山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

08年 四国八十八ヶ所巡りの旅 (第5日)

2009-01-09 05:04:54 | くるま旅くらしの話

第5日 <10月6日()    

道の駅:もみじ川温泉→道の駅:わじき(大龍寺ロープウエイ)→ 第21番:大龍寺→第22番:平等寺→第23番:薬王寺→第24番:最御崎寺→第25番:津照寺→第26番:金剛頂寺→第27番:神峰寺→ 道の駅:やす(高知県香南市)(泊) <202km

雨は止んだけど、雲が多くて再び雨が降り出してもおかしくないような朝だった。とにかく今日は大龍寺にお詣りすることにして、朝食は昨日の道の駅:わしきで摂ることにして出発。7時半到着。早朝の道の駅には誰もいない。先ずは軽く腹ごしらえして一段落の後、邦子どの一人で行って貰うことにした。何せロープウエイの料金が高いので、二人揃っていくこともあるまいという考えである。拓の方は15年前に訪ねており、邦子どのは多分初めてのことになるのではないかと思う。8時20分発に乗って出発したが、同行者は数名にも満たない状況だった。

1時間くらいはかかるだろうからと、その間に車のチエックや給水などを行なう。広い駐車場の片隅に甘栗屋のオッサンがいて、親切に水場などを教えて頂いた。お礼に甘栗を買う。久しぶりの味だった。天気は次第に回復して、この分だと山の上の方も霧が晴れて、写真撮影も大丈夫だろうと思った。何もすることがないので、その後はしばらく持参した岩波文庫ワイド判の般若心経の解説本などを読んで時を過ごした。

9時半近くの便で邦子どのが戻ってきた。天気も良くなって、まあまあの参詣だったようである。一人であっても巡礼の旅は、いつでもお大師様と一緒の同行二人であるから、それなりにご利益があったのだと思う。むしろ長年一緒に居る、もはやジジイに成り果てた奴なんかよりも、その方が気分も楽なのかもしれない。

さて、ここから先は、昨日までと同じように、行けるところまで行く考えである。先ずは近くにある第22番札所の平等寺(びようどうじ)を訪ねる。その後30分弱走って、徳島県最後の札所の第23番薬王寺(やくおうじ)に参詣。ここは直ぐ近くに道の駅があるので、そこに車を停めての参詣となった。薬王寺は徳島では人気のあるお寺で、毎年の初詣には四国は勿論関西エリアからもたくさんの人が訪れるお寺である。我々も四国に住んでいた30数年前に、一度初詣に来たことがある。延々と続く車の渋滞行列に驚かされたのを今でもありありと覚えている。今日は空いていて、久しぶりの参詣を楽しんだ。

   

日和佐(現美波町)にある薬王寺の山門。此処は徳島県の最後の札所でもある。吉川英治の名作鳴門秘帳の舞台としても登場しているとか。それらしきムードの溢れた海に近い古刹である。

徳島エリアが終わって、次からは高知県エリアとなる。高知県は修業の道場とされており、厳しい場所への参詣となる。先ずは、第24番札所の最御崎寺(ほつみさきじ)へ。室戸の海岸の道からとんでもない急坂を登って、直ぐ上がお寺である。照葉樹林に囲まれた中にお寺があった。若かりし時の弘法大師が、ここにある洞窟に籠もって修業された時に、輝いていた明星が飛来して口の中に入って、何かを感得された地であるとか。そのようなこともあるのかと、不思議の世界を思いながらの参詣だった。

その後は、第25番津照寺(しんしょうじ)、第26番金剛頂寺(こんごうちょうじ)と参詣を済ませる。津照寺は室戸の港の側にあり、金剛頂寺は海を見下ろす小高い丘に位置していた。その後は1時間ほど海岸線を走って、第27番の神峰寺(こうのみねじ)へ。ここは自転車で回った時に大汗を掻いた難所である。海岸沿いのR55からは4kmほど山側に登った所にお寺があるのだが、道は狭く急坂が続いていて、車の離合に苦労するのは火を見るよりも明らかである。大丈夫なのかと大いなる心配があったが、何とかなるだろうと、思い切って車を進めることにした。いヤア、その後の運転はヒヤヒヤの連続で、生きた心地がしない感じだった。幸いなことに上手く離合が出来る場所で対向車に出会ったので、助かった。

   

神峯寺の山門。なかなか貫禄のある建物である。此処まで辿り着くには冷や汗の連続だった。その汗を冷まして参詣を終えた後も、やはり冷や汗をかき通しの帰路だった。

時間も遅くなって参詣を済ませた頃は16時を過ぎていた。帰りの道も心配だったけど、どうにか無事にR55まで戻ることが出来てホッとしたのだった。

今日の参詣はここまでとし、少し遠いけど高知市に近い香南市の夜須というところにある道の駅:やすを目指す。未だ一度も訪れたことのない道の駅である。どんな所かなと思いながら行ってみたのだが、なかなか良い所だった。直ぐ裏が港となっており、大きな公園が作られており、その中に道の駅が作られていた。近くをJRなのか分らないけど、電車が走っており、駅も近くて、人の出入りも結構賑やかな場所だった。静かな方が我々には助かるのだけど、それは仕方がない。一休みの後、夕食の準備をして一杯やって、あとはいつもの通りである。

◇「行深般若波羅蜜多時」とは

さて、その観自在菩薩が、「深般若波羅蜜多を行ずる時」とある。「深般若波羅蜜多」というのは、一体何を言っているのであろうか。解説によれば、「深遠な知恵の完成」ということであり、行ずるとは、それを実践するということだそうな。具体的にはどのようなことなのか解らないけど、簡単に言えば、深遠な知恵の完成を目指しての実践行動をしていた時ということになると思う。深遠な知恵の完成というのはどういうことなのであろうか。これは解らないで片付けてしまえばそれまでのことだと思うが、とてつもなく魅力的なテーマのように思う。

自分の勝手な想像によれば、深遠な知恵の完成とは、この世を作っているものが一体何なのかを解きほぐす思考・思索のことを言っているのではないかと思う。この次のことばに、「五蘊は皆空なりと照見して」とあるけど、これは深遠な知恵の完成した結果、解った結論を述べているのだと思う。この結論に至るまでのプロセスをどのように行なったのかというのが、「行」ということなのだと思うが、いわばその方法論の実際がどんなものであるかは、お経には書かれていないのでわからない。

けれども自分の考えでは、やっぱりこれは坐禅のようなものではなかったかと思う。知恵の完成、しかも深遠なる知恵の完成というからには、半端な集中力では結論を導き出すことなど到底叶わぬことだと思う。おそらく、息をつめた集中力を発揮できる取り組みが不可欠だったに違いない。とすれば坐禅のような緩急自在の坐りのスタイルが、知恵の完成には不可欠だった様に思うのである。行というのは、坐禅のようなものであろうというのが自分の考えである。人間が集中できる姿というのは他にも幾つか考えられると思うけど、やっぱり坐禅が一番相応しい。

つまり、観自在菩薩は、深般若波羅蜜多を目指して座禅のようなものを行なったのである。しかし、何故そのようなことを行なったのかということはわからない。ここでは、ただ行なったということに注目し、その結果どうだったかということに関心を集中すればよいのだと思う。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 08年 四国八十八ヶ所巡り... | トップ | 08年 四国八十八ヶ所巡り... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

くるま旅くらしの話」カテゴリの最新記事