山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

生長と成長

2008-05-12 05:37:18 | 宵宵妄話

一字違いの同じ発音のことばに、生長と成長がある。生長と成長を実感するのは時間の差だ。旅に出て、たった2週間の時間しか経っていないけど、それらに気づいたことについて書いてみたい。

生長というのは、全ての生きものが持つ生命の力であり、成長というのは、意思を持った生き物が育つことではないかと、勝手に理解している。辞書を引くと、どっちも同じと書いてあるけど、学問の分野によって使い方が少し違うという程度のことなのかもしれない。どうでも良いことなのかも知れないが、私としては、生長という大きなコンセプトの中に成長があると思っている。

たった2週間で大きく生き物の生長を実感できたのは、植物の世界である。帰宅した時の我が家の庭の様相はかなり変わっていた。畑にも行ってみたが、こちらの方もかなり変わっていた。植物の生長は、昨日と今日の比較ではその変化に殆ど気づくことは少ない。しかし2週間という時間は、とりわけて春のこの時期は、その生長振りは目を見張るものがある。

庭の樹木たちは、旅の間に見た山々の盛り上がる生命(いのち)の輝きにも引けを取らないほどの新緑に庭を染めていた。我が家のメインツリーであるクロガネモチは、出かけるときには冬を越えた葉を落として、たどたどしい新芽を膨らませつつあったのだが、それがもうすっかり生長して豊かな緑の葉と変わっていたし、山もみじの葉は、秋よりも春の方がこの地では美しい。咲きかけていた黄エビネももはや開花は終わりに近づいていたし、春先に移植のため庭の土を掘り起こしたりして、芽が出るのかなと心配していたミョウガたちも元気に芽を出してくれていた。同時にあまり成長して欲しくはないカタバミやミミナグサ、それにヒメジオンなどの雑草も負けずに生長していて、生き物の世界は人間の都合などとは無関係に夫々の生命(いのち)の活動を支えていた。

    

クロガネモチは葉の新旧入替が終わって、元の逞しさを取り戻しつつあった。山もみじの下の黄エビネは、我々の帰宅を待ちかねていたように花の最後を飾ってくれていた天気が悪く光不足で残念。

畑に行ってみると、同じ時期に植えたのに隣の畑のそれとは大分に芽吹きのスピードが遅くて、不揃いを心配していたジャガイモたちは、100軒以上の耕作者のいる市の貸付農園の中では、見渡すところではナンバーワンとも思える生長振りだった。葉ばかりだったラディッシュも、根の赤い膨らみを大きくしていて既に食卓OKの状態だったし、タマネギも大地にひびを入れて球根を膨らまし始めていた。

   

   すでに花が咲き始めたジャガイモ畑。我が家が市の菜園の中では最大の作付け面積となっているようだ。玉ねぎの方は冬の間に枯れてしまったものがあり、まばらだけど、大地を割っての生長には生命の力を感じる

この季節が好きである。馬齢を重ねる度に、季節の移ろいに敏感になってきているように思う。現役の頃には気づかなかった、生きものたちの微妙な変化に気づくようになるのは、もしかしたら単に暇になったからなのかも知れない。その一方で、残りの時間が少なくなった生きものとしての証なのかも知れないとも思うのである。春夏秋冬のいづれの季節にも夫々の特徴があって、関心に切れ目はないのだけど、生きているということをプラス思考で確認できることが多いのは、何といってもこの季節が第一である。あと何回この季節を迎えることが出来るのかは判らないけど、たった2週間でワクワクとした生長の実感を味わえることに感謝しながら、残りの回数をクリアーして行きたい。

もう一つの成長の方は、帰りに立ち寄った家内の妹宅で2年ぶりに会った姪夫婦の子どもたちである。4歳と2歳になった二人は、活発な子たちで、久しぶりに会ったいつもと違うジジババに対しても、大して顔見知りもせず遊んでくれた。前に会った時には生まれたばかりだった下の男の子は、さすがにサッカーの町藤枝の子らしく、紙製のボールを蹴るキック力は、かなりのものだなと驚かされた。

子どもたちの成長は目覚しい。身体も心の世界も精神知識も、想像もできないほどの成長振りだ。あっという間に自分の意思を表明するようになり、更には相手に対する要求にも遠慮がない。自分というものを確立するスピードは大変なものだなと思う。

ソニー創設者のお一人である井深大氏は、幼児教育研究者としても著名な方だったが、その著書の一つに「幼稚園では遅すぎる」という名著がある。子どもの教育というのは、母親の胎内で生命が生まれた瞬間から、始まるものなのだということをお書きになっているが、まさにその通りではないかと思う。

この二人の子どもたちを見ていて、こんなに成長が早いのは、生まれた瞬間からもう自分の意思を固め、ことばを発する時期を待ち構えていたのではないかと思うほどである。

ところで、人間の成長プロセスは、まだかなり先まで続くことを思うと、この子たちが今の元気を保持しつつ、強く逞しく成長して言って欲しいなと願わずにはいられなかった。

二つの生長・成長ということばから、我が身を振り返ってみれば、もはやそのスピードは大分に遅くなっているのは明らかだ。それは、旅の2週間のあいだ中、古希肩の疼きの加速に比例しているような感じがする。しかし、我が身のことはともかくとして、あらゆる生き物の生命の生長と成長の輝きを実感できるこの季節は、やっぱり一番好きである。

コメント
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