山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

08年 四国八十八ヶ所巡りの旅 (第6日)

2009-01-10 02:15:56 | くるま旅くらしの話

第6日 <10月7日()    

道の駅:やす→第28番:大日寺→第29番:国分寺→第30番:善楽寺→第31番:竹林寺→第32番:禅師峰寺→第33番:雪蹊寺→ 第34番:種間寺→第35番:清滝寺→第36番:青龍寺→道の駅:あぐり窪川(高知県四万十町)(泊) <161km

いヤア、昨夜はとんだ騒音に悩まされて熟睡が出来ず、朝起きると少し頭が重い感じがした。真夜中に大勢の人が家族連れなどで、裏の公園に散歩に来るのである。大声での話し声が断続的に続いて、安眠妨害甚だしき状態だった。平日だというのに、今頃の家族というのは、夜間でないとその絆を深めることができないのかと思った。子供たちが喜んではしゃぐ声が混ざって聞こえてくるのである。真夜中は寝るものと相場が決まっていると思っている我々は、現代の感覚では、もはや化石的発想しか持たないと言われてしまうのかも知れないなと思った。車の中で人が寝ているなどということは、一夜の散歩を楽しむ家族連れや若者たちには、全く無関係の存在なのだろう。エチケットなどというものは、何処かへ消え果ててしまった国の現象を目の当たりにした感がした。

さて、今日は高知市近郊のお寺を回る予定である。明日は恐らく足摺岬の方まで行けると思うので、高知市近くのお寺は今日中に回っておきたいと思っている。先ずは、第28番札所の大日寺(だいにちじ)へ。大日寺は、徳島にも同じ名前のお寺があった。勿論山号が違うので、全く同じ名前ではない。お寺には山号と寺号とがあるので、そのようなことになる。国分寺などは各県に一つずつあり、同じ名前は決して珍しいものではない。第29番札所がその国分寺だった。更に第30番善楽寺(ぜんらくじ)を回る。ここまでは比較的近い場所で、山寄りに位置していた。善楽寺には山門がなく、それは隣接する土佐神社の方へ移築されてしまっていた。明治初めの神仏分離策(=廃仏棄却)によるものだという。この施策の犠牲になったお寺は多いが、八十八ヶ所の中にもそれがあったのかと改めて往時の愚策を思い出した。地元の民の長年馴染んできたお寺や神社を、政治のご都合で強制的に変更させるなどとは、後世には恥となる言語道断の愚策である。その結果は現在がそれを証明している。

第31番札所竹林寺(ちくりんじ)は入口が判り難くて、少し道に迷い手間取った。ここもかなりの坂道を登ったのだが、比較的道幅は広くて助かった。第32番禅師峰寺(ぜんじぶじ)は細道の連続で不安を抱えての運転だった。ここまで来ると、お寺さんの特徴をじっくり観察するという心の余裕よりも、運転は大丈夫かという不安の方がずっと気にかかってきている。

   

禅寺峰寺境内からの高知市街海側の景観。右手の半島の下が桂浜。一息つく。

次の第33番雪蹊渓寺(せっけいじ)に行く途中に桂浜があるので、ちょっと寄ってそこで昼食にしようかなと行ったのだが、駐車場が有料で400円も取られるので、つまらんと思い寄るのを止めてお寺に向う。お寺の駐車場でうどんを作って食べた後、参詣に。その次は15分ほど走って第34番種間寺(たねまじ)へ。田んぼの中にある大きなお寺だったが、山門がないのはどうしてなのだろうと思った。

次の第35番清滝寺(きよたきじ)は、とんでもない細道を行くことになり、緊張で幾分命を縮めた感がするほどだった。2kmほどなので、何とかなるだろうと行ったのだが、細い道は益々細くなってうねりながら続いている。離合などとても不可能で、もし停まったら、身動きが出来なくなるという心配ものの道だった。おまけに凸凹も酷くて、うっかりすると車の底を打ちつけるのではないかという心配付の道である。往路はどうにか離合なしでお寺さんの境内にある駐車場に辿り着くことができた。団体さんからよくもまあこんな車でやってきたものだと、呆れ返られるほどだった。急ぎ参詣を済ませて復路となったが、今度はついに途中で3、4台の絡む離合が求められる状況となった。幸いぎりぎりの状態で何とかなったが、薄氷を踏む思いだった。車で参詣する人の多くが、もみじマークの世代で、運転が巧みとは言いかねる人が多いのである。いやはやその後は車の底を打ちつけたりして、もう二度とこの車でこのような所へ来てはならないと心に誓ったのだった。今日までのお寺の中で、最大の運転難所だった。

   

参道の細道の厳しさとは無関係な、静かな佇まいの清滝寺の本堂。

今日の最後は、第36番札所の青龍寺(しょうりゅうじ)となった。予定通りの参詣をこなして、今夜は以前にも泊まったことのある、窪川町(現在は四万十町)の道の駅:あぐり窪川に向う。天気が次第に悪くなって雨降りとなり、未だ17時にはかなり時間があるのに、真っ暗になって早や夜の雰囲気である。寝るのには未だ早過ぎるのは分っているのだけど、温泉も風呂も無いし、疲れも酷かったので、とにかく食事を済ませて、早めに寝ることにする。

◇「照見五蘊皆空」とは何か

さて、深般若波羅蜜多を行じた観自在菩薩が照見したのは、五蘊は皆空だったということだった。この一文にも多くの興味関心を覚える。まず、照見という気づき方にハッとさせられる。辞書を引いても照見などということばは載ってはいない。照らし見るなどと理解したら、これは気づきではなくなってしまう。観自在菩薩が灯りを照らし見ながら何かに気づいたなどという解釈は、愚に尽きる。照見というのは、迷いに迷った凡人が、ハッと光明の道に気づくという、その何百倍もの気づき方を言うのではないか。もの凄いエネルギーを使った混沌の迷いの中から、一筋の真理の光明を見出した時の気づき方が照見なのだと思う。すごいことばだなあと胸が震えるほどである。玄奘という方は天才であったことは間違いない。

五蘊というのは、この世、世界を構成する根源的な要素を指してこのように呼んでいると言う。色(物質的現象)と受想行識(精神作用)の五つの集まりを五蘊というのだそうな。これら五つを一々理屈で解釈しようとするのは難しくて疲れるけど、物質的現象と精神的現象という二つに分けた捉え方なら、それほど難しくはなさそうだ。要するに、我々は物質的現象と精神的現象の世界の中に存在しているということであろう。早い話、身体と心の世界の中で生きているというのが人間としての認識なのだということだ。極々当たり前のこととも思われる。

しかし、愕然とするのは、その次のことば、「皆空なり」という断言だ。物質的現象も精神的現象も全て空なのだという。これは何だか解らない結論である。

「空とは何か」という命題は、長いこと自分を悩ませ考えさせ続け、未だに解決には程遠いテーマなのであるけど、この頃はもしかしたらという、一つの仮説が宿っている。そのことをちょっと書いてみたい。

私は「空」というのは、何もない空っぽというものではなく、「空」と呼ぶ存在を指しているのではないかと思うのである。世の中には何もないなどということは、厳密な意味ではあり得ないと思う。「空」という存在は、例えば素粒子論の世界のようなものではないか。あらゆる物質の究極を解析、追及して行くと、現代科学では素粒子の世界に至り、そこにはクオークというものの存在が確認されているとか。つまりはこの世のありとあらゆるものは、クオークで出来ているということになる。これから先、科学の研究が進めば、更にもっと究極の何かが発見されるのかもしれない。その究極の存在を、観自在菩薩は「空」と呼んでいる様に思う。ミクロのその又何億倍ものミクロの世界から比べれば、蚊トンボ一匹の存在など極めてあやふやなものであろうし、その何億倍もの図体をした人間はこれ又何億倍もあやふやな存在なのだと思う。「空」というのは、我々の通常の感覚では全く感知できないほどの、この世(=宇宙)を形成している本質的なものを意味しているのではないか。観自在菩薩は、そのことに気づいたというのが、今のところ私の見解である。

しかし、これでは物質的現象という一面しか理解できない。もう一つの精神的作用の方はどうなのだろうか。観自在菩薩は、これもまた「空」というコンセプトの中に含めて述べておられるのではないかと思う。つまり、簡単に言えば、心も身体もその本質は「空」という存在によって作られているのだ、ということである。そして、空というのは、空っぽではなく、精神作用を含めた、あらゆる現象をもたらす本質なのである。

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