山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

08年 四国八十八ヶ所巡りの旅 (第7日)

2009-01-11 02:50:16 | くるま旅くらしの話

第7日 <10月8日()    

道の駅:あぐり窪川→第37番:岩本寺→道の駅:ビオスおおがた(高知県黒潮町)→第38番:金剛福寺→道の駅:めじかの里土佐清水(高知県土佐清水市)→道の駅:大月(高知県大月町)→第39番:延光寺→一本松温泉(愛媛県愛南町)→第40番:観自在寺→ 道の駅:みま(愛媛県宇和島市)(泊)  <273km

昨夜も、夜の道の駅に集う若者たちの騒音に悩まされた。道の駅は地域の交流機能を持つという狙いがあるので、あまり文句を言うことはできないけど、夜中に大声を発して談笑するというような集まりは、如何なものかと思う。前の晩に引き続いての安眠妨害には、うんざりである。お大師様には申し訳ないけど、どうしても愚痴が出てしまう。やっぱり歩かないとダメなのかなとも思ったりした。

さて、今日は歩きの人には1日かけても次のお寺まで届かないという、厳しい難所の足摺岬方面へ向うことになる。車なので、歩く辛さは全く無い。むしろドライブコースとも思われ、修業の道場という考えに逆行する邪道の道行きとなる。その分心を引き締めて行かなければならないと思った。

先ずは直ぐ近くの第37番札所の岩本寺(いわもとじ)に参詣する。8時前のお寺には誰も見当たらず静かだった。声を上げて般若心経を唱える。何だかいい気分だった。このお寺には思い出がある。15年前、自転車で回った時、参詣を終えて近くの宿に着いた時、納経帳が無いのに気づき驚いたのだった。どこで失くしたのだろうとあれこれ思い起こした結果、このお寺の公衆電話ボックスから家に電話をした時、うっかり納経帳を置き忘れたことに気づいたのだった。もしかしたら無くなっているかもしれないと、慌ててお寺さんに飛んで行ったら、無事に電話ボックスの電話帳の脇にあったので、胸を撫で下ろしたのだった。もう一度37ヶ所のお寺を回るなんてとんでもない話である。15年前も、抜けの多い自分だったが、今はそれがもっと酷くなっている感じがする。気をつけなければと自戒の気持ちを引き締めた。

   

15年前、納経帳を忘れてパニクッた問題の電話ボックスは、そのまま健在だった。

岩本寺を出た後は、足摺岬にある第38番札所の金剛福寺(こんごうふくじ)まで、80kmほどの行程である。四万十市まではR56で、四万十川の橋を渡ってからはR321で土佐清水市に向かい、土佐清水からは足摺スカイラインを登り下って岬の上にあるお寺に着くということになる。

海岸線に近い道も少し山に入った道も通る車は少なく、快適なドライブコースだった。途中大方町(合併して黒潮町)の道の駅:ビオス大方で小休止をする。ビオスとは何のことなのかさっぱり解らない。四万十川に架かる橋を渡って、土佐清水方面へ。足摺岬が近づく辺りの海岸線を、巡礼装束の人たちが何人か歩いているのが見られた。岩本寺を出てから、途中1、2泊をしながらの旅路に違いない。太平洋の潮騒を聞きながら、大地を踏みしめての歩きも意義のあることだろうなと思った。土佐清水からは、足摺スカイラインに入って、細い半島の山道を登る。15年前は有料だった道は、今は無料となっているようで、助かった。15年前は台風が近づく雨の中、7kmに及ぶ坂道を自転車を押して登ったのを思い出す。汗と雨で全身が濡れつくし、靴の中まで水が浸透して、ようやく宿を見つけて風呂に入った時は、足の裏がまるでホルマリン漬けの脳のようになって痛かった。自転車での巡礼は歩きよりも厳しいことが結構多かった。

しかし、今日は何の苦労も無く坂を登り下って、たちまち目的の金剛福寺に到着した。今日は良い天気になって、足摺岬に寄せる波も穏やかな様子だった。照葉樹林に囲まれたお寺に参詣する。本堂、大師堂の他に多宝塔や権現堂などもあるスケールの大きなお寺だった。陽が照って来て暑いのは、さすがに南国であるからなのであろう。

   

金剛福寺の庭園。足摺岬の突端にこのような閑静な空間があるのが不思議な感じがする。

参詣の後は、昼食は土佐清水郊外にある道の駅:めじかの里土佐清水という所で摂ろうと向う。以前来た時にこの道の駅で大型のカツオの半身を捌いて貰い、それが大変へん美味かったのを覚えており、あわよくばもう一度と行ったのだったが、道の駅の売店は、これ以上は寂れないと思われるほど廃(すた)れた状態となっており、全くの期待外れだった。日本で一番元気の無い道の駅ではないかと思った。

軽い昼食の後、次の第39番札所延光寺(えんこうじ)に向う。途中にある大月町のコスモス畑に寄って見ようと、その情報を得るべく道の駅:大月に寄って一応話を聞いたのだが、コスモス祭りは10日ほど後だという。この町のコスモス畑は2千万本というわが国最大の規模であり、3年前に訪れた時にはその広さに度肝を抜かれたのだった。少しは咲いているだろうと行ったのだが、その畑の場所が判らず、結局細い農道をウロウロしただけで、目的地に着くことが出来ず、諦めてパスすることになった。祭りになれば道案内もしっかりするのだろうが、今は何も無くて、以前の記憶などは殆どアテにならず、コスモス畑を見つけることが出来なかったという、お粗末な話である。

気を取り直して延光寺に参詣した後は、宿毛市の先の一本松町(今は愛南町)にある温泉に入ることにした。この温泉は以前にも入ったことがあり、そのときは何かの記念日で料金が200円だったのを記憶している。今回は高齢者扱いで、自分は250円で入ることが出来た。ありがたいことである。3日ぶりの入浴で、溜まっていた旅の疲れを洗い流した。

今日の宿は御荘町(今は愛南町)の道の駅にしようと思って行ったのだが、未だ陽はあるし、それにこの道の駅は泊まりには向いていないと判断し、近くにある第40番札所の観自在寺(かんじざいじ)に参詣した後、宇和島市郊外の三間町(今は合併して宇和島市)にある道の駅:みまに向うことにする。この道の駅には未だ行ったことがない。

宇和島市街を通る頃はすっかり日が暮れて、ヘッドライトを点灯する状況となった。宇和島市は城下町であり、三間に向かう道に出るまでは、曲がりが多くて、結構時間がかかった。18時少し過ぎ到着。広い駐車場があり、なかなか立派な道の駅だった。もう売店などは終っていて、ひっそりとしていた。静かな夜を過せるだろうと思いながら、夕食の準備に取り掛かる。一杯やって早めの就寝はいつもの通りだったが、その後がいけなかった。若者が集まってきて夜遅くまで談笑などの騒音を撒き散らしてくれて、またまた安眠妨害の一夜を迎えることとなった。

◇「度一切苦厄」

「一切の苦厄を度したまえり」というのも不思議な話である。「五蘊(ごうん)皆空なりと照見して」の結果、全ての苦しみや厄介ごとを処置し解決することが出来た、というのがその意味だと思うが、どうしてそうなるのだろうか。これは私には到底解らないことだと思っている。しかし思うには、人間とは何か、自分とは何か、自分は何故ここにいるのか、等々の人生のテーマを厳しく悩み対処してきた人には、その解答の光明が見えたとき、一瞬にして全ての悩みや迷いから解放されることがあるのではないか。簡単に言えば「悟り」と呼ばれている精神現象がそうではないか。苦悩の本体が何かに気づいた時、そしてその気づきが自分の力になった時、人はとてつもないエネルギーを発揮できるのではないか。

ほんの少しの疑似体験だったけど、私自身もかつてそのような体験をしたことがある。悩んで、悩んで、悩み疲れて、ふっと我に帰った時、ハッと気づいたことがある。所詮は、自分は自分であって、自分が出来ることはこれしかない。それ以上のことに対してジタバタしてもどうしようもない、ということに心底気づいた時、人は強くなれるものである。それは小さな悟りではなかったかと思うのだ。

悟りにはレベルがあって、一つの悟りが全てではないと思っている。人間は一つの悟りで人生の全てを乗り越えられるような存在ではない。常に呻吟(しんぎん)しながら、小さな悟りを積み上げなければならない存在なのだと思う。人は呻吟することによって、成長を期すことができるのだと思う。悩み、苦しまない者には大した成長はない。本当の幸せというのは、呻吟の結果手に入れることができるものではないか。何もしないで、楽をすることは決して幸せではない。

少しずれてしまったが、観自在菩薩の悟りというか、気づきは我々のような小さなものではなく、とてつもなく大きなものだったに違いない。この世の存在の本質を「空」と見抜いたとき、その本質がもたらす様々な現象に誑(たぶら)かされることは一切なくなったということなのであろう。凄いことである。

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