山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

くるま旅は楽しい(講演記録:その4)

2008-05-21 00:04:36 | くるま旅くらしの話

 私は20年来の糖尿病患者ですが、先ずは80歳までのくるま旅の継続実現をめざして、健康の保持のために、いろいろ工夫しながら毎日行っていることがあります。糖尿病の場合は、病と上手く付き合うためには①食事②運動の二についてのコントロールと実践が不可欠です。決して薬に依存してはならないと思っています。

それで、私はバランスの良い食事を心がけるために、旅の間も基本的に外食はしない主義でやっています。旅の間の食事は3食とも自炊です。カロリーのことを考えると、外食は問題があるからです。又運動に関しては、現在は年間450万歩を目標に、毎月の目標歩数を決め、毎日の歩数実績を、自分で考案した記録表に記入するようにしています。これをもう17年間続けています。旅の間も、よほどのことがない限り歩く時間をとるようにしており、車だけに依存しないようにしています。因みに今年のこれまでの一日平均歩数は、約1万4千5百歩です。多分、距離に換算すれば毎日7kmくらいになるのではないかと思います。

皆様も何らかの健康管理をされておられると思いますが、くるま旅の実現のためにも、そしてPPKの実現のためにも油断なく健康維持のための健康法の継続実践を心がけられますようご留意下さい。

もひとつ、何故「くるま」なのかということですが、旅は何も車でなくても幾らでも実現できますし、むしろその方が旅の正道といえるかも知れません。しかし、私は車社会の今日では、車を使っての旅は、現代の新しい旅の形(=スタイル)なのではないかと考えています。キャンピングカーというのは、キャンプのための車というよりも、動く家としての機能を備えたモーターホームというのが本来の姿なのではないかと思っています。そして、くるま旅は時間に捉われることなく、自由自在に自分自身の旅を実現させてくれるのです。このような旅は、現役のときにはやりたくてもできない夢だったのですが、リタイア後の人生の中では、その気になりさえすれば、誰でも実現可能な新しい旅のスタイルなのです。何故くるま旅くらしなのか、という説明にこの一項を追加させて頂きます。

 5.くるま旅くらしの本質は「出会いと発見」

くるま旅の本質は何かを考えて見ますと、それは出会いと発見だと私は考えます。少し理屈っぽい話ですが、くるま旅によらず、すべての旅の本質は、出会いと発見のための時間の中にあるように思います。このことについてちょっぴり私の理屈を述べて見たいと思います。

私は、自著にサインを依頼された時は、「旅は出会いと発見 その感動が人の心を癒し 生きる力を強める」と書かせて頂くことにしています。くるま旅くらしというのは、旅という非日常的な暮らしの中で、様々な変化の中からたくさんの出会いと発見を拾ってゆくものであり、そこには常に感動が潜んでいるように思われます。旅に出ますと、今まであまり働かなかった感性が、昨日と違う体験に敏感に反応するようになり、心も体の働きも活性化されてくるように思うのです。そしてその結果、生きていることを実感できるようになれるのです。これが旅の魅力であり、本質なのではないかと考えます。

ところで、出会いとは何なのでしょうか。私は文字通り、それは出て会うことだと思っています。では、どこから出るのかといえば、一つには日常の暮らしから抜け出すということでありましょう。そしてもっと大切なのは、自分という殻の中から出るということを意味していると思うのです。人は誰でも堅い殻で自分をガードしながら生きています。それはとても大切なことですが、人と人とが本当に心をふれあう出会いというのは、お互いが自分の殻から抜け出して意思を交わした時に生まれ、実現するのではないかと思うのです。そして、旅という環境は、自分の殻からの脱出を容易にしてくれる力を持っているように思うのです。

それからもう一つ、出会いというのはその対象が、何も人間だけに限られたものではありません。自分の五感を揺るがすすべての出来事が出会いの対象に含まれると考えます。人間以外の動物、風景、草木、食べ物、匂い、等など、今まで見たこともなかった、或いは気づかなかった心を揺さぶるものや出来事などはすべて出会いだと思うのです。

旅に出ると、美しい風景を初め、近寄れば見たこともない山川草木がそこにあり、改めてここにこの様なものがあったのかと気づきますし、山中でのサルやキタキツネ、エゾシカなどとの遭遇も、心をドキッとさせられます。夏の北海道では海に行けば、関東辺りでは冬近くでなければ釣れないはずのカレイなどがごく当たり前のように釣れるのです。夏の美瑛の丘を訪ねると、そこに住む人たちの農業というくらしが、大自然を彩る広大なパッチワークのような畑を作っているのを見て、その美しさに誰でも感動の声を上げるのです。まさに大自然との出会い以外の何ものでもありません。

出会いに満ちた人生は活き活きとしています。人は心を揺さぶられるものに出会ったとき、心を躍らせ、やがてそれが鎮まると喜びの中に身も心も癒されるのです。そして、自分自身が生きている喜びを実感できることによって、人生は活き活きと動き出すのです。そこに旅の本質があり、大きな力が潜んでいるのだと私は考えます。

動物というのは、動くのが本能であり、動くことによって出会いを創って行く存在なのではないでしょうか。人間というのは、改めて明らかに動物だと思うのです。動かないと、なかなか刺激を受けること、感ずることができなくなって活力を失ってゆくのが動物であり、人間なのだと思うのです。動かなくても燃えるエネルギーを集中できる目的や目標を持てる人は、年老いても活き活きと生きることが可能だと思いますが、そのような人は稀でありましょう。

我々凡人は、旅によって出会いを創って行くことが、第2、第3の人生を、活き活きと生きてゆくために、たいへん有効な手段ではないかと思うのです。そして、そのことは実践してみれば誰でも容易に気づくことではないかと、私は思っています。

[明日は家を不在にするため、明日の分も引き続き掲載することにします]

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« くるま旅は楽しい(講演記録... | トップ | くるま旅は楽しい(講演記録... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

くるま旅くらしの話」カテゴリの最新記事