今日は、金沢市に隣接する野々市町にお住まいの、くるま旅の大先達の森さん宅にご挨拶に参上予定の日。森さんご夫妻は、私共が父とも母とも尊敬している方である。この話をすると長くなるので控えるけど、私共がくるま旅くらしを真剣に考えるようになったのは、森さんご夫妻と出会った以外は何もない。絶対に知らん顔して素通りできないお方なのである。
志賀の道の駅は、広い駐車場があり、立派な施設を誇っているなと思ったが、3時過ぎに駐車エリアを無視して入って来た大型トラックが断続的な巨大な騒音をバラまいて、とてつもなくガッカリした。日本におけるトラック産業の世界は、社会への公害を無視してかなり優遇されているけど、ささやかなくるま旅の受け入れ環境は、全く見捨てられているなと、改めて実感した。このことは、ここではあまり深入りしないことにしよう。要するに素晴らしい道の駅も、ささやかなくるま旅の者には、一台のエンジン掛けっぱなしのトラックが、一夜をめちゃくちゃに踏みにじるということである。この国は、生産活動が何よりも優先され、それは公害などよりも遥かに大切らしい。もうこの話は止めよう、
7時20頃出発。10時頃に森さん宅にお邪魔する予定。気がつけば、今日から5月。街中を走っていて、何よりも注意を引くのは、ガソリンの価格である。一夜にしてリッター当たり30円も値段が上がるというのは、悪魔の魔法そのものである。道路と車、車と生活との関係は理解できるが、税金がかくも簡単に復活し、価格が以前以上に上がるという仕組みは到底理解出来ない。ガソリンスタンドが、判で押したように同一価格なのは、その裏にカルテル的行為があることは明らかだ。公取委が手も足も出せないというのは、バカバカしくもお見事というしかない。この1ヵ月で損失を出した所よりも、大儲けした石油関連事業者の方が圧倒的に多いのではないか。我がSUN号の軽油でさえも、137円となってしまっている。なすすべもなく、消費者は哀れなる愚痴を吐くのみである。美しい筈の五月を黒雲で覆ってしまったのは、一体誰なのか?不可解だ。
森さん宅に10時少し前に到着。着く前にもうお父さんがガレージの前で出迎えて下さった。お母さんも。お二人ともお元気そうなので、先ずはホッとする。お二人に初めてお会いしたのは8年前。お父さんはまもなく米寿を、お母さんは喜寿を迎えられる。現役のくるま旅くらし人である。昨年も北海道でご一緒している。お二人ともご高齢なので、さすがに身体のあちこちにトラブルを抱えておられるようで、心配だ。お父さんは膝の具合が少しずつ悪くなっていて、歩くのに苦労されている。お母さんもこの冬に滑って腰を打ち、その痛みがまだ抜けないとお聞きした。どうぞ一日も早くそれらのトラブルが解決しますように。祈るのみ。
それから後は、お二人の歓待にすっかり甘えて、14時間近くまで、楽しい時を過ごす。すっかりご馳走になってしまった。泊まってゆけ、というお父さんの声を、申し訳けもなく振り切って、別れを告げお宅を後にする。お父さん、お母さんありがとうございました。この場を借りてお礼申し上げます。今年も北海道の旅が是非とも実現しますよう、心から願っています。でも、決して無理をなさいませんように、お身体お大切に。
森さん宅を辞した後は、加賀一向一揆の最後の抵抗拠点だった、二曲(ふとぎ)城跡を訪ねることにし、その名も「一向一揆の里」という道の駅に向かう。1時間ほどで到着。一向一揆の詳しいことは不勉強で知らないけど、時の権力者に真っ向から逆らって自治を長い間獲得・維持した、日本人には珍しい仏教信仰のパワーの跡地を見たいと思った。一向一揆は、信長や秀吉の側に立てばとんでもない害悪の奴らとなるのだろうが、自分はそのような権力者の側には断じて立たない。一揆側に立つ。
道の駅に車を置き、裏にある小高い丘に登る。そこが二曲城跡だった。ここに一向衆徒が立ち籠もって、最後の抵抗を果たしたのかと思いを馳せると、感慨深い。信仰の力というのは、凄いものだと改めて思った。城跡に立つと、眼下に細長く田畑が広がり、往時の人々の日常の暮らしぶりが、垣間見られるような気がした。城跡に登る坂道脇には、山ルリ草、キンモン草(ジュウニヒトエの仲間)が愛らしい花を咲かせていた。ショウジョウバカマもたくさんあったけど、既に花を終わらせていた。とても良い時間だった。一揆の流れの中にこの時間があることを忘れてはならないと思った。
道の駅に戻り、この地の名物の白山堅豆腐を買う。豆腐大好き人間だけど、取り分けてこの堅豆腐が好きだ。殆ど匂いの無いチーズに近い。この食品の発明者に改めて深謝申し上げたい。
その後は、今日の泊まり予定の、山中温泉にある道の駅に向かう。それから後は、何時ものパターンでした。
志賀の道の駅は、広い駐車場があり、立派な施設を誇っているなと思ったが、3時過ぎに駐車エリアを無視して入って来た大型トラックが断続的な巨大な騒音をバラまいて、とてつもなくガッカリした。日本におけるトラック産業の世界は、社会への公害を無視してかなり優遇されているけど、ささやかなくるま旅の受け入れ環境は、全く見捨てられているなと、改めて実感した。このことは、ここではあまり深入りしないことにしよう。要するに素晴らしい道の駅も、ささやかなくるま旅の者には、一台のエンジン掛けっぱなしのトラックが、一夜をめちゃくちゃに踏みにじるということである。この国は、生産活動が何よりも優先され、それは公害などよりも遥かに大切らしい。もうこの話は止めよう、
7時20頃出発。10時頃に森さん宅にお邪魔する予定。気がつけば、今日から5月。街中を走っていて、何よりも注意を引くのは、ガソリンの価格である。一夜にしてリッター当たり30円も値段が上がるというのは、悪魔の魔法そのものである。道路と車、車と生活との関係は理解できるが、税金がかくも簡単に復活し、価格が以前以上に上がるという仕組みは到底理解出来ない。ガソリンスタンドが、判で押したように同一価格なのは、その裏にカルテル的行為があることは明らかだ。公取委が手も足も出せないというのは、バカバカしくもお見事というしかない。この1ヵ月で損失を出した所よりも、大儲けした石油関連事業者の方が圧倒的に多いのではないか。我がSUN号の軽油でさえも、137円となってしまっている。なすすべもなく、消費者は哀れなる愚痴を吐くのみである。美しい筈の五月を黒雲で覆ってしまったのは、一体誰なのか?不可解だ。
森さん宅に10時少し前に到着。着く前にもうお父さんがガレージの前で出迎えて下さった。お母さんも。お二人ともお元気そうなので、先ずはホッとする。お二人に初めてお会いしたのは8年前。お父さんはまもなく米寿を、お母さんは喜寿を迎えられる。現役のくるま旅くらし人である。昨年も北海道でご一緒している。お二人ともご高齢なので、さすがに身体のあちこちにトラブルを抱えておられるようで、心配だ。お父さんは膝の具合が少しずつ悪くなっていて、歩くのに苦労されている。お母さんもこの冬に滑って腰を打ち、その痛みがまだ抜けないとお聞きした。どうぞ一日も早くそれらのトラブルが解決しますように。祈るのみ。
それから後は、お二人の歓待にすっかり甘えて、14時間近くまで、楽しい時を過ごす。すっかりご馳走になってしまった。泊まってゆけ、というお父さんの声を、申し訳けもなく振り切って、別れを告げお宅を後にする。お父さん、お母さんありがとうございました。この場を借りてお礼申し上げます。今年も北海道の旅が是非とも実現しますよう、心から願っています。でも、決して無理をなさいませんように、お身体お大切に。
森さん宅を辞した後は、加賀一向一揆の最後の抵抗拠点だった、二曲(ふとぎ)城跡を訪ねることにし、その名も「一向一揆の里」という道の駅に向かう。1時間ほどで到着。一向一揆の詳しいことは不勉強で知らないけど、時の権力者に真っ向から逆らって自治を長い間獲得・維持した、日本人には珍しい仏教信仰のパワーの跡地を見たいと思った。一向一揆は、信長や秀吉の側に立てばとんでもない害悪の奴らとなるのだろうが、自分はそのような権力者の側には断じて立たない。一揆側に立つ。
道の駅に車を置き、裏にある小高い丘に登る。そこが二曲城跡だった。ここに一向衆徒が立ち籠もって、最後の抵抗を果たしたのかと思いを馳せると、感慨深い。信仰の力というのは、凄いものだと改めて思った。城跡に立つと、眼下に細長く田畑が広がり、往時の人々の日常の暮らしぶりが、垣間見られるような気がした。城跡に登る坂道脇には、山ルリ草、キンモン草(ジュウニヒトエの仲間)が愛らしい花を咲かせていた。ショウジョウバカマもたくさんあったけど、既に花を終わらせていた。とても良い時間だった。一揆の流れの中にこの時間があることを忘れてはならないと思った。
道の駅に戻り、この地の名物の白山堅豆腐を買う。豆腐大好き人間だけど、取り分けてこの堅豆腐が好きだ。殆ど匂いの無いチーズに近い。この食品の発明者に改めて深謝申し上げたい。
その後は、今日の泊まり予定の、山中温泉にある道の駅に向かう。それから後は、何時ものパターンでした。