山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

08年 四国八十八ヶ所巡りの旅(第15日)

2009-01-20 00:02:08 | くるま旅くらしの話

第15日 <10月16日()    

道の駅:ちはやあかさか→(R309)→Tさん宅→(R309R310R24)→道の駅:紀ノ川万葉の里(和歌山県かつらぎ町) (泊)  <68km

 寝すぎるほど寝たので、却って頭が重い感じがした。今日は、比較的近くにお住まいの旅の知人、Tさん宅をお訪ねする予定である。ここからは30分ほどの距離である。9時半頃にお邪魔しようと、予め連絡している。

今日はまあまあの天気のようだ。道の駅の構内には、文化施設などがあり、落ち着いた雰囲気である。近くに樹木に囲まれた碑があるので行って見ると、ここは彼の忠臣楠木正成誕生の地であるとあった。鎌倉時代末期やその後の南・北朝時代の史実のことは良く解らないけど、明治に入ってからは勤皇の忠臣として大楠公と呼ばれた人物がここで生まれたとは知らなかった。ここには千早赤阪城があったのではないかと思っていたけど、それは勝手な思い込みだったようである。碑から少し離れた所に郷土資料館のようなものがあったので、そこに行けばもっと詳しいことが解るのかも知れない。でも今は早朝で開くまで待つのは不可能である。途中から有名になった歴史上の人物というのは、いろいろと作り話やこじ付けが多く生まれるので、なかなか信じがたいのだが、此処が楠木正成の生誕の地だったのであろうか。一先ず信じておいた方が穏やかである。

   

楠公生誕地の碑。戦前までは神皇大忠臣のこの地に訪れる人も多かったのであろうが、今はひっそりとしている。

9時過ぎTさん宅に向けて出発。30分足らずで到着。もう何度もお邪魔しているので、道に迷うことはなくなった。今回多田さんのお宅を訪ねる最大の目的は、今年の夏に北海道でお会いした時に作っておられた、木工クラフトの蒸気機関車が完成しているのを見せて頂くことにある。勿論、それだけではなく、Tさんご夫妻が目指している木工を初めとする様々な手づくり作品を拝見させて頂くこともある。奥さんも手先の器用な方で、様々な手芸作品を作っておられる。そのお二人の作品を、自宅に展示場を作り仲間やご近所の方に見て頂いて語らいの場としたい、という素敵な夢をお持ちで、只今その実現に向って着実に前進されているところなのである。物づくりの全く不得手の拓には、魔法使いのようなご夫妻である。邦子どのも裂き織りや編み物などに関心があり、奥さんとはいろいろ情報交換が役立っているようである。拓だけが一人蚊帳の外なのであるが、作品を鑑賞するについては、決して蚊帳の外にいるわけではない。

早速上がりこんで、作品を見せて頂く。やっぱり蒸気機関車が今年の最大の傑作だったように思った。

   

Tさんご主人作、木工クラフト製の機関車模型。精巧なつくりは、今にも走り出しそうな雰囲気を持っている。

その他の作品にもそれなりの工夫が見られて、素晴らしいと思ったが、蒸気機関車は木工クラフト技術の総合力を示す作品であり、大小さまざまな部品から成り立ち、それらを正確につくりあげ、組み立てるというのは、そうそう簡単に出来るものではない。展示の部屋の中では図抜けた出来栄えだった。奥さんの作品も古布などを活かした、大小様々なものが造られており、中には販売可能なものがかなり含まれているのではないかと感じた。

   

Tさんの奥さん作の手工芸品。この他にも古布などを利用しての大小様々な作品が陳列されている。

お二人とも工夫するのがお好きで、それが楽しみになっているのが伝わってくる。お二人の合作の作品もあり、微笑(ほほえ)ましいなと思った。我が家では、決して生まれない世界である。

Tさんご夫妻は、くるま旅くらしの中でこれらの作品の製作に取り組んでおられるのが素晴らしいと思う。日本全国、地元の方とふれあいながら、自分の作品作りに必要な情報を集め、材料を手に入れ、そしてコツコツとものづくりに励んで居られる。このような素晴らしいくるま旅くらしをされている方を、自分は他に知らない。Tさんと同じことをするのはとても無理だけど、自分も何かもっと打ち込めるものを探しながら、自分なりのくるま旅くらしをつくりあげたいなと思っている。Tさんご夫妻はくるま旅の理想モデルのお人である。

その後は、旅の話やら、作品の話やら話題は尽きることなく歓談は続いて、お昼をご馳走になり、その後も15時過ぎまでお邪魔をしてしまった。この間、ご主人の工房も見せて頂いた。駐車場を改造して造られた工房には、板挽きのための機械や工具等、自分には解らない幾つかの機械が置かれていたが、その多くは新品ではなく、知人から譲って頂いた物や、使えなくなったようなものをご自分で修理して用いているのだった。鉄工所経営の技術は、切れない刃などは自分で砥いで元に戻してよい切れ味にしてしまうことも可能だとか。真に羨ましい魔法使いの部屋であった。

旅の話の中で、温泉の話題となり、以前お聞きした「温泉博士」というガイド誌が、元々関西以西の温泉の紹介をしていたものが、現在は全国規模に広げて掲載しているという話を聞き、その本に載っている「温泉手形」というのに自分たちもあやかりたいと話したら、じゃあ、今からそれを売っている所に行きましょう、ということになり、Tさんの車で出かけるというようなこともあった。2冊ゲットしたので、これからの旅の間に活用してみようということにした。温泉手形に掲載されている温泉については、無料で入ることができるのである。ここから近い所の温泉も掲載されており、明日から楽しみである。

すっかりご馳走になり、うっかりするとお別れするのを忘れそうになりながら、Tさんのお宅を辞したのは、15時半近くだった。本当にありがとうございました。

さて、明日は今回の八十八ヶ所巡りの旅の総仕上げとして、高野山に参詣する予定でいる。それで、今夜は高野山の入口に比較的近い所にある、紀ノ川沿いのかつらぎ町にある道の駅:紀ノ川万葉の里に泊まろうと思っている。Tさんのお宅を出て、R309を少し走ってR310に入り、河内長野で、R371に入るかどうか迷ったのだが、国道も番号が少ない方が良かろうと、R310をそのまま行って、五條市に出たあとR24で行けばよいとその道を選んだのだったが、初めて通るその道はとんでもない坂道で、道幅も狭くかなりの時間を喰ってしまい、大事(おおごと)だった。これは、R371を選択すべきだったと後悔する。この次は決して間違えないだろうと思う。

そのようなことで道の駅に着いたのは、18時近くになり、すっかり暗くなってしまっていた。夕食はTさんから頂戴した丹波の黒豆の枝豆で一杯やった後、来る途中で買った柿の葉寿司などを頬張って済ませる。今回の旅も終盤に入った。

 

◇「説般若波羅蜜多咒。即説咒曰。掲帝 掲帝 般羅掲帝 般羅僧掲帝 菩提僧莎訶」 般若波羅蜜多心経 

「即ち咒を説いて曰く、掲帝 掲帝 般羅掲帝 般羅僧掲帝 菩提僧莎訶」  般若波羅蜜多心経

この一文は、咒そのものを言っているようだ。要するに真言そのものを音訳したもので、この漢字自体には意味は無いようである。ちなみにその読み方は、「掲帝(ぎゃてい) 掲帝(ぎゃてい) 般羅掲帝(はらぎゃてい) 般羅僧掲帝(はらそうぎゃてい) 菩提僧莎訶(ぼうじそわか) 般若波羅蜜多心経(はんにゃはたみったしんぎょう) という。

何のことか全く解らないけど、訳文によれば、「往ける者よ、往ける者よ、彼岸に往ける者よ、彼岸に全く往ける者よ、さとりよ幸あれ ここに知恵の完成の心が終わった」 ということであるから、知恵の完成を祝福する真言であると思われる。

締めくくりは、知恵の完成を見て、彼岸に到達した者に対する祝福で終わっているということなのであろう。

これで般若心経とよばれているものの一通りの自分なりの理解を述べてみたわけであるが、依然として霞みか雲かの迷霧の中に居る感じがする。しかし、今回の連夜の瞑想(というより迷想?か)の中で、何歩かはこのお経の言わんとするところに近づけたかのようにも思える。

※ お詫びと訂正

  第12日の、善通寺の記事で、四元さんのお名前を奈緒美と書きましたが、これは誤りで、正しくは「奈生美」です。訂正してお詫び申し上げます。

コメント
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