山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

08年 四国八十八ヶ所巡りの旅 (第18日)

2009-01-23 05:34:59 | くるま旅くらしの話

第18日 <10月19日()    

道の駅:宇陀路大宇陀→(R370R166R165R24他)→薬師寺駐車場(薬師寺→唐招提寺参詣)→(R24R307)→信楽町・陶器店→(R307R1R8)→道の駅:竜王かがみの里(滋賀県竜王町) (泊)  <128km>

今日からは本格的な帰還モードである。邦子どのが帰ってからの介護のこともあるので、25日までには帰宅しようと考えている。今日は久しぶりに奈良の薬師寺と唐招提寺を訪ねてみたい。興福寺、東大寺や春日大社はよく行っているけど、薬師寺の方へはあまり足を向けていない。以前は秋篠寺へよく行ったものだったが、最近はとんとご無沙汰のしっ放しである。今日は時間的に秋篠寺までは無理だと思うので、この二つのお寺をじっくり見学したい。

駐車場が心配だったが、地図を見ると薬師寺近くに専用の駐車場があるらしいので、先ずはそこを目指すことにした。R169に入り、昨日バスで通った道を走って、天理から左折してR24にはいり、北上して奈良市郊外で薬師寺方面へ。入口を間違え、ちょっと迷ったが、直ぐに駐車場が分って、車を入れる。唐招提寺は薬師寺からは少し離れた所にあるけど、十分歩いて行ける所なので、薬師寺の参詣が終わったら車はそのままにして歩いて行くことにした。

以前薬師寺に参詣した時は、本堂の改修工事が行なわれていて、何だか中途半端なお詣りだったが、もうそれもすっかり終了して、少し派手な色彩だけど、国宝の薬師如来像を真ん中に置いた金堂の佇まいは、このお寺らしさを十二分に醸し出していた。

   

薬師寺西塔。再建されてまだ間もないらしく、装飾もきらびやかである。

薬師寺東塔。こちらはその昔からの風格を十二分に備えた、このお寺一番の貫禄ある存在に思えた。

東塔、西塔の佇まいも良い。五重塔はなかなかうまくカメラに収まらなくて、カメラアングルを求めてあちこち走りまわった。何しろ大枚の観覧料を払っての入場なので、十二分にカメラを活用する必要があると考えた次第である。そして、このお寺にはそれだけの価値のある歴史と建造物が残されている。その一番が東塔だと思う。仏像の方は、国宝が幾つかあるが、これらは写真撮影を遠慮させられるので、自分の安物のデジカメでは気の効いた写真を撮るのは無理である。ま、しかし精一杯動きまわった次第である。

その後、金堂から奥にある玄奘三蔵院の方へ歩く。このお寺は玄奘三蔵との縁があるらしい。詳しいことはあまり気にしないが、般若心経は玄奘三蔵法師の訳書なのであるから、ここにお詣りしないで済むわけにはゆかない。中に入ると、平山郁夫画伯の仏教に絡む砂漠を歩む玄奘法師の駱駝での旅の絵が収められていた。信教の心の強さのすごさを感じた。

ここで、はぐれていた邦子どのと会う。お互いにちょろちょろ歩き回るので、なかなか一緒になることはない。偶然再会()して、その後は600mほど歩いて、唐招提寺へ。

唐招提寺に行くと、どうやら本堂は修理の最中らしい。拝観は叶わず少しガッカリしながら境内を散策する。一番印象的だったのは、境内の中にある崩れかかった古い垣根と青い苔の庭、そして鑑真和尚のお墓だった。

   

唐招提寺の古びた土づくりの門塀。歴史の重さを実感させられる。

古びた本物の存在が胸を打つのは本物の証拠であろう。万難を排して日本からの招請に応えて来日してここに布教の拠点を構えた、中国からのお人に心を震わされないわけには行かない。

   

木立に囲まれた鑑真和尚の墓。国を超越して衆生の救済のために此処に骨を埋められた偉人の魂が静かに眠っている。

薬師寺ほどの規模ではないけど、このお寺の歴史にはそれなりの重さを感じたのだった。

5時間近くの時間をかけて、二つのお寺をじっくり見て廻った。14時半近く、帰途への出発に就く。帰りは、温泉博士の温泉手形を楽しみながら、岐阜から信州の方を経由して行くことにしている。今日はこれから琵琶湖方面へ行く考えなのだが、未だ通ったことのない焼き物の里、信楽を通って行くことにした。その先、栗東か竜王の道の駅にでも泊まろうかと考えている。

24からR307に入って信楽の町へ。この町は焼き物の世界では有名だが、初めて訪れてみて、大小さまざまな狸の出迎えにびっくりした。

   

大小さまざまな信楽焼のタヌキ君たち。いやあ、こんなに賑やかな焼き物の里だとは思わなかった。

一軒の店に立ち寄り、中に入って様々な焼き物を見物したが、買いたいと思うものは無かった。全体が重い感じで、益子の焼き物に似ているなと思った。なるべく軽いものが欲しいと思っているのだが、磁器でないとその願いは叶わないと思っている。

信楽を経てR1を少し京都側に向かって走った後、R8に入り、竜王の道の駅に到着。メイン国道の傍にあり交通量が多く、夜間は騒音に悩まされるかもしれないけど、かなり広い駐車場があり、ま、何とかなるだろうと、今日はここにご厄介になることにした。もう辺りはすっかり暗くなっており、付近をウロウロする気も起こらず、そのまま夕食の準備をして、夜を迎えることになった。

◇般若心経のさ迷い(締めくくり)

今日までの旅の間、般若心経の世界をあれこれとめどなくさ迷ってきた。これから後もさ迷ってゆくのだと思う。八十八ヶ所巡りは、般若心経を通して、改めてこれからの人生の意味を考えるに大変有効な旅だった。発心→修業→菩提→涅槃という四つの国のお寺巡りは、我々の人生の姿そのものである。生まれ出でてもの心ついた時から、人は己を取り巻く小さくも大きな世界で、修業の連続である。この世に修行をしない人間など一人も居ない。生きることそのものが修業なのであるから。そしておぼろげながらこの世に生きていることのありがたさや意味に気がつき、やがて安静の世界へと誘われて行く。それが人間の一生である。そのことを八十八ヶ所巡りは教えてくれているに違いない。そして、それは生きている現在を目一杯享受することの大切さを教えてくれているように思う。

車での八十八ヶ所巡りでは、あまりにも安易な方法なので、生のありがたさをしみじみと実感できるのにはほど遠いと思っている。自分の足を使って、大地を踏みしめながらであれば、その一歩一歩から命の大切さが伝わってくるに違いないと思う。その意味で簡便法というのは真理を体得するには無理があるのかもしれない。しかし、12日間の強行軍と般若心経の世界のさ迷いは、いつものグータラな旅とは違った実りを得ることが出来たように思っている。

コメント
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