深般若波羅蜜多(じんはんにゃはらみった)を行じし時、五蘊(ごうん)皆空なりと照見(しょうけん)して、一切の苦厄(くやく)を度したまえり。舎利子よ。色(しき)は空(くう)に異ならず、空は色に異ならず。色は即(すな)わち是れ空、空はすなわちこれ色なり。受想行識(じゅそうぎょうしき)もまたかくのごとし。舎利子よ、この諸法は空相(くうそう)にして、生ぜず、滅せず、垢(あか)つかず、淨(きよ)からず、増さず、減らず、この故に、空の中には、色もなく、受も想も行も識もなく、眼も耳も鼻も舌も身も意もなく、色も声も香も味も触も法もなし。眼界(げんかい)もなく、乃至(ないし)意識界もなし。無明(むみょう)もなく、亦(ま)た無明の尽くることもなし。乃至(ないし)老も死もなく、亦た老と死の尽くることもなし。苦も集も滅も道もなく、智もなく、亦た得もなし。得る所なきを以ての故に、菩提薩埵(ぼだいさった)は、般若波羅蜜多に依るが故に、心に罣礙(けいげ)なし。罣礙なきが故に、恐怖(くふ)有ることなく、(一切の)顚倒夢想(てんどうむそう)を遠離(おんり)して、涅槃(ねはん)を究竟(くきょう)す。三世諸仏(さんぜしょぶつ)も般若波羅蜜多に依るが故に、阿耨多羅三藐三菩提(あのくたらさんみゃくさんぼだい)を得たまえり。故に知るべし、般若波羅蜜多は是れ大神咒(だいじんしゅ)なり。是れ大明咒(だいみょうしゅ)なり。是れ無上咒なり。是れ無等等咒(むとうどうしゅ)なり。能()く一切の苦を除き、真実にして虚ならざるが故に、般若波羅蜜多の咒を説く。即ち咒を説いて曰く、掲帝(ぎゃてい) 掲帝 般羅掲帝(はらぎゃてい) 般羅僧掲帝(はらそうぎゃてい) 菩提僧莎訶(ぼうじそわか)   般若波羅蜜多心経 

大変難しい仏教の世界のことばが述べられており、一々解説註をを読まないと意味がわからないのだが、何百回とお経を誦していると、何となく言っていることが解る様な気持ちになってくるのが不思議である。

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