山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

くるま旅は楽しい(講演記録:その5)

2008-05-21 00:05:14 | くるま旅くらしの話

6.くるま旅くらしの楽しさ

くるま旅が楽しいことは、改めて申し上げるまでもなく、皆様十二分にご承知のことと思います。それでも、今日のテーマを「くるま旅は楽しい」とさせて頂きましたので、私事で恐縮ですが、出会いの楽しさについて私の経験を2、3話させて頂きたいと思います。

還暦を過ぎてからの楽しさの味わい方は、若い時分とはかなり違ってきているようで、それがどんなに嬉しく楽しいことであっても、天にも昇るという若者のようなはしゃぎ方ではないようです。最初はハッとして心が躍るのですが、直ぐに正気に戻り、そのあと喜びがジワリと滲(にじ)んで来て、それが継続するといった形でしょうか。嬉しい出会いは、いつもそのような楽しさの味わい方となるようです。

ここでは、私の人との出会いの思い出を三つ、事例として紹介させて頂きたいと思います。

還暦を間もなく迎えようとする頃、不安を抱きながらのたどたどしいくるま旅を始めたのでしたが、車で旅ができるのも70歳くらいまでかと思っておりました。もみじマークをつける歳になったら、運転は近場に限定して畑や庭弄(いじ)りでもしながら、のんびりエッセーでも書いて暮らそうかなどと考えていました。

ところが8年前の北海道の旅で、私のくるま旅の考え方を一変させるような出会いが待っていました。北海道は隠れたサクランボの名産地ですが、その年、日本海側を走るオロロンラインと呼ばれる国道232号線の何処かの休憩施設で、そのサクランボをを食べていたのですが、直ぐ傍に軽自動車で旅をされているらしいお年よりのご夫婦を見かけたものですから、ほんの少しお裾分けをさせて頂いたのでした。石川県ナンバーの車で、その時は中を覗かせて貰うこともなく、挨拶程度の会話を交わしてお別れしたのでした。

ところが1ヶ月近くの後、もう一度そのご夫婦と歌志内という所にある道の駅でご一緒したのでした。朝になって、同じここに泊まって居られたのを知り、再度ご挨拶をしたのでした。2度目の出会いというのは、親近感をグーッと増大させるものです。その後いろいろお話を伺って、驚嘆してしまったのでした。何とご夫妻は、お住まいの金沢市に隣接する野々市町から旅に出られて、もう2ヶ月以上が経っているというのです。車を見せて頂きましたが、これがもう何ともいえない工夫の施された、まさにハンドメイドの旅車なのでした。軽自動車の狭い空間をみごとに活かし切った仕様となっていました。そして何よりも驚いたのは、ご主人がその時79歳だったのです。奥さんは10歳下だと伺いましたが、旅に出るようになってから体調がよくなった、と話される笑顔がとても似合っておられました。

この出会いは、私にとってはショッキングなものでした。何しろ、くるま旅は70歳ぐらいまでかと考えていたのに、目の前にそれを遙かに超えた、矍鑠(かくしゃく)とした旅の実践者が居られるのです。しかも軽自動車の自作の旅車で、2ヶ月以上ものご夫婦の旅を悠々と楽しまれているのです。お名前とお所をお伺いし、お宅をお邪魔しても良いのかをお願いしました。快諾を頂戴し、その時はそのままお別れしたのですが、その年の秋に北陸を旅した時、心を弾ませながらご自宅をお邪魔したのでした。

その方は森さんとおっしゃいます。野々市町のマンションにお住まいの森さん宅をお邪魔して、くるま旅に係わるたくさんのお話を伺いながら一夜をご厄介になって、私のくるま旅に対する考えは一変したのです。70歳などというのは、くるま旅の入口に過ぎないと思ったのです。同時にくるま旅を、くるま旅くらしにまで引き上げた旅をしてみたいとも思ったのでした。

それ以来何度もお宅をお邪魔したり、旅先でご一緒したりして、今では私の新しい父母のように思っております。もしこのご夫妻にお会いできなかったら、今の私もくるま旅も、随分と違ったつまらないものになっていたのではないかと思います。森さんご夫妻は、私どもの偉大なる旅の先達(せんだつ)であり、大恩人なのです。間もなくお父さんは米寿を、お母さんも喜寿を迎えられますが、いつまでもお元気で旅を楽しまれますことを、心から願っています。

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