山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

08春旅:第 11日(5/7)

2008-05-08 05:58:09 | くるま旅くらしの話
今日は3年ぶりくらいになるのか、お伊勢詣りの予定である。連休も終わり、駐車場が混むとは思えないけど、それでも少し早く出発することにした。
飯高の道の駅は、温泉もよく、快適な一夜を過ごすことができた。お薦めの道の駅に加えても良いなと思った。感謝しつつ6時30分に別れを告げ、伊勢へ向かう。
飯高辺りは、伊勢茶の産地で、山裾に茶畑が広がっている。ツツジの花が随所に目立つ。のどかな風景が広がっている。
伊勢神宮内宮参拝は3年ぶり。8時前に到着、広い駐車場はガラガラで、駐車には何の心配もない。先ずは正宮に参拝することにする。五十鈴川を渡り、音を立てながら、新緑の森の中を歩く。楠やスダジイなどの萌える緑が眩しい。そして静か。歩いているだけで心は癒される。五十鈴川の鰍蛙(かじかがえる)の澄んだ鳴き声が新緑の森を一層引き立てているように思った。1時間ほど歩いて、朝食に名物の伊勢うどんを食べようと、おはらい町通りに行ったのだが、まだ開店前だった。一旦車に戻り、お茶休憩とする。
30分ほど休んで再出発。今度は大丈夫。わらじやという名の店に入る。適当に入ったつもりだったけど、前回来た時と同じ店だった。人間の選択の好みというのは、変わりにくいものなのかなと改めて思った。太いとぐろ巻くうどんを黒いタレで食べるという、独特の食べ方が伊勢のうどんの名物となる由縁なのかも知れない。食べ終えた後に残ったタレにお湯を注いで飲みたいと相棒は言っていた。蕎麦ツユと同じ発想だが、案外いけるのかも。うどんを食べ終えた後は、しばらくコンビは解散とする。相棒は見たいもの、買いたいものが幾つかあり、張り切っているけど、自分の方は何もなし。
解散後は、おはらい町通りの先の古い町や、その裏通りをぶらつき廻って、おかげ横丁を通って車に戻る。歩いている途中から右腕のだるさがどうにもなくなり、こんな時は寝るのが一番。旅車はそんな我がままができるのが、ありがたい。それから11時半まで仮眠する。お伊勢さんのご利益(りやく)も、我が右腕には全く施しがない。神頼みよりも、やっぱり大事なのは我慢なのだと神様は教えてくれているのかも知れない。情けないお詣りではある。
11時半過ぎ、相棒が帰還。ご機嫌のようだ。何やらコロッケやメンチなどをゲットしてきたので、お湯を沸かしお茶を淹れて早めのお昼とする。今回のお伊勢詣りはこれで終わり。
少し休憩の後、伊勢湾岸道路の三重川越インターを目指して出発。今夜は渥美半島の根元付近にある田原の道の駅に泊まることに決めたのだが、その前に伊勢湾岸道路の刈谷ハイウェイオアシスでお土産にえびせんを買うつもり。
R23は、いい流れで四日市まではほとんど渋滞無し。四日市も思ったほどひどくはなかった。予想より30分以上早く湾岸道に入る。この道ができてからは、名古屋市市内を通ったことはない。風がなければ、実に快適な道である。名古屋市内に向かう狭い自動車専用道を走る気にはなれない。伊勢湾岸道路を走っていると、名古屋エリアの産業経済の底力のようなものを強く感ずる。我が国最強のエリアだと思う。それは、湾岸に架かる巨大な吊り橋から下を俯瞰すれば自ずと判ることである。14時30分刈谷ハイウェイオアシスに到着。
せんべいを買うのは、相棒の仕事。こちとらは、この後の田原までのコーを調べることに懸命。持参した地図が古く、伊勢湾岸道路も載っていない。コンビニで商品の地図をチラッと覗かせて貰って、大体分かった。何も買わずゴメンナサイ。相棒の方は求めていたイカ墨せんべいが無く、がっかり。真っ黒なせんべいで、見た目には食べ物とは思えないのだが、口に入れれば納得の、個性的な一品なのである。残念。
伊勢湾岸道の豊田南インターを出て、R155をしばらく走ってR23へ。この道をひたすら走れば、豊橋を過ぎて渥美半島の方へ行く道につながっている。知立バイパスというのがあって、順調な流れだった。この辺りを走るのは初めてだったが、工場や人家も多く、勢いのようなものを感じた。蒲郡、豊橋を過ぎて、目的の道の駅:田原めっくんはうすに着いたのは、17時丁度だった。
その後は、いつもと同じような時間を過ごす。旅も残り少なくなってきた。
コメント
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