山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

08年 四国八十八ヶ所巡りの旅 (第11日)

2009-01-16 00:10:08 | くるま旅くらしの話

第11日 <10月12日()    

道の駅:マイントピア別子→第65番:三角寺→(雲辺寺ロープウエイ)→第66番:雲辺寺→第67番:大興寺→第68番:恵神院→ 第69番:観音寺→第70番:本山寺→道の駅:ふれあいパークみの(香川県三豊市)→第71番:弥谷寺→道の駅:たからだの里さいた(香川県三豊市) (泊)     <136km

昨日はゆっくりできて良かったのだが、何だか休み過ぎてしまったような感じもする。貧乏性のなせる発想なのであろうか。今日は伊予の国最後の三角寺を参詣したあとは、讃岐の国の涅槃の道場に入ることになる。讃岐の23寺を廻れば、後はお大師様の拠点の高野山の参詣を残すだけとなる。

いい天気である。8時過ぎ道の駅を出発。1時間ほど走って第65番札所の三角寺(さんかくじ)に到着。このお寺への道も結構厳しかった。駐車場から急な石段を登って山門を潜ると、貫禄のある建物が並んでいた。中に三角の池があり、何やらその昔お大師様が三角の護摩壇にて秘法を誦した時の名残りであると、お寺の略縁起書きに記されていた。大声で心経を唱え、写真を撮って参詣を終える。

次は讃岐の最初の札所の第66番雲辺寺(うんぺんじ)である。いきなりの難所なのだが、ここには徳島の大龍寺(第21番)と同じようにロープウエイがあり、これを利用すれば苦労することはない。歩いてならば、1日がかりの行程となるに違いない。ロープウエイを使う時は、邦子どのに一人で行って貰うことにしている。拓の方は15年前にロープウエイに乗っているので、初めての人に乗車権を譲ることにしている。

ロープウエイ乗り場の下の駐車場に着いて、邦子どのが戻ってくるまでの1時間ほどの間は、車の中でいつものように写真や記録の整理をする。とにかくお寺の数が多いので、写真などの整理は億劫がらずにこまめにやっておかないと、後で何が何だか判らなくなってしまう恐れがある。一通り終わった後は、昼食の準備をする。それも済んで、周辺を散策しているうちに、やがてロープウエイの人が戻ってきた。うどんなどを食して、昼食休憩とする。

   

雲辺寺ロープウエイ。わが国最大級の長さであるとか。歩いてゆく人も居られるようだが、恐らく一日がかりとなるのであろう。

その後は、第67番大興寺(たいこうじ)、第68番神恵院(じんねいん)、第69番観音寺(かんおんじ)、第70番本山寺(もとやまじ)と参詣する。本山寺は本堂と五重塔が国宝という古刹である。多くのお寺が戦火や災害で焼失して再建された中で、このお寺はそれらの厄災を免れて今日に至っている。心を籠めて写真を撮る。

   

本山寺五重塔(国宝)。戦国時代からの戦火を逃れて今日に至っているその姿には打たれるものがある。

次の第71番弥谷寺(いやだにじ)は、今日の泊まりを予定している道の駅:ふれあいみのバークの側にある。先ずは参詣にということだが、このお寺は数百段の石段があり、邦子どのは最初から行くのを諦めており、拓が一人で行くことにする。以前来た時も厳しかったが、今回もその厳しさは変らなかった。息を切らしながら谷あいの石段を登って、参詣を済ます。下りの方も膝に衝撃が加わらないよう慎重に足を進めた。車に戻って、これで今日の予定は終了。

道の駅の方に行って見たが、何だか混んでいて落ち着きがない。今日は日曜日ということもあって、ここは小さなテーマパーク風の施設になっているので、人出が多いのであろう。温泉もあるので、行ってみたら、何と料金が一人1,515円だという。入館料込みということらしいけど、風呂に入るだけの料金としては、呆れ返る価格である。平気で応える社員の人が可哀相な感じがした。とにかくこのような所に用はないので、どこか他に行くことにした。道の駅の案内資料では、比較的近くの財田町(今は三豊市)に道の駅があるので、そこへ行くことにして出発。30分ほどで道の駅:たからだの里さいたに到着。少し暗くなりだしていた。ここにも温泉があり、行ってみると料金は500円だった。これが普通の良識ある料金というものであろう。先ずは温泉に入って汗を流すことにする。温泉は露天風呂もあり、丁度半天に満月に近い月が輝いており、実にいい風情の入浴だった。大満足の温泉である。

車に戻って、静かな一夜を過す。

◇「以無所得故。菩提薩埵。依般若波羅蜜多故。心無罣礙。無罣礙故。無有恐怖。」

「得る所なきを以ての故に、菩提薩埵は、般若波羅蜜多に依るが故に、心に罣礙なし。罣礙なきが故に、恐怖有ることなく」

これは前節からの続きを述べているのだが、その内容としては、様々な喜怒哀楽や苦悩を空という存在で確認できたという、深遠な知恵の完成を得た求道者は、もはや心を翳(かげ)らせるものなどなく、恐れなどというものもないのだ、という絶対的な自信というか、断言的な表現で深遠な知恵の完成した後の状況を述べている。

私のような俗物の世界では、苦悩を乗り越えた時の喜びというか、絶対的な自信を獲得した時の状況に似ているように思う。どうにもならなかった壁を一つ超えた時の心の有様のようにも思えるのである。破れかぶれになって、開き直っている内に、瞬間的にそこに何ものをも恐れない自分を見出した時に、このような迷いも怖いものもない心境に至るのではないか。その意味において、般若波羅蜜多を行ずるというのは、例えば逆境の中で呻吟苦悩する姿に似ているように思う。

そう思うと、人間というのは、順境に居ては般若波羅蜜多を得ることは出来ないのではないか。逆境にあってこそ、困難にぶち当たってこそ深遠なる知恵を完成させるに近づくことが出来るように思えてならない。

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