山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

失礼しました

2009-01-07 16:22:41 | 宵宵妄話

 5日から今日までの二日間、急に思い立って小さな旅に出ました。温泉を楽しむことを核とする、老人の思いつきの旅であります。そのためブログを発信することが出来ず、勝手な休みとなってしまいました。このようなことは、これから先も頻繁に起こるかもしれません。老人の気まぐれとしてお許しあれ。

 知らない人は知らないと思いますが、知っている人は誰でも知っている、茨城県は北茨城市の五浦(いずら)という所に行って来ました。五浦といえば、明治のわが国美術界の偉大なる指導者、岡倉天心師が住まわれ、明治期の画壇の俊英を集めて育てられた地でもあります。太平洋に小さく突き出た巌の岬の景勝の地ですが、此処の地に往時の俊英が集まったというのは、今の時代では想像もつかない奇跡のような感じがします。

そこへ行ってきました。といっても、岡倉天心師への思いを訪ねるというような大それたことではなく、単に岬の突端に湧出する名泉に浸りたいというだけのことなのです。その露天風呂に浸りながら、遠く太平洋に浮かぶ巨大なタンカーの往来を眺めつつ幾ばくかの時間を楽しんだのでした。その夜の宿は、勿論我が愛車の中、思ったよりも暖かい冬の一夜を海辺の広場で静かに過したのでした。

 翌日朝一番の日の出は、今年の守谷の中途半端なそれとは大違いのすばらしいものでした。お天道様に向って拝みたくなる日本人の気持ちが良く解る気がしました。 

   

五浦の岬の灯台近くからの日の出。水平線から浮かび上がる太陽には、何ともいえない温かさがある。   

ご来光を拝した後は、五浦の天心先生の住まいなどを訪問して、久しぶりに往時の魁(さきがけ)を行く人の心に思いを馳せたのでした。横山大観、町田春草他、往時の画壇の俊英の師として、ゆるぎなき信頼の核に居られた人の生き様は、六角堂という太平洋に面した波浪をまともに受けて見下ろす小さな坐居にその姿を思い浮かべれば明らかなことだなと思いました。

   

岡倉天心が座して瞑想と読書等に時を過したという六角堂。直ぐ下まで巌に砕けた太平洋の波浪が飛沫となって打ち寄せる。

 小さな記念館の中には、平櫛田中(ひらぐしでんちゅう) 師の名作五浦釣人という天心先生をモデルに刻んだ像が据えられており、何年か前まで平櫛田中先生が住んでおられた小平市の記念館で何度も見た塑像の小さなものと比べて、圧倒的な迫力を感じたのでした。小平市には縁があって、20代の頃から還暦を迎える近くまでお世話になったものですから、田中(でんちゅう)先生のお住まい跡へも何度も訪問し、その度に五浦の天心釣像に心引かれていたのですが、改めて、その時代を超越した生き様の岡倉天心という方の凄さを再確認すると共に、釣り船を出して糸を垂れる普通の人の心境を嬉しく感じたものでした。

 五浦のあとは、山を超えて茨城県北部の大子町に寄り、そのあといつもの喜連川(栃木県さくら市)の露天風呂に入り、少し南の芳賀町の道の駅に泊まって、今日は真岡市の真岡井頭温泉というのにちょっぴり浸って、先ほど帰宅したところです。

 明日から再び八十八ヶ所巡りの記録を紹介させて頂きます。
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08年 四国八十八ヶ所巡りの旅 (第3日):その1

2009-01-05 00:13:53 | くるま旅くらしの話

第3日 <10月4日() 

道の駅:藍ランドうだつ→第10番:切幡寺→第11番:藤井寺→第12番:焼山寺→道の駅:温泉の里神山(徳島県神山町)→第13番:大日寺→第14番:常楽寺→第15番:国分寺→第16番:観音寺→ 第17番:井戸寺→第18番:恩山寺→第19番:立江寺→道の駅:阿南市那賀川(徳島県阿南市)(泊) <137km

朝4時ごろ人の話し声で目を覚ます。何だろうと外を見たら、ご老人らしき数人がトイレ近くの街灯のある椅子に腰を下ろして、何やら世間話をしているようだった。早朝散歩に出かけて来たのか。それにしては早過ぎると思うけど、如何に早く目覚めてしまうといえども、群れを成しての談笑は止めて貰いたいなと思った。道の駅は集会所として使いやすいのかもしれない。

昨夜徳島に在住のYさんから電話があり、帰りに寄るようにとのお話があった。今回は誰にも分らない様にと一切連絡などしなかったのだが、ブログで旅の行程程度は紹介しようと投稿していたものだから、それをご覧になってのお電話だった。ありがたいことだと思った。そのときのお話の中で、これも旅の知人のFさんが、しまなみ海道のウォーキングのイベントに参加すべく四国に来られていて、追突事故に遭われて、車を大破されたという話があった。停車中に大型のトラックにやられたのだという。幸い怪我の方はなかったというので、安心したのだが、明日は我が身となるやも知れず、要注意である。

さて、今日はどこまで回れるか、先ずは昨日途中で諦めた切幡寺に向う。ところが初っ端(ぱな)から昨日の道の入口を間違えてしまい、到着に少し手間取ってしまった。幽山渓谷の趣のある境内をしばし歩いて参詣する。なかなか風格のあるお寺だった。

その後は、吉野川の橋を渡って、四国山脈側にある第11番札所の藤井寺(ふじいでら)へ。ここから先が難所となる。藤井寺の参詣を終えた後は、今日最大の難所といえる第12番札所の焼山寺(しょうざんじ)へ。急な坂道を1時間以上登り下って、ようやく山の向こう側と思(おぼ)しき所へ出た。そこからお寺までは、再び細い山道を行かなければならない。SUN号で行けるのかどうか心配だったが、入口の所でバスの運転手の方に聞いたら、マイクロバスも行っているからで大丈夫だということだった。片道8kmもあるので歩くと大事(おおごと)になる。それを聞いてホッとしたのだが、行ってみるとその先の道行きは、運転者にとってはハラハラの連続だった。参詣のことよりも先ずは運転に集中しなければならない。到着した焼山寺は、数百年を経た杉の大木に囲まれた、古刹十分の趣があるお寺だった。

  

焼山寺山門への急な石段。鬱蒼と茂る杉の大木に囲まれて本堂や大師堂が鎮座している

歩いての巡礼の方も多く見受けられ、ご苦労の甲斐あって辿り着いた人には、心からありがたさを感じられる雰囲気があるお寺であろうなと思った。

  

焼山寺境内を行くお遍路の二人連れ。ここまで来るにはかなりのきつい山道を登ってこられたのであろう。本当にお疲れ様です。

来た道を戻って、更に鮎喰川に沿って神山町の道の駅に寄り、ここで昼食とする。難所を終えて一先ずはホッとした気分である。

昼食の後、再びお寺回りを開始。これからは山の方から少しずつ徳島の街中に入ることになる。先ずは第13番札所の大日寺(だいにちじ)へ。このお寺は一宮の大日寺とも呼ばれており、道路を挟んだ直ぐ向かい側に阿波一宮神社がある。その昔に一宮が立てられた時に、その別当寺となったとか。別当寺とは、神仏習合説に基づいて神社に設けられた神宮寺の一つである、と広辞苑にある。神仏習合説とは、要するに神様と仏様を一緒にして扱うという信仰であり、これは明治初年の神仏分離令によって分けられたのである。ここはその代表的な例に該当する場所ということ。15年前自転車で回った時、この近くの巡礼宿に泊まったことを思い出し、その宿を覗いてみたが、昔と少しも変っていない様子を見て少し嬉しくなった。

第14番の常楽寺(じょうらくじ)以降は、第15番国分寺(こくぶんじ)、第16番観音寺(かんおんじ)、第17番井戸寺(いどじ)と人家の多い中にあって、狭い道路や駐車場に苦労しながらの参詣だった。特に常楽寺と観音寺への道は細く、狭い駐車場も満車状態で、動きの遅いSUN号には厳しい状況だった。どうにか参詣を済ますことが出来た。

第18番恩山寺(おんざんじ)からは徳島市を離れて小松島市の方に入ることになる。恩山寺は弘法大師の御母上様ゆかりのお寺だとか。16時を過ぎて少し暗くなり出していた。次の第19番立江寺(たつえじ)まで行くことにして先を急ぐ。立江寺に着いたのは17時少し前だった。所定の駐車場に入れようと思ったら、そこは有料で何と1000円もするのである。機械での管理なので、この車だと先ず普通車扱いにはならないだろうと判断して、入れるのをやめ引き返して、お寺の近くに公民館の駐車場があったので、ちょっとの間そこへ停めさせて頂くことにした。街中の狭い中に設けられた駐車場でも無料だったのに、どうしてこのお寺だけ高額の駐車料を要求するのか良く分らない。お布施代りなのであろうか。お寺は古刹の趣に溢れた立派なものだったけど。

立江寺で今日の時間切れとなる。今夜の宿は、何度も泊まっている道の駅:公方の郷なかがわ(現在は阿南市に合併して、阿南市那賀川という呼び名に変更されていた)にすることにして向う。着く頃にはすっかり日が暮れて辺りは薄い暗闇の中だった。売店も終って、ひっそりとした感じだった。今日は難所の焼山寺を含めて9ヶ所のお寺を回り、邦子どのはかなり疲れたようだ。お寺巡りにもいろいろあるが、巡礼のスタイルとなると、のんびりゆっくりというのは難しい。此処が終われば、直ぐ次へと、どうしてもなってしまう。彼女はそのことに気づかなかったのだと思う。とにかく夕食を済ませ、早めの就寝となる。

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08年 四国八十八ヶ所巡りの旅 (第3日):その2

2009-01-05 00:12:54 | くるま旅くらしの話

◇観自在菩薩とは(1)

さて、今夜からこのお経に書かれていることについて、自分の思いを綴ってみたい。先ずは、このお経の主役である「観自在菩薩」という存在についてである。「観自在菩薩」とは何なのだろうか?誰を指すのだろうか。仏教という宗教の創設者が釈迦というのであれば、本来このお経の主役もお釈迦様であって不思議はないと思うのだが、何故か観自在菩薩となっている。どうやら観自在菩薩というのは、我々が慣れ親しんで呼んでいる観音様のことらしい。違う説もあるということだけど、自分としては観音様と同じと考える方がわかりやすい。

ところで、観音様というのはどのような仏様なのであろうか。仏にも位というのがあって、如来とか菩薩とか詳しいことは解らないけど、観音様は菩薩の位だという。如来と菩薩がどう違うかなどということには関心がない。どうせお釈迦様の感知しない世界で、後世の人間どもが現世の治世のしくみを真似て作ったに違いないからである。私は、仏教は一切の差別をしない宗教だと思っている。宗教戦争を起こさないのが仏教だと思っている。少なくともわが国の国内においては、宗教戦争はなかったと思っている。本物の平和主義は仏教の考え方の中にあると思っている。それが誤解であっても構わないと思っている。

観音様の考えは、観音経というお経に書かれていると思っているが、これまた難しくてよく解らない。随分昔、京都の清水寺の貫主だった大西良慶師の話を聞いたことがあるが、その中で師は観音経について、そのエッセンスは①施無畏(せむい)と②即時観其音声、皆得解脱(そくじかんごおんじょう、かいとくげだつ)であるとおっしゃったのを思い出す。①の施無畏とは、恐れのない心を施すという意味とのこと。恐怖や心配事で悩み苦しむことを無くして下さるという意味であり、又もう一つの②の即時観其音声、皆得解脱というのは、(困ったリ悩んでいる人が、観音様に向って)どうぞお助けください!という願いに対して、即座にどんな悩みや困ったことでも解決して下さるという意味である、ということをお話しされたのだった。

人間大衆にとって、これほど便利で都合の良い仏様はいないのではないか。大小様々な悩みごとを抱えて生きている衆生(しゅじょう)にとっては、お願いすれば直ちにそれを解決してくれるというのは、こんなありがたいことはない。そして観音様は様々な姿に変身して衆生の悩みを解決して下さるという。時には馬の姿になって、衆生の悩みを馬が草を食むようにバクバクと食べてくださるという。これは馬頭観音と呼ばれている。衆生の無数の悩みを救うために、千の手を差し伸べている姿は、千手観音であるというように、観音様は全ての人間を、様々な恐れ(=畏れ)から救って下さる優しい仏様なのである。変身の数が33もあり、それゆえに観音巡りの数は33が基本となっているとも聞く。

ところで、観音様というのは本当に存在するのであろうか。存在するとすれば、何処におわすのであろうか。眠れぬ夜は、いろいろと想いがさ迷う。

   

 我が家の仏壇の聖観音菩薩像。小さな木彫りの仏像だけど、そのご利益(りやく)はとてつもなく大きい。

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08年 四国八十八ヶ所巡りの旅 (第2日):その1

2009-01-04 01:37:40 | くるま旅くらしの話

第2日 <10月3()    

道の駅:伊賀→(R25・西名阪道・近畿道・中国道・神戸淡路鳴門道)→淡路SA→(R28)→道の駅:うずしお(兵庫県みなみあわじ市)→(鳴門大橋)→第1番:霊山寺→第2番:極楽寺→第3番:金泉寺→第4番:大日寺→第5番:地蔵寺→第6番:安楽寺→第7番:十楽寺→第8番:熊谷寺→第9番:法輪寺→第10番:切幡寺 →道の駅:藍ランドうだつ(徳島県美馬市)(泊) <325km

早いペースでここまで来てしまった。これから先、大阪・神戸市街は一般道を行くのを避けて、自動車専用道を行けば今日中に幾つかのお寺を回ることができるのではないかと思った。車にETCを取り付けていないので、丸々所定料金を取られるのが何となく癪だけど、普段高速は乗らない主義なので、今更文句を言っても仕方がない。

朝食の後、少し早めに出発。高速道を走り継いで中国道から神戸淡路鳴門道に入って、明石海峡大橋を渡り、淡路HO(ハイウエイオアシス)にて休憩する。丁度10時。伊賀から2時間半で大阪・神戸を通過したことになる。東京以上に密集した建物の中を見下ろしながらの走りだった。慣れない高速道なので、間違えないよう神経を使う。ナビなし主義なので、頼りとするのは道路案内の看板と地図だけである。市街地からいきなり山の中に入って、やがてトンネルを抜けると世界一の吊橋の明石海峡大橋だった。ここを通過するのは3度目だろうか。あっという間の5kmである。HOで休憩の後は、高速道を降りて一般道を大鳴門橋へ向う。淡路島の一般道を走るのも楽しみの一つである。

HOから見る明石海峡大橋は、やっぱりスケールの大きいものだった。よくもまあ、このような巨大な建造物を造れるものだと、人間という生き物の持つ力の壮大さに呆れかえるほどである。今までフェリーでしか渡れなかった淡路島へ、今は僅か10分足らずで来てしまって、対岸を見ることが出来ているのだ。海峡を激しく行き交う船を見ながら、しばらく休憩をする。

   

明石海峡大橋を渡る。車の中から撮ったもの。巨大な建造物の中を走っているという実感は無く、あっという間に淡路島側に到着した。

一般道に入って、2時間ほどかけて淡路島を縦断する。前を走っている軽トラを見てふと気がついたのだが、ここの車は神戸ナンバーである。くるま旅の折は、ナンバープレートに結構注目し、どこから来ているのかを話題にしたりすることが多いのだが、淡路島から来られた方は神戸ナンバーなのである。随分とイメージが異なるけど、考えてみれば、淡路島は兵庫県の内だし、岩屋などは神戸とは至近距離にあるのだから不思議ではない。しかし何だかちょっぴり違和感を感ずるのは、淡路島がタマネギや花卉類の産地であり神戸のイメージとはかけ離れて、関東人の自分の頭には滲みこんでいる。こんなことを言ったら、淡路島在住の人には不興を買うことになるのかもしれない。

いつの間にか軽トラさんと別れて、南淡の急な坂道を登り道の駅:うずしおへ。淡路島の南端にある、眼下に渦潮を見ることが出来る道の駅である。もの凄い場所に道の駅を造ったものだと、毎度ここへ来る度に感心する。今日は少し時間に余裕があるので、今まで行ったことが無かった、海に向う坂を下りて渦潮を見物することにした。鳴門大橋の巨大な橋桁の向こう側に幾つかの渦が望見できた。近くを通る船は流れに逆らう方向からは、前進が困難と思えるほど遅いスピードとなって、僅かに動いているのが見える。一見平のように見えるけど、潮の流れは急流となっているのであろう。大自然の強大なエネルギーを目の当たりに見る思いである。

   

大鳴門橋と渦潮。この橋が完成した頃は高松に住んでいたのだが、四国と淡路島がつながっても、まさか淡路島が神戸と橋でつながるとは思わなかった。

車に戻って、その後は高速道に入る。四国に渡るためには高速道で大鳴門橋を通らなければならない。次のICで降りると後が面倒なので、もう一つ先の鳴門ICで出て、一般道へ。いよいよ間もなく霊山寺(りょうぜんじ)である。八十八ヶ所巡礼の開始である。13時30分、第1番札所の霊山寺に到着。

本来の八十八ヶ所巡礼では、白装束に杖を持ち、笈(おい)を背負って、鈴を鳴らしながら歩くのだが、現代は様々で、あまり形には囚われないようである。お寺に着いたら、持参した写経(般若心経)又は納め札(年月日と住所、参拝者名を書いたもの)を収め、般若心経他のお経を唱えて参詣するというのが基本スタイルである。又各寺を回った証として納経帳や掛け軸などを用意し、それにお寺さんで寺名と朱印を押して貰うことをするのだが、我々の今回の考えとしては、

①白装束などはしない

②杖は登山用のストック

③納経帳も掛け軸もしない

④お寺の写真を撮る(山門・本堂・大師堂・鐘楼・多宝塔など固有の建造物)

⑤写経は用意していないので、納め札を用いる

⑥本堂か大師堂で必ず般若心経を唱える

というのが参詣の基本スタイルである。特に重視しているのが、④のお寺の写真を撮るということで、これは天候などに左右されるので、お寺によっては、かなり厳しい状況が予想される。

霊山寺は、何度も参詣しているので、懐かしさを覚えるお寺である。徳島県は発心(ほっしん)の道場と呼ばれているが、霊山寺はその第1番目のお寺であり、通常はここから巡礼が始まるのである。お寺を若い番号順にお詣りするのを順打ちといい、大きな番号から始めるのを逆打ちと呼んでいる。実際にはいろいろ順序が混ざり合って八十八ヶ所となる場合が多く、それはその人のフリーでいいのである。我々は、今回は基本的に順打ちで回って行きたいと考えている。

15年前に八十八ヶ所を自転車で回った時の資料を持参したのだが、案内図などはかなり変わっているだろうと、新しいものを1冊求めた。納め札は15年前の余ったものがあり、これは変っていないので、そのまま使うことにした。

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08年 四国八十八ヶ所巡りの旅 (第2日):その2

2009-01-04 01:36:49 | くるま旅くらしの話

   

 四国八十八ヶ所霊場、第1番札所、霊山寺の仁王門。巡礼はこの門を潜って、本堂、大師堂等を拝しながら開始される。

霊山寺の参詣を終え、次の2番札所の極楽寺(ごくらくじ)に向うが、その前に近くにある道の駅:第九の里というのをちょっと覗いてみた。格別変ったこともない小さな道の駅だった。第九というのは勿論ベートーベン作曲の交響曲のことで、ここはかつて第1次世界大戦の時のドイツ軍の捕虜を日本が預かった場所だという。その収容所の跡に記念館が建てられ、その近くに新しく道の駅が出来たということだった。

極楽寺は道の駅から5分もかからない所にあり、20分ほどで参詣を済ませる。次の3番札所の金泉寺(こんせんじ)も直ぐ近くなのだが、案内板に従って細い道を行くのはキャンピングカーとしてはヒヤヒヤものである。この辺には撫養街道(県道12号線)に沿って左右にお寺が点在している。しかし撫養街道を走るのはほんの少しで、お寺からお寺への移動道路は殆どが細い町道となる。これからずっとそのような走りとなるかと思うと、些か複雑な気持ちとなった。これも修業の一つなのだと思い直したのだった。

一つのお寺に20分ほどかけての参詣だった。第4番札所大日寺(だいにちじ)、第5番札所地蔵寺(じぞうじ)、第6番札所安楽寺(あんらくじ)、第7番札所十楽寺(じゅうらくじ)、第8番熊谷寺(くまたにじ)、第9番札所法輪寺(ほうりんじ)と回って、この頃になると日が暮れ出した。次の第10番札所の切幡寺(きりはたじ)まで何とか回ろうと行ったのだったが、車を降りてお寺への坂道を歩き始めた所で、こう暗くては写真の撮影は無理だと判断して参詣を諦め引き返すことにした。

今夜の泊まりは、少し遠いけど脇町(現美馬市)の道の駅:藍ランドうだつにお世話になることにして向う。この道の駅には以前も泊まったことがある。1時間ほどかかって到着。半日は大都市圏を走り続けて、後の半日は気持ちを切り替えてのお寺巡りとなった。それにしても今日中に第10番札所まで回ることが出来るとは思わなかった。頭の中をいろいろな思いが駆け巡って、若干疲れた感じがする。夕食の後は、早めに寝床にもぐりこむ。

◇般若心経の読み方

今回の旅では、岩波文庫のワイド版の「般若心経・金剛般若経」(中村元・紀野一義訳注)を持参した。200余ページの内、般若心経の部分は40ページに満たない短いものである。何度も読んでいるけど、本当のところは謎である。心経にもいろいろあるらしいが、一般的には三蔵玄奘法師が訳されたというものが取り上げられていると聞く。漢字で書かれているので、棒読みではない読み方で、何が書かれているかを知ることが出来る。それをここに参考までに記しておくことにしたい。

般若波羅蜜多心経       唐の三蔵法師玄奘訳す

観自在菩薩、深般若波羅蜜多(じんはんにゃはらみった)を行じし時、五蘊(ごうん)皆空なりと照見(しょうけん)して、一切の苦厄(くやく)を度したまえり。舎利子よ。色(しき)は空(くう)に異ならず、空は色に異ならず。色は即(すな)わち是れ空、空はすなわちこれ色なり。受想行識(じゅそうぎょうしき)もまたかくのごとし。舎利子よ、この諸法は空相(くうそう)にして、生ぜず、滅せず、垢(あか)つかず、淨(きよ)からず、増さず、減らず、この故に、空の中には、色もなく、受も想も行も識もなく、眼も耳も鼻も舌も身も意もなく、色も声も香も味も触も法もなし。眼界(げんかい)もなく、乃至(ないし)意識界もなし。無明(むみょう)もなく、亦(ま)た無明の尽くることもなし。乃至(ないし)老も死もなく、亦た老と死の尽くることもなし。苦も集も滅も道もなく、智もなく、亦た得もなし。得る所なきを以ての故に、菩提薩埵(ぼだいさった)は、般若波羅蜜多に依るが故に、心に罣礙(けいげ)なし。罣礙なきが故に、恐怖(くふ)有ることなく、(一切の)顚倒夢想(てんどうむそう)を遠離(おんり)して、涅槃(ねはん)を究竟(くきょう)す。三世諸仏(さんぜしょぶつ)も般若波羅蜜多に依るが故に、阿耨多羅三藐三菩提(あのくたらさんみゃくさんぼだい)を得たまえり。故に知るべし、般若波羅蜜多は是れ大神咒(だいじんしゅ)なり。是れ大明咒(だいみょうしゅ)なり。是れ無上咒なり。是れ無等等咒(むとうどうしゅ)なり。能()く一切の苦を除き、真実にして虚ならざるが故に、般若波羅蜜多の咒を説く。即ち咒を説いて曰く、掲帝(ぎゃてい) 掲帝 般羅掲帝(はらぎゃてい) 般羅僧掲帝(はらそうぎゃてい) 菩提僧莎訶(ぼうじそわか)   般若波羅蜜多心経 

大変難しい仏教の世界のことばが述べられており、一々解説註をを読まないと意味がわからないのだが、何百回とお経を誦していると、何となく言っていることが解る様な気持ちになってくるのが不思議である。

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08  四国八十八ヶ所巡りの旅 つぶやき日記(第1日)

2009-01-03 00:18:21 | くるま旅くらしの話

はじめに

新年おめでとうございます。一層の多難さが予想される今年ですが、先ずは皆様と共に健康に留意しながら、着実に毎日を送ってゆく所存です。今年もよろしくお願いいたします。

昨年晩秋、思い立って四国八十八ヶ所巡りの旅をしました。3週間程度の短い旅でした。お寺を巡りながら、長いこと読み親しんできた般若心経のことに思いをめぐらしてみたいという思いもありました。それで、そのことをつぶやきとして旅日記の中に織り込んで見ました。まとまりの無い般若心経の我流解釈となってしまいました。先ずはしばらくの間、お読み頂ければ幸甚です。

 

08  四国八十八ヶ所巡りの旅   つぶやき日記

期 間:10月2日~10月23日

宿泊日数:21泊22日

総走行距離:3,695km

旅の人:山本拓弘&山本邦子

旅のくるま:SUN号   

 

<旅に出る前に>

このところくるま旅のスタイルもややマンネリ化に陥っている感じがしている。何時までも同じような旅をしていても、別にどうってことは無く、自分の好きなようにすれば良いとは思うのだけど、自分自身に対しても天邪鬼的なところがあり、いつも違うものを求めたいという気持ちがあるのだ。

それで、今回は急に思い立って、四国八十八ヶ所巡りの旅をして見たいと、飛び出したのだった。というのも、家内の母が介護を必要とするようになり、もはや病の完治は神頼みしかないとも思われ、命を全うするまでは安楽に行けるように仏様にお願いするのも一つの道なのかも知れないし、又これを機に般若心経の世界をさ迷ってみたいとも思ったのだった。

三十数年前、転勤で高松に5年ほど住んでいたことがあり、そのときにも八十八ヶ所は回っており、更に15年程前には自転車で13日かけて八十八ヶ所を回ったという経験もある。八十八ヶ所巡りに特別の関心があるわけではないのだけど、お寺さんを八十八ヶ所も回れば、何かのご利益があるのかもしれないなどという気持ちがどこかにあるのと、一方では単純にあの閑静なお寺の持つ雰囲気を味わい続けたいという思いがある。信心の深さから言えば、一番低いレベルだと自覚しているけど、お釈迦様の論理というのは、解らないなりに尊敬している。2600年も前に、人間の生き方についてこれほど深く洞察を極めて説明しているのは凄いことだと思う。もしその時代にインド(ネパールかも)に住んでいたなら、志願してお釈迦様の弟子になったに違いないと思う。勿論布教などということは無関係に、人生の師として仰ぎたいという気持ちからである。

般若心経は、若いときから折に触れ何度も読み、考えてきているけど、未だに霧の中にいる感じでそれを読み、唱えたりしている。間もなく古希を迎える歳となって、お寺巡りの旅の中で、もう一度心経の世界をさ迷ってみるのも悪くは無いのでは、と思ったのだった。

 

第1日 <10月2日()

自宅 → (R294・常磐道・首都高速道・東名道) → 海老名IC → 富士川SA → 焼津IC」 →(R1R23)→ 豊明IC → (伊勢湾岸道・東名阪道)→ 御在所SA → (R25)→ 道の駅:伊賀(三重県伊賀市) (泊)  <530km

 

今日は移動日である。少しでも早くとにかく四国に入ってしまいたいと考え、何時もは使わない高速道も必要に応じて使って、明日中にはお寺参りに取り掛かりたいと考えている。

11時半、守谷の我が家を出発。直ぐ近くの谷和原ICから常磐道に入り、首都高、東名道と継いで、都心を通過する。東京・神奈川の市街地を横切って東海道を西に向う時には、この方法しか無い。一般道を行ったりしたら、それだけで1日は掛かってしまうに違いない。高速道だってうっかりすると半日くらい掛かることがあるのである。思ったよりもスムースに通過できて、先ずはホッとする。このままずっと東名を行けば楽なのだが、焼津からはR1を行くことにしてICを降りる。豊橋まではバイパスが走っており、渋滞を避けて走ることができるので、それほどストレスは溜まらない。豊橋も大した渋滞も無く通り過ぎ、伊勢湾岸道に入るために豊明ICへ。

当初は伊勢湾岸道の刈谷HO(ハイウエイオアシス)で泊まろうと考えていたのだったが、湾岸道に入って直ぐのはずなのになかなかその案内板が出てこない。しばらく走って、もしかして豊明は既に刈谷を過ぎているのでは?と気づいた。というのも持参した地図が古くて、未だ伊勢湾岸道が載っていなかったのである。土地勘が無いととんだドジをするものだなと、改めて思い知った。既に暗くなっている湾岸道を走りながら、確か東名阪道の御在所にSAがあったなと思い出し、今夜はそこで泊まることにしようと向う。

着いてみるとトラックの大群が所狭しと駐車して、エンジンを噴かして停まっていた。何とか我慢しようと、先ずは売店で夕食の肴を買い、泊まる準備をした。しかし、あまりの騒音と空気の悪さに、相棒の顔を見ると穏やかならぬ様子が窺えた。この分では夜間になって気持ちが悪いなどと言い出すに違いないと思い、ビールを飲む前にここに泊まって良いのかを確認すると、やっぱりノーということだった。既にかなり気分が悪くなり出していたようである。

大急ぎで道の駅などを調べたら、少し先のR25沿いに伊賀というのがあるので、急遽そこへ行くことにして出発。暗い中をヘッドライトの灯りを点して1時間ほど走って到着。ここもかなりのトラックが停泊していたが、御在所よりは遥かにクリーンだった。とにかく我慢して寝ることにして、遅い夕食の後は寝床へ。500km以上走ったのは久しぶりのことである。

◇般若心経のこと

  般若波羅蜜多心経      唐三蔵法師玄奘譯

観自在菩薩。行深般若波羅蜜多時。照見五蘊皆空。度一切苦厄。舎利子。色不異空。空不異色。色即是空。空即是色。受想行識亦復如是。舎利子。是諸法空相。不生不滅。不垢不淨。不増不減。是故空中。無色。無受相行識。無眼耳鼻舌身意。無色声香味触法。無眼界。乃至無意識界。無無明。亦無無明尽。乃至無老死。亦無老死尽。無苦集滅道。無智亦無得。以無所得故。菩提薩埵。依般若波羅蜜多故。心無罣礙。無罣礙故。無有恐怖。遠離一切顚倒夢想。究竟涅槃。三世諸仏。依般若波羅蜜多故。得阿耨多羅三藐三菩提。故知般若波羅蜜多。是大神咒。是大明咒。是無上咒。是無等等咒。能除一切苦。真実不虚故。説般若波羅蜜多咒。即説咒曰。掲帝 掲帝 般羅掲帝 般羅僧掲帝 菩提僧莎訶   般若波羅蜜多心経 

これが般若心経の全文である。今回の旅では、八十八ヶ所巡りと重ね合わせながら、このお経の世界を自分なりにさ迷ってみたいと思っている。そのさ迷いは、明日からとして、とりあえずここにお経の全文を掲載することにした。明日からお寺に参詣する度に声を上げて唱えるのは、謂わばこのお経の棒読みである。その意味が何であろうと、一心不乱にそれを詠み唱えておれば、それだけでありがたいというのが本物の宗教心なのだと思うが、理屈屋の自分は、やっぱり何がどのように書かれているのかというのが気になって、もう三十数年来このお経の意味するものが何かということを考え、さ迷い続けている。恐らく死ぬまでその解を得ることは出来ないと思っているけど、この不思議な謎めいた文章には、汲めど尽きぬ人間という生き物の好奇心を煽(あお)るものがあるように思えてならない。旅の間中、このことについて、あれこれと想いを巡らしてみたい。

   

持参したワイド版岩波文庫の「般若心経・金剛般若経」(中村元・紀野一義訳註)

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