山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

08年 四国八十八ヶ所巡りの旅 (第12日):その1

2009-01-17 00:03:05 | くるま旅くらしの話

第12日 <10月13日()

道の駅:たからだの里さいた→第75番:善通寺→第76番:金倉寺 →第72番:曼荼羅寺→第73番:出釈迦寺→第74番:甲山寺→第77番:道隆寺→第78番:郷照寺→第79番:天皇寺→第80番:国分寺→第81番:白峰寺→第82番:根香寺→第83番:一宮寺→道の駅:源平の里むれ(香川県高松市)(泊)  <126km

財田の道の駅の朝も早かった。6時を過ぎた頃から軽トラがやって来て、地産の野菜やきのこなどを並べている。店のオープンは9時からとなっているのにに、実際は8時半にはもう営業開始である。どうして9時などと書いているのか良く分らない。邦子どのの話では、マツタケが3本で3万円を超えた値段だったとか。自分は店の方には行っていないので、そのマツタケを見ることはなかった。四国のこの辺りの山は、確かマツタケの産地だったと思う。今が最盛期なのかも知れない。きのこには関心があり、帰宅したら、知人のお誘いに乗って、きのこの鑑定会にお邪魔しようと思っている。

さて、今日は昨日の続きの第72番曼荼羅寺(まんだらじ)からの参詣を予定していたのだったが、なんと道の駅を出る時に道を間違えてしまい、最初のお寺が第75番札所の善通寺(ぜんつうじ)となってしまった。善通寺は弘法大師生誕の場所である。88ヶ所の中では最大規模の伽藍を揃えたお寺だと思う。讃岐の国に来たら、真っ先にこのお寺にお詣りするのが正解なのかも知れない。

駐車場に車を入れる時に、邦子どのがNHKの放送関係の車が来ているのに気づいた。丁度今NHKでは、卓球選手の四元奈緒美さんの歩きで「街道てくてく旅」という八十八ヶ所巡りの番組を実況放映しており、この旅の間に、もしかしたらどこかで出会うかもしれないなとは思っていたのだが、どうやら今日のこの場所がそうだったらしい。車を停めた後、邦子どのは、NHKのエコカーに近づいて行って、何やら話しかけていたようである。パンフレットを貰って戻ってきた。どうやら四元さんは、今日これから出発するらしい。

   

NHK「街道てくてく旅」番組のエコカー。天ぷら油などを回収しながら、それを燃料に走っているとか。

それは兎も角として、先ずは参詣である。広い境内をかなり歩いて、本堂と大師堂にお詣りする。

   

善通寺の五重塔と鐘楼。この五重塔は市内の何処からでも見ることが出来る規模の大きな建物である。

写真もたくさん撮った。車に戻ろうとすると、横道に入った邦子どのがなかなか戻ってこない。どうしたのかと人だかりのする方を見たら、どうやら間もなく四元さんが現れるらしくて、それを写真に収めようと待ち構えているようだ。仕方がないので、終わるまで待つことにした。10分ほど経って、ようやく主役が現れ、周辺の人が盛んにシャッターを切っていた。TVと同じ旅装束の姿で、四元さんは皆にサービスのポーズをとっていたようである。小柄な女性だが、身体も心も鍛えられているのであろう。邦子どのが戻ってきて、一件落着となる。

   

街道てくてく旅の主役、プロ卓球選手の四元さん。八十八ヶ所めぐりの旅歩きも、最終段階に入ったようです。

善通寺の後は、第76番金倉寺(こんぞうじ)、その後は第72番曼荼羅寺へ。今日最初にこのお寺に参詣していたら、四元さんには会えなかったのかもしれない。朝、わざと道を間違えたわけでもないのに、不思議な気がした。第73番出釈迦寺(しゅっしゃかじ)、第74番甲山寺(こうやまじ)、第77番道隆寺(どうりゅうじ)、第78番郷照寺(ごうしょうじ)と廻り、第79番は天皇寺(てんのうじ)である。このお寺に行く道が通れるのか通れないのかが分らず、結局1km弱手前に車を置いて歩いての参詣となったが、行って見れば十分に車での通行が可能で、駐車場も用意されていたのだった。詳細地図帳などと書いてある案内書は、所々とんでもない不正確な書き方があり、このお寺の場合もその一つだったようである。ま、たっぷり歩かせて頂いたことに感謝をすべきなのであろう。

第80番札所は国分寺。4つ目の同じ寺号のお寺である。ここまで来ると次第に高松が近づいてきているのを実感する。国分寺の参詣を終えたあとは、五色台の近くにある二つのお寺、第81番白峰寺(しろみねじ)と第82番根香寺(ねごろじ)へ。白峰寺までは細い急坂が続いており、景色は良くても運転には厳しい状況だった。根香寺は反対に下り坂でこちらの方は、比較的楽だった。

   

五色台への急坂にある白峰寺に向う途中から見た備讃瀬戸の風景。坂出ルートの瀬戸大橋が架かっている。

さて、今日の泊まりは高松市街地を通り抜けて、屋島の先にある道の駅:源平の里むれを予定している。明日のことを考えると、高松市街の反対側にある第83番一宮寺(いちのみやじ)の参詣を済ませておくのが好都合である。暗くならない内に着かなければならないと少しあせったが、どうにかセーフだった。このような状況では、お寺の参詣も処理作業の一環となってしまいそうで、要注意である。16時半参詣を済ませて、牟礼に向う。

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08年 四国八十八ヶ所巡りの旅(第12日):その2

2009-01-17 00:02:28 | くるま旅くらしの話

牟礼町は、30数年前に我々が転勤で住んでいたときは、誇り高き町だったが、現在はとうとう高松市と合併に至ったようである。少し寂しい気もする。もし住んでいたら、合併反対派に入っていたことは間違いないと思う。その牟礼エリアに新しく道の駅が出来たのは嬉しい。行ってみると、昔住んでいたマンションから車で5分足らずの所にその道の駅は造られていた。志度湾を見下ろす丘の上に位置していて、裏側は公園となっており、昔走っていた琴電の電車が展示された一角があった。用済みになった古い型の電車にも懐かしさを覚えずにはいられなかった。直ぐ側を四国の大動脈のR11が走っており、夜間は少し車の音に煩わしさを感じたが、思ったよりは静かで過しやすかったのは、その昔の住まい近くにいるという気持ちがあったからなのかもしれない。

◇「遠離一切顚倒夢想。究竟涅槃」

「(一切の)顚倒夢想を遠離して、涅槃を究竟す」  この一節について想いを巡らしてみたい。

顚倒夢想(てんどうむそう)というのは、色のもたらす様々な邪念とでもいうものだろうか。我々の日常は邪念に満ち溢れていると思う。澄み切った心で生きてゆけるはずもなく、仮にそのようなことが可能だとしても、それは一瞬のことに過ぎないように思う。

しかし、般若波羅蜜多(=深遠なる知恵の完成)を為した者は、どのような邪念に煩わされることなく、最終的に涅槃を得ることが出来るというのがこの一節の述べるところだと思う。ここに書かれている「涅槃」とは何を言うのだろうか。八十八ヶ所巡りに於いても、阿波の霊山寺から始まって、阿波の23寺は発心の道場、土佐の17寺は修業の道場、伊予の26寺は菩提の道場、そして讃岐の23寺は涅槃の道場といわれているように、最終的には「涅槃」を目指す修業いという捉え方がなされている。その涅槃というのは一体何を意味するのであろうか。本の訳によれば、「永遠の平安」とあった。

永遠の平安というのはどのようなものなのだろうか。通常涅槃といえば、永遠の眠りに就くことを意味すると思う。すなわちあの世に逝くことであり、死ということである。しかし、単純に般若波羅蜜多が目指した結果が死であるということでは、何だか拍子抜けしてしまう。ただ死ぬだけなら、修業など不要ではないか。だから、この涅槃というのは、死と言うものではないのではないかと思う。

そこで私が思うのは、涅槃というのは、一切の邪念に惑わされない活き活きとした永遠の心の平安なのだと思う。お釈迦様の涅槃像というのがあるが、あれはお釈迦様がお亡くなりになって、その死んだ姿を形取って作ったものではない。あれは永遠の平安の世界の中に活き活きと生きるお釈迦様の姿を現したものに違いない。

人間というのは、常時生死を背中合わせに持ちながら時間を過ごしている存在なのだと思う。般若波羅蜜多はこれを乗り越える方法なのであり、それを獲得したものが涅槃の世界に生きる資格を持つのではないか。そして、もしかしたら、人間は誰でも涅槃の世界に辿り着くことが出来るのではないかとも思うのである。邪念の渦巻く世界で生きていることが修業そのものであり、それが済んだ時に永遠の活き活きとした平安が訪れるのではないか。

時々亡き父母のことを思い起こすことがあるが、私の中では、父も母も決して死んではいない。もはや人間としての形は失ってしまったけれど、私の両親は永遠の平安を得て、私の心の中に活き活きと生きている。

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